裏庭

宝塚。舞台いろいろ。

雪組『星逢一夜』 感想 その②※ネタばれ有り。

泉(咲妃みゆ)について。完全なる私的見解による捏造たっぷり感想と云う名のほぼ創作です。

 

一揆で親をなくした泉。幼い弟と田を守りながら暮らしている。泉は幼馴染の源太と仲が良く、優しい源太に心をよせているけれど、いつもぬぐえない寂しさを抱いていたのではないだろうか。何処かで、源太は親のない自分たちとは違う。そう思っていた。自我の確立していない幼い子供にとって「親がいない」と云うことは自分が世界のすべてから隔絶されたように感じてしまう。その寂しさは他の何かで埋めることは決してできない。源太のことは大好き。(まだ恋と云う名前は知らない)でも。気丈に生きてきた泉の、ふかいふかいいちばんふかいところにある昏い闇。そこにはじめてはいってきたのが、紀之介だった。

 

親の仇の息子だと知り、拒絶する泉。憎しみ、怒り、そうして「親のいない」自分を強く思い知らされたことへの悔しさ。しかし、紀之介は水泥棒の悪童たちに立向い、自分を、村を護ろうとした。そうして田圃は大丈夫だと、そう言った。星を読む紀之介はまるで星宙の彼方からやってきたような存在だった。そうして共に遊び、心を通わせてゆくなかで、泉は紀之介のなかに、自分とおなじ闇をみつける。紀之介の親は生きているけれど、それはまるで存在していないかのように紀之介はいつも空虚な寂しさを抱いていた。それは自分が抱いていた寂しさとおなじだった。そして紀之介も懸命に生きている。自分の居場所を求めながら、強くあらねばと、生きている。泉が紀之介に惹かれていったのは甘やかしい恋心と云うよりも、同志への想いのような、それは恋でもあり、また恋よりも強く、深い想いだった。だから、その想いはいつまでも失えることなく、ふたりのなかで生きつづけた。

 

年頃になった泉は源太に恋をする。泉は源太と結婚したいとほんとうに思っていただろう。ただ、泉の心のいちばんふかいところには紀之介がずっと在た。それは源太への想いとはまったく違うものであったけれど、それを不貞と云うならば、泉には否定する術もなく、いつだって泉を苛んできた想い。でも、けっして失えることのない、想い。

 

紀之介と再会さえしなければ、その想いがその深いところからでてくることはなかった。星逢の夜の鮮烈な再会はマグマのようにその想いをおしあげた。あふれでる想いをどうすることも出来なかった。どうしたらいいのかもわからなかった。手をとり、抱きあって、永い渇きを満たした。紀之介以外のなにものも満たせなかった泉の心のふかいところが満ちてゆく。その心地よさに泉は酔う。

 

しかし源太も泉にとっては大切な人だった。源太を裏切る事はできない。もうすぐ源太のところへ嫁ぐことを紀之介に告げる。

 

そこへ現れた源太。しかし源太は泉をなじったりはせず、紀之介に泉をもらってくれと土下座して頼む。そこで、源太が泉を責め、強引に紀之介から泉を奪ったほうが泉はどれだけ救われたことか。泉の心のおくふかくにずっとあった想いを源太は知っていた。それでも自分と結婚したいと言ってくれて、そうして今は、別の男に自分をゆだねようとしている。源太の無垢なる優しさは泉を刺した。優しさは武器だ。目にみえない扉の開け放たれた檻だ。泉は、源太のその優しさを憎んだかもしれない。何故、行かないでくれと言わないのか。ずるい。源太はずるい。そう、感じたかもしれない。

「私が源太を幸せにする、」

そう激昂した泉。源太の土下座と云う先制攻撃に対する見事な返しだと思った。私が源太に幸せにしてもらうんじゃない、私が源太を幸せにするんだ。誰に言われたからでもない、流されたのでもない、自分の意志で、そうするのだと、泉は叫んだ。男たちの言いなりにはならない、泉が自分の人生を自分で選んだ瞬間だと、思った。

 

そこで三人は決別した。しかし、それでも泉のなかに、紀之介は在た。泉のなかの紀之介しかはいれない場所に、紀之介は生きつづけた。

 

そうして星逢の夜が幾夜もやってきて、泉は源太の妻になり、三人の子供の母になる。あんなことがあっても変わらない、変わらないようにみえる泉と源太。でも、そこに紀之介の存在が在ることを、どうしても忘れることはできない。

