裏庭

宝塚。舞台いろいろ。

蘭寿とむ主演・青山劇場『ifi』Aバージョン感想文。※ネタばれ有。

『ifi』初日~Aパターンのみを観劇した現時点での感想です。自分なりに解釈したり補完したり捏造したり捏造したり主に捏造したりしていますので見当違いなことを書いたり勘違いだったり幻覚視たり幻聴聞いたり気がふれていたりするかもしれませんがご容赦下さい。変態なのでそのあたりもご甘受頂けると有難いです。

ひとりの役者として今、誕生した「蘭寿とむ」と云うひとを尊敬しています。(免罪符)


舞台にはホロスコープと時計がかさなりあったプロジェクションマッピングにifiのロゴ。軽快なポップスの流れるなかで客席が微妙な緊張感をはらんでいるのがわかる。かくいう私も緊張でこめかみがきゅうぎゅうなりながらはじまりを待つ。その緊張からの解放と急激な昂揚感、それと舞台のうえでふたたび、蘭寿とむに会うことができたと云う安堵感、単に嬉しかったからか。感情の在処のわからぬままに涙。もはや条件反射かもしれない。

紗幕のむこうで眠る蘭寿さん@ユーリ。今までもソファで眠る蘭寿さん@フェニックス・ライト等は観たことがあるけれど、仰向けでない、脚も組まない、スーツも着ていない、枕に頬をうずめて背中をまるめて足を折りたたみ眠る姿、ただそれだけの姿に百回生まれかわって百度その姿をみてもおなじくらい昂揚すると確信できる程につまり大興奮。正直、自分でも何がそんなにと思わずにはいられないのだけれどこの感情の生まれるところは宇宙の誕生とおなじくらい人知の域を超えたものだと思うのであまり考えないことにする。

インナーは白のタンクトップ、胸元にはドレープ。白いジャケットは後身頃の丈が短めのもの。白いサブリナ丈のパンツ。白いパンプスのベルトは二本、甲の上でクロスしている。時折、ベージュのジャケット着用。黒のパンプス。これは交叉する時間、場面によって意図的に変えられているものだと推測。ほそいプラチナの鎖のまんなかにダイヤのネックレス。

まず、わずかだが「足」と云うものがみえると云うことに宇宙の誕生とおなじくらい(以下略)

ユーリはあさい眠りのなかで夢をみる。恋人とのしあわせだった頃の夢。その夢が再現ドラマとして多角形のスクリーンに映しだされるのだけれどはっきりいってこそばゆいこと山の如しです。思わず薄目で見てしまったり腹を括って目をかっ開いて見たりもう心の壁に頭ごんごんしながら見ていました。蘭寿さんがどうのと云うよりシナリオが・・・予約のなかなかとれないレストランでディナー、星を見にゆく、インディペンデントな関係・・・ああ、そうか、自分とは馴染みのない世界だからこんなにもむずがゆくって仕方がないのか。仕事に恋に精力的な新進気鋭の女流映画監督と仕事でもプライベートでもパートナーであるカメラマンの恋人がニューヨーク・マンハッタンのアパァトメントで暮らしている・・・ちょっとキラキラしすぎな設定でまぶしすぎました。あと時折、セリフに英語が混じるのが肝なんだと思います。純和風の庶民は会話に英語が混じる世界なんてルー大柴くらいしか知らないから・・・。

舞台で女性を演じる蘭寿とむとのファーストインパクトは蘭寿さんの一人称「あたし」呼びでした。そうだった、いまこの人、女の人を演じているんだ。蘭寿さんが「あたし」と言うたびにドキッ、とした。胸の存在よりもむきだしの足よりも、蘭寿さんが女性を演じている事を実感させた。「わたし」ではなく、「あたし」であったことがより衝撃を強くした。「わたし」よりも「あたし」の方がより女性としての匂いが強いと云うか女を生々しく感じさせるような気がするのです。「わたし」は男も使う一人称だけれど「あたし」は女しか使わないでしょう。オカマもよく使うけど、やはりそれも「わたし」よりも「あたし」の方がより女を強調するものだからではなかろうか。

