裏庭

宝塚。舞台いろいろ。

『NOW!ZOOM ME!!』全幕。感想文。

 

駆け足で振返ってみました。間違っているところもきっとある、幻覚も視てるので、え?!そんなシーンあった!?などなど、多々あります。ネタバレ有ります。

 

【一幕】

齋藤先生の舞台の緞帳にはいつも期待している。『A/L』(宙組・大和さんと陽月さんのプレお披露目公演)の緞帳を初日に見たとき、あまりの可愛さに悲鳴がでた。これから共に舞台をつくりあげてゆくトップコンビへのはなむけだと、齋藤先生に感謝した。話がそれたけれど、緞帳にはキービジュでもある望海さんのイラストが描かれていて、注意事項などをフキダシの台詞で伝えてくれると云う仕様。レインボーのライトがまわりだすと映像がはじまる。開演アナウンスは英語By望海さん。「ダイモン」と云う字面とフリーフォントが絶妙なダs…かげんを生みだしているけど煌めきでいっぱいのなかに在ると逆におしゃれにみえてくる。

 

齋藤先生作詞による主題歌。プログラム記載の歌詞を読んだときは、相変わらずの歌詞センスだな、と思ったけれど望海さんが歌うと何でも名曲になってしまうな…。「人生劇場」文字でみると場末の四畳半感あるのに望海さんの声で聴くと叙事詩になる。もしくは創世記かな。

雪組子と望海さんがポスターのお衣裳で登場。とにかく、動いている、歌っている、望海さんが目のまえに在る。映像じゃない、ホログラムでもない、幻覚でもない、生身の、望海さんを私は今、観ているんだと思うと何だかもう、今日まで生きていてよかった。と思った。やっぱり好きだな。と、わかってはいたけれど思い知らされたと云うか、常に何でこんなに好きなのかフと立ち止まっては自問自答する考える葦の一葉をかろうじて保ってはいるけれど、現場に居て、目のまえで姿をみて、声を聴いたらもうどんな思考も煩悶も根こそぎ刈りとられて雑草いっぽんのこらないその大地にはやがてひとつの花が咲くその花の名は「望海風斗」もう私はその花に魅入られ、ただひたすら愛するだけになってしまうのでした。何言ってるかわからないですね。私もわかりません。

「攻めて攻めるぜ~♪」え、NZMさんが攻?!でもやっぱり受でしたね。(失言!)

 

KILLER-K~!!!いくらヨシマサとてヨシマサとて!いきなりこれクるか~?!準備運動もまだなのにちょっと待って…まさかこれがクるとは思わなかった…。

『アプローズ・タカラヅカ』での瀬奈じゅんさんの場面。当時、この場面には出演していなかった下級生の望海さんが舞台袖でどれだけ胸を高鳴らせてこの場面を観ていたか、容易に想像ができる。あの瀬奈Jは最高にカッコよかった。でも、あれから幾数年、望海さんも最高にめちゃくちゃものすごくカッコよく!なりました!!!瀬奈さんに観てほしいなあ。ロケットしてたぴよぴよ子ちゃんがこんなりっぱなKILLER-Kになりましたよ。

 

愛さんのスタイルの美しさに開眼した。そして前よりもっと綺麗になっていた…そりゃ前からキレイな方ですけど、ぴかぴかにみがきがかかっていたと云うか、この公演がない期間中も身体の健康と美しさを保つことに少しも気を抜いていなかったどころか更にレベルアップをするくらいにモチベーションを保っていたと云うことが目に見えるくらいしっかりとわかるの、ほんとうに凄いな、と思った。愛すみれさんに限らないことですけれども。

 

映像にメンバーのイラストと写真が映り、メンバーがポーズをキメながら皆がメンバーを愛称で呼ぶ。ああ、ここ、本当なら客席も\あーこ!/て、めいっぱい声をだして呼ぶところだったんだろうなあ。心のなかでいつも叫んでたよ。

ここ、\だいもん!/て呼ばれたとき望海さん、永久輝くん作の雪組ポーズしてたよね。あれ雪組ポーズだよね。

 

サザンの曲て円盤化したときカットされない?大丈夫?望海さんの、「A、A、come back again!」のところ大好きなので音声差替えしないでほしい。もし断腸の思いでしなければならないときは望海さんの別の歌でお願いします。望海さんの歌を望海さんの歌で差し替えるスタイル。

歌の終わりに皆で静止、ポーズ。望海さん、真顔からの、ニヤリ顔。ここ好きな顔。

 

