裏庭

宝塚。舞台いろいろ。

雪組『星逢一夜』感想その①※ネタばれ有り。

紀之介(早霧せいな)について。完全なる私的見解による捏造たっぷり感想と云う名のほぼ創作です。

 

紀之介がああならないためにはどうしたらいいのかどうしたら彼が幸せになれるのかを考えていたら紀之介が生まれるところからもういちどはじめなければならないと思った。紀之介はつねに飢餓していた。紀之介の人生はその飢餓をうめることでいっぱいだった。

 

紀之介はどこかでなにかを間違ったわけではない。ただひたすらに、生きていた。それだけだ。間違ったことをしているわけでもなければ悪いことをしているわけでもない。源太たち百姓を追いつめた享保の改革も、別の面ではたくさんの恩恵をその後の日本にもたらしている。歴史における善悪ははかりがたく、難しい。紀之介の人生は結果、不幸なものになった。だが、不幸な人生がかならずしも間違っていると云うわけではない。だけれど、紀之介が幸せになるためにはどうしたらいいのか。考えて考えて考えた結果、生まれるところからやりなおすしかない、そう思った。

  

妾の子として、また不和の種ともなりかねない次男としてまわりからは疎まれ、実の母もその立場から紀之介に優しく接することは出来なかったのだろう。その母からはじめて「お前はかしこい子」と認めてもらえた事は必要のない子として育った紀之介を満たし、支配した。子供の紀之介にとって母の期待にこたえることは自分の意志や想いなんかより何倍も魅力的だったことだろう。

 

この美和(紀之介の母)の一言を聴いた瞬間、これは最強の殺し文句だな、と思った。鎖のような言葉だ。母親の期待。それが生まれて初めて自分によせられたものならば尚更、これに逆らえる子供がいるだろうか。

 

美和役、早花さんの冷たく抑揚のない声に、優しくしたくてもできなかったその長いとしつきにより凍りついてしまった心がみえた。言葉はあたたかく優しいのに、熱のないかわいた声。その言葉は真実なのか、それとも方便なのか、わからない。故に、第三者には美和の心の奥はよくわからない、けれど子供の紀之介には母親の愛情をかいまみることができた、嬉しくてたまらない言葉であったのだろう。

 

妾腹の子であった紀之介には生まれたときから居場所がなかった。家臣からは軽んじられ、母は立場ゆえ紀之介に冷たく、父は頼りない。城には遊び相手になる友達もいなかった。いつもひとりぼっちだった紀之介はひょんなことから百姓の子供たちと友達になり、彼らから信頼を得る。彼らは、紀之介がはじめて手に入れた自分の存在価値だった。

 

そうして紀之介は徳川吉宗と出逢う。吉宗は紀之介のかしこさをかって、彼に大役をまかせる。いままで必要のない子として生きてきた紀之介が将軍と云うおそらく彼のなかで最も偉大であった人物に認められたことは、彼をどれほど満たしたことだろう。そうして紀之介は必要とされる悦びに支配されつづけることになる。

 

友達<<<母<<<<<<<<<<将軍。より大きな存在に求められた紀之介はそれに逆らうことが出来ず、ただただその期待にこたえることに夢中になった。それが紀之介を満たしていった。つらいことでも、耐えられた。自分が必要とされないことのほうがずっとつらいことを紀之介は知っていた。それはどんどん紀之介の心を麻痺させていった。痛みを痛いと感じることが出来ず、傷から血が流れていることにも気がつかず、紀之介はただひたすら期待にこたえ、手に入れた自分の居場所でせいいっぱい生きていた。しかし、飢餓からの急速な満腹感は、からっぽの袋の中に激流を流し込んだように、いつしかその水圧に押しつぶされ、やがて、破裂する。

 

秋定から、貴姫が自ら晴興に嫁ぐと決めたと聴いたとき、またひとつ、必要とされ、居場所ができたように、紀之介(晴興)は感じただろう。しかし、わずかながら紀之介の顔に、影がさしたようにみえた。その頃、紀之介は少しづつ、期待されることの重荷、自分についた傷に、気付きはじめていた。

 

紀之介のなかで、ずっと眠っていたひとりの少女が目を醒ました。里に帰り、その姿をひとめみた瞬間、紀之介は必要とされつづけてきた人生のなかで、自分は何かを必要としたことがあったか、あたえられるものはなんでも受入れてきた、しかし、自分がほんとうに求めたものは何か、それが、泉。遠い昔、美しい星のもとで恋と云う名も知らぬままに恋したひとりの少女。泉は、求めることを知らなかった紀之介が人生でただひとつ、自ら求めたものだったのだ。

はじめて自分に優しくしてくれた存在。憎いはずの自分を許してくれた存在。自分が泥だらけになりながら助けた存在。それが、泉。泉は、無条件で自分を受入れてくれた存在。

 

しかしそれでいったら源太もそうなのでは。条件的には源太もおなじだよね。泉と紀之介が源太をとりあうことになった可能性もじゅうぶんにあった。

 