夜のストリートで喧嘩をする若者達の様子をカメラで撮りはじめるユーリ。それを制するヒロ。撮るな、とユーリに攻撃を仕掛けてくる若者、「撮られたくないならやめなさいよ!」そしたら撮らないからー!正論だけど今それを言うのは間違っていますユーリさん。ユーリを護ろうとして、若者達の喧嘩に巻込まれるヒロ。そうして、ヒロは死んだ。ニューヨークの路上にあふれる血と暴力のなかに、そんなありふれた事件のひとつとして、ヒロは死んだ。誰が彼を殺したのか。それは、

自分かもしれない。

自分がもし、あのときヒロの制止を聴き入れて、あの場所から去っていたならば、カメラで撮る、ことよりも、ヒロの言うことを聴いていたら、「映画」よりも「恋人」を選んでいたなら・・・、
ユーリのそんな思いがやがて自分では何も選択する事が出来ない、占い依存症へと向かわせる。ヒロの弟の経営する店、This or Thatに現れる占星術をする男。まるで仕組まれたかのように、迷えるユーリの前に現れた存在。偶然か、必然か、運命か。そうしてこの男はユーリを救う者となるのか、それともより深淵へと堕とす者となるのか、それは、ユーリの「選択」次第。

だいたい物語のプロローグはこんなカンジで、ユーリと物語のキーである「選択」との関係性はこんなところだと思います。

ここの再現映像の蘭寿さんは頭にフィットしたニット帽をかぶってもっこもこでちょっと大き目の銀兎色のセーターを着ていて、つまり相変わらずの萌ソデで壁に頭ドン。

ヒロの弟、パクの経営するThis or That。パクは客の女と、「もうすぐこの店をたたんで、旅にでる」話をしている。「変わらない日常に変化をあたえたいんだ」

そのThis or Thatに通うある夫婦。子供を失い、子供の愛玩していたぬいぐるみを抱く妻と、その妻によりそう夫。妻は占い依存症となり、夫婦の絆はもはやぼろぼろになっていることがわかる。

ユーリは占星術の男に今夜も占いを依頼する。そこで占星術の男はユーリに「ifi」と囁く。もし、もう一度、あの時とは違う「選択」をすることが出来るなら、どうするか。男はユーリを誘う。ユーリは、自分が違う「選択」をする事によって、ヒロが死ななかった世界が存在するかもしれない、そう思い、男から手渡された次元を旅する事のできる薬を受けとり、小瓶の中の液体を飲乾した。この瞬間に、ユーリは重度の占い依存症になっており、自分の生死に対して執着が皆無であった事を知る。そうでなければ得体の知れない男から渡された毒薬よりも毒々しい液体なんか飲まない。次元を旅するなんて、そんな話なんか信じない。そう、まるでユーリの映画『オルフェ』のオルフェウスのように、人魚姫の人魚のように、己の生死をも厭わぬほどにユーリは何かにすがりたかったのだ、その姿は痛々しくもそれが蘭寿さんだと思うと何と云うかこのふつふつとわきあがる得体の知れない宇宙の誕生と(以下略)

恋人、ヒロの死なない世界を探すべく、ユーリは時間と空間、次元をも超えた異世界へと旅をする。オルフェウスが死んでしまった恋人、エウリューディケをとりもどすべく黄泉の国へと旅立ったように。神話のオルフェウスよろしく、ユーリが異世界から再び現在へ戻ってくるためには条件があった。
「ヒロと出会っても口を聴いてはいけない」
「選択をせまられたとき、かならずひとつの”選択”をすること」

異世界には、映画に関する用語が散りばめられていた。これはユーリの世界だから、ユーリに馴染みのある言葉で構成されていると云う事なのだろう。そのことでもこの異世界は何処か宇宙の果てなどではなく、ユーリの心の、精神のなかにあるのだと云うことが解かる。