何もないけれどこれがご馳走、

うん、ごちそうさん

しあわせなひと場面。でも、なぜか寂しくて、胸が痛い。

夫婦ふたりと子供たち。そうして源太の母親。貧しくもしあわせな一家の情景。しかし、その家はとても昏く、皆おしだまるように生きているようで、それは悪政のため疲弊しきって限界にきている民草の爆発寸前の姿であり、その悪政の影に、あの「男」の存在があることへの憤りが、彼らの身体と心をじっとりと重くしていた。

 

一揆へと向かう源太たちを諌める泉。みんなでいっしょにいられればそれでいいと訴える。しかし、その言葉のなかに、

紀之介とあらそいたくない

と云う思いが在ると源太に思われているのではないかと泉は思ったのではないだろうか。源太は何も言わない。言わないから泉のなかでその疑念は強くなる。違う、あのひととは関係ない、そう、泉は思いながら、心のなかに紀之介の存在が在る限り、泉は苦しみつづける。また、源太もそんな泉の心を知って、苦しんでいたのかもしれない。

 

そして三度再会する泉と紀之介。

泉のなかに、変わらない紀之介への想いと、そうして憎しみがみえた。お互いへの想いはあの頃と何一つかわっていない、けれど、再会に酔うには人生を生きすぎた。泉は護るべきものができ、紀之介は民の敵となっていた。

 

貴方は変わった、私の知っている貴方ではないと紀之介を責める泉。そうして紀之介に何とかこの悪政を改めるよう、頼む。一揆をせずに、この悪政から民草たちが救われる方法を泉は強く願っていた。紀之介も飢え苦しみ死んでゆく民の姿をみて、この改革の悪の部分を既に理解していただろう。だからこそ、泉は、紀之介に吉宗を諭し、人が死なない道を考えて欲しいと訴えた。しかし、紀之介はその道が獣の道であると解っていてももうその道を変えることが出来なかった。虚ろな紀之介を見て、もう話は終った、と去ってゆく泉。その背中には、我が願いはとどかず愚かな道を選ぶことになる男たちに対する絶望が見えた。

 

ふたりの決闘を黙ってみている泉。ひとことも発せず、紀之介に斬られる源太をみている泉。源太の躯にかけよる泉。いつだって泉のことをいちばんに想ってきた源太の最初で最後の裏切りに泉は怒りと哀しみの涙をながし、そうして源太が命をかけて大切なものを護ったその覚悟を誇らしく想い、泣いた。

泉と源太の十年は、これからの世につづく十年につながったのだと、そう、思った。

 

泉と紀之介の櫓のラストシーンのメロドラマ感には違和感を禁じ得ない。

泉は紀之介を殺そうとはしないと思う。源太の仇をとってそうして自分が捕まったら源太の護ったものはどうなるのか泉にわからないわけがない。

紀之介がただのふつうの男の振る舞いをしてしまうのは理解出来る。でも、泉は紀之介を哀れと思い、逃がそうとはするかもしれないけれど共に逃げようとは思わない。泉の紀之介への想いはそう云うものではなく、ふたりの関係は、いつだって夜空の星のようだった。そう、思っていたのに(勝手に思っていただけれど)なんだかありていのメロドラマにされてしまったことにはどうにもこうにも。

 

泉は母親であり、村の、日本の未来の担い手である。歴史がつくられるなかで、人が死なないことはない。いつだって正しいことが行われるとは限らない。過ちを犯すなと言うのは難しい、でもその過ちに気付いたらやりなおせる世の中を、人が死なない道を、探しつづける。それは人間の永遠の理想であり願いだと思う。

泉は、そう云うものの象徴として、在ったのだと。

だから、あのメロドラマは、でも、宝塚的には必要だったのかな、と思うことで自分のなかで折りあいをつけている。

 

こうやって書くと、泉とアムネリスがかさなった。この物語のなかで泉は、ヒロインと云うよりももうひとりの主人公のような、それくらい強く潔い役だった。そして、はかなさややさしさを弱い女ではなく、強く美しい女として演じた咲妃さんに、敬意をぜんりょくで表したいです。

 

後の世の人々は、吉宗の享保の改革における悪しきところを改め、よりよい政へと邁進してゆくことになる。人が死なない世を、つくるために。

それに、源太や泉、紀之介の存在が少しでも、役にたったのではないか、と、そう云う救いを、私はみている。