ご挨拶。最初は、この流れでここでMC?と思ったけれど、望海さんが今の気持ちを真っ先に私たちに言葉にして伝えたいと思ってくれたのかな。3月22日の東京公演千秋楽から約半年間、コンサートが延期になり、卒業公演が延期になり、公式から映像等のいろいろな供給はあったけれど、望海さんから直接、この間にあった様々なことについてやその気持ちを聴くのは初めて。再会したら、ちゃんと言葉にして伝えたい。そんな望海さんの誠実さが世界の果てにまで伝わるようなご挨拶だった。

望海さんが自粛期間中、エアコン新しく取替えた、と言っていて、え!私も!私もエアコン新しくした~!と、ちょっとおそろいだな、て…それだけですけど。

MCに入るときの声がちょっと高めで、どきり、としてしまった。今までも千秋楽挨拶のとき不意に「あやちゃん」が顔をみせることはあったけれど、それともちょっと違う、完全なる男役声ではない、男役に成るまえの声と云うか…、公演を経て楽が近づくうちにいつもの聞きなれた声に戻っていた気がするのだけれども。何せ望海さんも舞台の上で男役として観客に向かって話すのは久し振り、こちらも客席から舞台の上の望海さんを観るのは久しぶりすぎて、何だかいろいろと、感情がざわざわとして、正気じゃなかった。私が、です。

 

元気なZOOM BOYS!とZOOM GIRLS!そして望海さんと観客、いつだって僕らは。

このとき歌う望海さんの背後に、皆が思い思いのメッセージを公式ペンライトに記してアクションしている映像が映っているのだけれど、目の前では望海さんが歌っている。映像も見たい…しかし生身の魅力に抗うことが出来ない…、故に、BDに全映像完全収録して下さい。映像だけを収めた1枚が欲しいです。

 

SHE BANGS。翔くんの夢女になる1秒前です。深くかぶった帽子の下の大きな瞳からウィンクが飛んできたときは「殺られる」と思いました。「ちょいS」と云うコピーは翔くんには似合わないのでは?翔くんはSじゃないよな、と思っていたのですが、SどころかSSSですよ。SステキS最高S屍になる。SSSです。

ちなみに、歌詞がけっこうきわどいのですけれど、翔くんは全部の意味を理解して歌っているのだとしたら翔くんは本気で一億総彩凪の夢女にする気なんだな、てことでいいんですね?????

 

洋楽にうといのでまったく知らなかったのですが、ケルティックなこの歌は何と云う歌なのだろう、とても好き。宝塚ではあまり聴くことのない曲だな、と思っていたら友人が、エド・シーランの「Nancy Mulligan」と云う曲だと教えてくれました。昔、宗教の違いで結婚を許されなかったエド・シーランの祖父と祖母が駆け落ちをした。だけれど今までも、そしてこれからもずっと二人は幸福でありつづけることでしょう、そう云う歌詞の歌でした。アイルランドとイギリスの戦争と宗教の歴史が垣間見える歌です。そんな祖父母の昔語りを聴いて育った自由な現代に生きる孫が、祖父母のロマンチックな物語として、クラブで女の子たちに歌って聞かせているような、そんなイメージの場面。

曲も物語があってとても好みだけれど、この歌を歌う望海さんの声、歌声が格別に、とても好きで好きでたまらなく耳から離れないので、いつでもどこでも聴くことができるように音源が欲しいです。もう欲しがりになってしまって困る。

娘役さんたちの振付もアイリッシュダンスぽくて好き。横一列に並んで足をクイッ、と持ちあげてから爪先で床に半円を描く、そして顔の横で手のひらをひらひら、ってするのとってもコケティッシュ

 

望海さんに思いっきりカブってくる諏訪くん。望海さんに構って欲しくてちょっかいだしてくる、望海さんに追いつきたい追いこしたいと思いながらも憧れている少年と、それを、まだまだおまえには早いよ、もうちょっと大人になったらな、的にかるくあしらう望海さん。ねえ、こっち向いてよ!とばかりに望海さんのスーツの裾をひっぱる諏訪くんに、大人の余裕の微笑で、やれやれ、って顔する望海さんが、いきなり諏訪くんの腕をぐいっ、て引っ張ったとき、え?!何するの?ちゅーでもするの?!ちょっとドキッとしてしまった。(悔い改めよ)望海さんは諏訪くんのおでこを指で、ツン、てしたのでした。捏造はいってますけど事実しか書いていません。何となく、望海さんと諏訪くんの関係ってこんな感じかな、と思いました。これは完全に願望ですけどね。

 

とても、おさえた、低い声で、重く、静かに、水底からゆるやかに水がわきでるように歌いはじめる。うつりゆく音の流れがとても自然で、息をするように歌う望海さんの音域は地獄の底から天空の果てまであるのでは、と思う。それにしても背景の「ノ ゾ ミ」が気になって仕方がない。舞台セットにカタカナを仕込むのは齋藤先生の趣味なのか。