最初にユーリが扉を開けたのは、「マスカレード」ユーリの映画のタイトルだ。はたしてこの「ifi」のなかの「マスカレード」の世界は、ユーリの撮っていた映画の内容とリンクしているのか、タイトルを模しただけの独自の世界なのか・・・。そこで、ユーリが映画を撮影しながらずっと、This or Thatに訪れる占い依存症の人々の取材をしていた事を思いだした。ユーリ自身が冒頭の、ヒロが撮ったホームビデオの中でそう言っている。つまり、「マスカレード」の撮影をした時もユーリはThis or Thatで占い依存症の人々をずっと見てきていたのだ。それなら、無意識のうちに、ユーリが自分の映画に彼等を映しだしていた可能性もある。「占い依存症の人になんか興味ない」と言いながら、彼等から強いインスピレーションを受け、それがユーリの映画に活きていることを、ヒロは知っていたから、ユーリに「This or Thatでの取材を続けるように」とユーリと約束をしていたのではないだろうか。これはまったくの100%の想像だけど、「マスカレード」は絆を失った夫婦がふたたびその絆をとりもどす物語なのではないだろうか・・・。そうして異世界「ifi」の世界ではそれがはっきりと、This or Thatの客であるあの夫婦の姿で登場する。
不慮の事故で娘を失った夫婦、娘を悼み狂った妻と、それをただ見ているしかできない夫、そのもうすりきれてぼろぼろになった二人の絆が崩壊する瞬間、現れたのは、ユーリでありユーリではないもうひとりのユーリ、

なんかすっごい蘭寿さんでてきた。

ベネチアの仮面舞踏会を模した蘭寿さん不在の舞台が延々と続く。そうして満を持して登場した蘭寿さんは、

なんかすっごいのでてきた。

そう形容するしかない。友人は「蘭寿さんがひとり触手プレイを・・・!」と言っていた。私が思いだしたのはトノサマンだ。あの逆転裁判シリーズのトノサマン。ググって下さい。

その触手を巻きつけたお衣裳にラメで飾った仮面<マスク>をつけて、そのキャラデザはアメコミさながら、そう、バッドマンのバッドガール。そしてキャットウーマンだ!蘭寿さんの!キャットウーマン!それだ!!!ググって頂ければ私のこの昂揚感を理解して頂けると思います。

アメコミのダークヒーローの如く登場した蘭寿さんは、その両の腕に二人を抱く。その姿はまるで母のよう。そっとふたりの絆を優しくつなぐ。蘭寿さんの腕のなかで眠るようにやすらいだ顔をする二人。二人は娘の死を受入れ、哀しみのなかにふたたび夫婦の絆をとりもどした。

この第7場で、AパターンとBパターン、ふたつのパターンが登場します。はたしてBパターンはどこがどうなるのか。蘭寿さんのお衣裳はどうなっているのか。まさかのお色直しアリなのか。生か死か、再会か訣別か、過去か未来か、この物語が何処へ行くのかはまったくの未知です。Bパターンが楽しみで仕方がありません。


「俺は人生の選択に後悔したことなんかない」と嘯く売れっ子の作曲家。その彼に、占星術の男は例の小瓶を渡す。作曲家の男は興味本位にそれを口にする。そうして自信満々の男は、異世界へと旅をする。その男がたどりついた「ifi」の世界は・・・

何の前触れもなく突然の、美脚。

白いIラインのワンピースから伸びる、まっすぐな足。まあるいひざこぞう。
祝・蘭寿とむスカートデビューでした。
びっくりしたびっくりした言ってよ!言ってよ!!すっごい突然のスカート!突然の!美脚!美!脚!!!カツラとんでったわ!そんで毛生えたわ!まさかこんな突然に・・・心の準備が・・・自信満々のドヤァ顔作曲家男・・・君のifiの世界は天国ですか。有難う。

