自分がもし、あのときヒロの制止を聴き入れて、あの場所から去っていたならば、カメラで撮る、ことよりも、ヒロの言うことを聴いていたら、「映画」よりも「恋人」を選んでいたなら・・・、 ユーリのそんな思いがやがて自分では何も選択する事が出来ない、占い依存症へと向かわせる。ヒロの弟の経営する店、This or Thatに現れる占星術をする男。まるで仕組まれたかのように、迷えるユーリの前に現れた存在。偶然か、必然か、運命か。そうしてこの男はユーリを救う者となるのか、それともより深淵へと堕とす者となるのか、それは、ユーリの「選択」次第。
最初にユーリが扉を開けたのは、「マスカレード」ユーリの映画のタイトルだ。はたしてこの「ifi」のなかの「マスカレード」の世界は、ユーリの撮っていた映画の内容とリンクしているのか、タイトルを模しただけの独自の世界なのか・・・。そこで、ユーリが映画を撮影しながらずっと、This or Thatに訪れる占い依存症の人々の取材をしていた事を思いだした。ユーリ自身が冒頭の、ヒロが撮ったホームビデオの中でそう言っている。つまり、「マスカレード」の撮影をした時もユーリはThis or Thatで占い依存症の人々をずっと見てきていたのだ。それなら、無意識のうちに、ユーリが自分の映画に彼等を映しだしていた可能性もある。「占い依存症の人になんか興味ない」と言いながら、彼等から強いインスピレーションを受け、それがユーリの映画に活きていることを、ヒロは知っていたから、ユーリに「This or Thatでの取材を続けるように」とユーリと約束をしていたのではないだろうか。これはまったくの100%の想像だけど、「マスカレード」は絆を失った夫婦がふたたびその絆をとりもどす物語なのではないだろうか・・・。そうして異世界「ifi」の世界ではそれがはっきりと、This or Thatの客であるあの夫婦の姿で登場する。 不慮の事故で娘を失った夫婦、娘を悼み狂った妻と、それをただ見ているしかできない夫、そのもうすりきれてぼろぼろになった二人の絆が崩壊する瞬間、現れたのは、ユーリでありユーリではないもうひとりのユーリ、
そして第13場で、ユーリとヒロは出逢います。オルフェウスとユーリディケのように。口をきいてはいけないけれど、歌うのはいいのか。デュエットするのはセーフなのか。などと言うのは野暮と云うものです。ユーリはここで「選択」をせまられます。STOP or PLAY。ユーリはPLAYを選択しました。そこでユーリはヒロに声をかけます。ヒロは「いけない、君はPLAYを選んだのだから、現実世界へ戻らなければならないんだ、」とユーリを制します。ユーリはあのとき、ヒロから聴けなかった言葉を求めます、そうして、ヒロはあのとき、言えなかった言葉をユーリに告げます。それは「約束」
現実世界のThis or Thatに還ってきたユーリ。そこでは小さく、世界が変わっている。 パクは「店?たたむわけないよ、ここで店主としてずっとやっていくよ」 妻は娘の身代わりであったぬいぐるみを”母親”と云う己の庇護の元から自立させ、夫の手をとる。 作曲家の男は相棒と楽しそうだ。 二人の求愛の間で迷っていた男は、恋人である彼に求婚する。 少しずつ、変わってゆく世界。そうしてユーリの心も・・・。 映画を撮るのをやめようと思っていたユーリはThis or Thatの人々の映画を撮ることを決意する。この、少しずつ変わってきた、世界の、This or Thatの人々の新しい物語を。それはユーリが今までの自分を見つめながら新しい未来へと歩きだそうとする、再生の物語のはじまり。