泉を求める紀之介、しかし、泉は源太に嫁ぐ身であることを知る。

ほんとうに欲しいものは手に入らない。紀之介は思いだす。自分の人生は、いつだってそうであったことを。だから、紀之介は泉を諦める。強引に奪うこともできたのに。

友である源太のことを思ってと云うよりも、そこには紀之介の諦念を強く感じた。

 

源太の先制攻撃土下座も紀之介には刃となった。土下座の瞬間、これはずるい、と思った。最強の武器だしてきた。丸腰の優しさと云う攻撃に反撃すればその拳がたとえ正義の拳であっても穢れたものとなってしまう。紀之介と源太の魂が潔癖であるためには、紀之介が身をひくしかなかった。

 

そして、ここでいちばん傷ついたのは泉だ。紀之介の刃と源太の刃はお互いをけん制し合って宙をさまよい泉を刺した。男たちはそれを知っているのか。知らないだろう。紀之介も源太も残酷だ。ふたりとも残酷すぎるくらい優しい。

「やってられっかよ!!!」

と、私が泉だったら土下座する源太を紀之介にのしつけてたたきつけたいところだ。

 

源太と泉の話はまた別で。

 

満たされていた紀之介には穴があき、そこから少しづつ、ほろほろとこぼれてゆく。それをまた埋めるために紀之介は吉宗の期待にこたえつづける。もう、紀之介にはそれしかなかった。自分の居場所を、紀之介はひたすら護りつづけてきた。しかし、いちどあいた穴はふさがらず、10年かけてすこしづつ、大きくなり、そうしてふたたび、三人は邂逅する。

 

泉への恋心はまだあるけれど、それすらもほろほろと穴からこぼれてゆく。源太に一揆をやめるよう命じるが、源太はそれを受けない。紀之介の心が、闇いあなのそこへと、ほろほろと堕ちてゆく。

 

戦い傷つく源太たちを見つめながら、「これが私の生まれてきた意味か、」ずっと求めつづけてきたものがいま、目の前にある。それがどんなに残酷なものでも、望んだものでなくても、紀之介は受けいれるしかなかった。それが、紀之介の「存在価値」だからだ。

 

鈴虫、このひとがけっこうなくわせものと云うか、最初から最後まで紀之介に心を許していない様子がところどころで感じられる。幼少期から、江戸城にあがっても、まるで憎んですらいるかのようだ。ふつうなら紀之介の味方的な立ち位置に存在しているはずなのに、鈴虫は決して紀之介の味方ではない。そうして里の一揆を見つめる紀之介の言葉を、強く肯定する。まるで戦え、と言わんばかりに。そうして紀之介を修羅の道に導かんとするとき、はじめて鈴虫は紀之介にほんとうの心をみせたように感じた。

 

このときの早霧さんが微笑えんでいるのが、胸をしめつける。

その微笑は壊れてしまった紀之介の心なのか、すべてを悟ったためなのか。また、それは微笑みなのか。その顔は清々したようにも、苦痛にもみえる。

 

源太に勝負を挑む紀之介。武士と百姓、勝負は目にみえている。それでも挑む紀之介と受ける源太。そのとき既に、二人は己の運命を知っていたのだろう。だから戦えた。斬ることができた。死ぬことができた。

 

源太は自分の死をもって、里を護った。紀之介も、すべてを失う覚悟で源太の願いを請けた。源太の死と紀之介の人生で、泉の大切なものは護られた。

 

しかし、ふたりはそれでいいかもしれないけれど、泉としては、たまったものじゃないだろう。ふたりでかってにキレイにまとめてるんじゃないわよ。私が泉だったら(以下略)

 

里を救うために吉宗に自分を罰するよう願う紀之介。その願いが最初で最後、紀之介が唯一自ら求めたものとなった。そうして、その願いは叶えられた。紀之介はその瞬間、はじめてこんこんとわきいでる水をたたえたように満たされた顔をしていた。

 

吉宗も随分とあっさり紀之介を手放したように思えたけれど、吉宗にとって紀之介はたくさんいる家臣の一人なのだと云うことを当たり前のように知った。紀之介にとっての吉宗はあれほどおおきな存在だったのに吉宗にとっての紀之介は夜空にあるたくさんの星のひとつにすぎなかった。哀しいようだけれど、それはしごく普通のことだ。

 

ちょっと解せぬ。と思ったのは、櫓での紀之介と泉のラストシーン。

「やっぱり紀之介が好き!」

「ずっと泉だけが好きだった!」

だったら最初からふたりでいっしょになれよ!!!

そうすればぜんぜん違う結末、どころか歴史も変わっていたかもしれない。ここではじめて、

源太は何だったんだ。

突っ込みたくなってしまった。

紀之介と泉が逃げたら里の人々は処刑されるだろう。泉は自分を探す子供たちの声で自分をとりもどす。紀之介はからかっただけだと微笑う。

でもこのとき、紀之介が生まれたときからずっととじこめられていた殻を破り、ふつうの人間になったように思えた。

 

紀之介が幸せになるために、もういちど彼を生み、いっぱい愛して抱きしめて育てたい。その想いはここへ帰結したように思う。

 

人を心から愛し、愛され、そうしてただ一人、自分の足でこの大地に立ち、紀之介は生まれる。ようやく、幸せになるのだ。