このスカート、当初は舞台の上ではお衣裳として存在していなかったらしいのです。蘭寿さんが「スカートに慣れるように練習用(スカートをはく練習・・・)としておうちではいていたスカート」を、急遽、舞台でお衣裳として着ることになったとのこと。そのせいかプログラムの安寿さんとの対談では、「舞台ではスカートをはく予定はない」と言っていました。どのようなノリでこうなったのだろうか・・・なんとなく想像はつきますね蘭寿さんノリいいからねそりゃね、え?はいちゃう??はいちゃうの???はいちゃったー☆ありのーままのー♪こんなノリかな。

軽快な音楽とたくさんの人々でにぎわう「エステュディオ」─スタジオ。時が経つにつれ、スタジオにあんなにたくさんいた人々は誰もいなくなり、スタジオには彼と、彼の相棒だけが残った。しかしやがて二人は仲違いの末、道を別つ。そうして作曲家の彼はポップス路線に乗り換え、大成功を収めた。これが、現在の彼。そして、ifi・・・もし、二人が仲違いをせずに、ずっと二人で共に夢を追いつづけていたら・・・?

作曲家の男の元へ戻ってきた相棒。その相棒の手をとる作曲家の男。二人でふたたびよりそって手をとりあいその手を肩にまわし腰にまわしいっしょに曲を作っていこうと決めた二人。それが彼の、「ifi」の世界。

プログラムには友人と記してありましたがどうこからどうみてもゲイカップルです。

客席降りがあります。蘭寿さんは下手から次に上手へ移動。白ワンピでの客席降りです。初日、そのときの客席の様子を、「案の定、みんな、見ていいのかな、どこ見たらいいのかな、て顔をしていて・・・(笑)そのとき、うかんだ歌があります、歌っていいですか?・・・・・・ありのーままのー姿みせるのよー!!!」
最高です。蘭寿とむ最高です。ありのーままのー蘭寿とむが大っっっ好きです!!!!!
ちなみに私だったらガン見します。現にガン見してました。遠慮はしません。まぶしくて目がつぶれる覚悟でガン見します。

この第9場にもAパターンとBパターンが登場します。Bパターンはどうなるのか。蘭寿さんの美脚は拝めるのか。そこが最重要事項です。


「キャバレティスト」ここでのキャラ設定は明確にされていないのだけれど、蘭寿さん演じるキャバレーのナンバーワンの美女を、佐藤洋介氏(Aパターン)演じる男が、ラスタ・トーマス氏演じる男と奪い合う物語・・・かと思いきや、蘭寿さんと佐藤氏でラスタ氏を奪いあうと云う設定。3人のデュエットダンスにはみたことのない様式美があり、背徳的であり不道徳なまでにエロティックで、せつない。そしてラスタ氏は蘭寿さんを選び、ロマンスは蘭寿さんとラスタ氏の間に生まれた。哀しみに沈む佐藤氏、そのあまりの哀切に満ち満ちた姿に心ゆれるラスタ氏。そうして・・・・・・

蘭寿さんは彼氏をゲイ野郎に寝取られました。

言葉が下劣ですみません。でも、蘭寿さんに何てことしてくれやがるんですかこの野郎ども。

ラスタ氏は蘭寿さんを捨て、佐藤氏の元へと駆けてゆき、二人は仲睦まじく夜の街へときえてゆくのでした。二人を呆然と見送る蘭寿さん、
「ヒロー・・・ッ!」
思いだしたようにヒロの名を呼び、駆けて行った。
そうだよもう蘭寿さんにはヒロしかいないんだよそんなゲイ野郎共なんか放ってヒロのところへ行ったほうがいいよあの、HEROの元へ・・・!

蘭寿さんは変わり軍服のようなお衣裳、丈の短いジャケットの背中は開いていて、背筋が見えます。胸に釦がたくさん並び、ローライズのパンツの裾はチャップスみたいなイメージ、これにも釦がたくさんついています。そして・・・祝・蘭寿さんのおへそ解禁。ベールで覆われているけれど(はじらい?)、生腹に、美しいおへそはしっかりと確認できます。ほんとうに折れそうなくらい細い腰で知っていましたけれどその事実を目にするのは初めてでしたので何と言いますか想像力の限界を感じました。現実は、いつだってかるがると想像を超えてゆくのです。そして、

へそ。へそへそへそOHESOOOOOOOOO!!!!!とむちゅうになっていたら、あの、展開ですよ。その衝撃はどれほどのものであったか・・・尻が10cmくらい浮いたよ。

と、ここでフ、と思ったのですが、・・・まさかあのときの蘭寿さん、男ではあるまいな?もしあの蘭寿さんが男だとしたら・・・あ、いま何か扉が3つくらいバーンバーンバーンて開いた。

ところでこの「キャバレティスト」もユーリが撮った映画と同タイトルとのことなんだけれど、・・・ユーリさん?あなたいったいどう云う映画を撮っているの・・・インディペンデント映画って・・・・・・

この第11場にもAパターン、Bパターンがあります。はたしてBパターンでは蘭寿さんの恋が成就するのか?ゲイ共に勝利するのか?どうなのか。心がはやります。

この、ユーリの映画と同タイトルの「ifi」の世界は、映画監督がその映画の世界のなかでは”神”の如くの存在であるように、ユーリもまた、「ifi」の世界の神の如く、その世界の中に在りながらその世界を外界から俯瞰する、そうやって世界を、自分を見つめている。それが「ifi」の世界とユーリの関係であり、現実とリンクした自分の過去の作品を見つめなおし少しづつ過去の世界を修正しながら、現実の自分へとたどり着く、そうして未来へゆくために。このifiの旅はそのための儀式のような、役割を担っているのではないのだろうか。

そして第13場で、ユーリとヒロは出逢います。オルフェウスとユーリディケのように。口をきいてはいけないけれど、歌うのはいいのか。デュエットするのはセーフなのか。などと言うのは野暮と云うものです。ユーリはここで「選択」をせまられます。STOP or PLAY。ユーリはPLAYを選択しました。そこでユーリはヒロに声をかけます。ヒロは「いけない、君はPLAYを選んだのだから、現実世界へ戻らなければならないんだ、」とユーリを制します。ユーリはあのとき、ヒロから聴けなかった言葉を求めます、そうして、ヒロはあのとき、言えなかった言葉をユーリに告げます。それは「約束」

「どうして約束にこだわるの、約束になんて何の意味もないじゃない」
かつて、そう言っていたユーリ。でも、二人がこんなにまでして求めたものは、たわいない指切り、とても幼い誓い、ちいさな魔法、ふたりの未来を永遠のものにする、「約束」だった。

そうして、ユーリと共にifiの世界を訪れた、あるいはユーリが心の深いところで、そう望んでいたからなのか、ヒロの弟パクが、ユーリをifiの世界から現実世界へと連れてゆく鍵として現れる。パクの存在は、ユーリにとって現実と云う世界のよすがだったのかもしれない。ユーリはそれに気づいてはいない、そうしてこれからも気づくことはないのかもしれないけれど。

ラストのAパターンとBパターンはどうなるのか予想がつきません。Aパターンのラストも実はいったいどうなっているのかまだよく理解していません。これからの観劇のなかに見つけていこうと思います。


現実世界のThis or Thatに還ってきたユーリ。そこでは小さく、世界が変わっている。
パクは「店?たたむわけないよ、ここで店主としてずっとやっていくよ」
妻は娘の身代わりであったぬいぐるみを”母親”と云う己の庇護の元から自立させ、夫の手をとる。
作曲家の男は相棒と楽しそうだ。
二人の求愛の間で迷っていた男は、恋人である彼に求婚する。
少しずつ、変わってゆく世界。そうしてユーリの心も・・・。
映画を撮るのをやめようと思っていたユーリはThis or Thatの人々の映画を撮ることを決意する。この、少しずつ変わってきた、世界の、This or Thatの人々の新しい物語を。それはユーリが今までの自分を見つめながら新しい未来へと歩きだそうとする、再生の物語のはじまり。

ここで登場するホームビデオもこっぱずかしいこと山の如しなのだけれどもそれ以上にはずかしいくらいに蘭寿さんが可愛いので今のとこ!もっかい巻き戻してえええ!映像の中のユーリ、蘭寿さんは可愛さちょっとどえらい増しなのだけれど、それはヒロが撮っているから?ヒロの目をとおしてみたユーリだからなの?ヒロにはユーリがまるで愛らしい少女のようにみえているのか。なんてことなの同意です我々も同じ目で見ています!タンクトップ姿で無防備に寝転がる蘭寿さんのことはゲンドウポーズで凝視しました。また私の知らない扉が5、6個開いたようです。


以上、ひとりよがりな感想でした。見当違いは承知です。Bパターンを観たらまた変わるでしょう。これからも少しづつ、メモしていけたらいいな、と思います。


進行にそって物語の流れを中心に書いたので、他のことなども少し。

ケント・モリさんをはじめ、彼等のダンスは踊りと云うよりも、表現、表情、セリフ、言葉、会話、そういった、感情そのものを表すものなのだとあらためて知りました。バレエや日本舞踊などの様式美や伝統とは違う世界の”踊り”と云う名の”語り”。そういったダンスとバレエのようなダンスが混じることは可能なのか、そう思っていましたが、混じるのではなく、まったくの個としてそれぞれがあるがままの姿でそこにある、小林さんはこのカンパニーを多国籍軍と表しましたが、まさにダンスの多国籍軍。蘭寿さんのダンスはそのあわいにあるような、どの表現にもよりそう、それはまさに宝塚と云う世界が多国籍軍であったから。そう、宝塚こそ闇鍋の世界です。多国籍軍ダンス、これこそ蘭寿さんにふさわしい場だと、思いました。

ケント・モリさんは、けっこう乙女なんだな。と思いました。エキセントリックななかにかいまみえる少女のようなハートよ・・・。

佐藤洋介さんは舞台「海峡の光」でダンサー枠として絶賛されていた方でした。あのときとは随分と印象が違っていたので気づくのが遅れました。蜂谷と云う受刑者役で、青木さんとよくカラむ役でした青木さんとよくカラむ役でした。

白河直子さんはEndless Loveの振付を担当した事があるとのことで、どの場面だろう。あの話も生まれかわり云々の物語だったな・・・。とむくん呼び。ダンスであれだけ感情を表現できると云うのはどう云う気持ちなのだろう。触れてみたい世界だ、叶うならば。

パク・ジョンミンさん。カタコトが可愛い弟系の演出になっている。韓国のアイドルてほんとうに何でもできるよね。それだけの訓練をかさねているからなのだろうけれども。

ジュリアンさん。優しい声音の鹿の王のような恋人。あのホームビデオ、誰が撮影したのかな。本職のカメラマンさんだとは思うけれど、ジュリアンが撮ったと言われても信じるくらい彼のまとっている世界に近い世界を感じた。え、てことはジュリアンにも蘭寿さんがあんなふうに可愛く見えて?同意です。

ラスタ・トーマス氏。予想外の人物像でした。ちっさい乙女がぱんぱんにつまった人だった。かわいいね・・・。

音楽がドラマティックで冒険がはじまりそうだった。しかもスクエニじゃなくてアトラス系のね!近未来の昭和。または海の向こうのジャパン。


長くなったのでこのへんで。まだまだ消化しきれていません。蘭寿さんをひたすらほめたたえるだけにとどまりそうでとどまらない舞台、『ifi』の世界を体験して下さい。青山劇場と云う名のハライソで。

ここまでお付合い頂き有難うございました。