 

煌羽様に、「悶え苦しむがいい!」と言わせたかったための場面なのでは。

ショッカー軍団がちゃんと、「イーッ」って言いながら登場したのが二重丸。

ダーティLEO様に群がるダーティLEO軍団の図はまさに、そうそうこう云う煌羽様が見たかったむしろ煌羽さまの日常ってこうなんでしょ。我々の考える煌羽さまそのものでしたね。

いろいろな特撮などの要素が混在していると思うのだけれど、私は映画『パタリロ』を思いだしました。原作は履修済みだと思うけれど、映画も齋藤先生ぜったい好きだから観て下さい。(私信)

 

もっさいコートにマフラー巻いたなんかかわいい人でてきたー!冴えない青年探偵設定かと思いきや、客席や舞台の上の娘役ちゃんにむかって「かわいー!あ、あのこもかわいい!」などと言いながら投げキッスしまくっていて、わりとモテモテくんぽいところをみると、何だけっこうパリピ設定なのか?(ジュリ~!!!)と思ったのだけれど、いや…、もしかしてコレは、ほんとうはかわいい女の子だーい好きでモテたいけど実のところぜんぜんモテない男子の妄想…?何だかその設定の方がしっくりクる気がする。だかしかし、そんな冴えない探偵NOZOMIの正体は、謎の正義の味方として巷で大人気の怪傑ZOMIなのであった!ほんとうはめちゃくちゃカッコよくて可愛いのであったー!

いやほんとにマフラーふりふり振りまわしながらスキップするNOZOMIくんめちゃくちゃかわいいのでこれでお芝居一本観たいです。あの髪型もとってもかわいいの。おでこ隠れているコトってあまりないから…。

NOZOMIがZOMIに変身するときの映像がキカイダーみたいなことになっているのだけれど、え、NOZOMIくんてもしかして、人造人間なの?アンドロイド?望海さんにアンドロイドの役を演ってほしいと云う私の夢が叶っちゃった…?

怪傑ZOMIのお衣裳は水さんのZOROのときのお衣裳なのかな、と思ったけれどちょっとキラキラしすぎかな…闇にまぎれこめない…。

ZOMIに倒されたダーティLEO様を手下の悪者ちゃんたちがちゃんと起こして手を引いて下手にはけていくのを見てにこにこした。LEO様慕われている…。

星空の下、ひとり怪傑ZOMIが歌う。誰かの幸福の為に闘うHEROの幸せは何処にあるのか、そんなHEROの孤独、切なさと憂いはEDの風景そのままで、構成がとてもいい。スタッフロールが見えたよ。提供はBANDAI

サヨナラだけが…、…人生なん、て…♪吐息で歌うような、あの、タめ…、イヤホンで聴いて直接耳に入れたい。

 

バブリ~!私はバブル世代ではない。バブルの恩恵もバブル崩壊の憂き目もこの身で感じたことはないけれど、それでもその残像は後の世の様々なカルチャーに見ることが出来た。たぶん齋藤先生もそのクチだと思う。俺が考えるバブルってこんな感じ、そんなバブリー。

 

でた。SSSの男、SHOW-彩凪。あんな衣裳着て素で格好良いと思える人なかなかいないよ。もう彩凪翔か南条晃司(by尾崎南)かってくらいよ。翔くんの音がしそうなウィンクは一撃必殺のリーサルウェポンだ。100万$の黒曜石の瞳にピジョンブラッドに濡れた唇…、夜のNEO-TOKYOはSHOW-彩凪の帝国。どこのクラブも顔パスでVIP扱い。そんなカイザー・SHOW-彩凪。実は政財界の大物の御曹司なのだけれど、母親は正妻ではなかった。その母親が亡くなったあと、本家に引取られたのだが、そこには正妻の長男、咲奈がいたのであった…。

 

VIP客はお店が発行したプラチナカード的な名刺を持っていて、それを店の入口で意気揚々とまわりにみせつけるように掲げて入る。組子がギラギラした簾の中から自分の名前を記した名刺をイキりながら画面にむかって見せる映像、そんな当時のディスコやクラブの様子を再現した構成になっていて面白い。観客も、出演者の名前と顔が一致するので親切。

 

皆のバブル仮装どれもステキだけれど、華蓮エミリちゃんが圧倒的優勝です。特にあの完璧なソバージュ!そしてあの前髪をいかに立たせるかに皆、命をかけていた、前髪で勝負は決まる。

煌羽くんは、普段着ですね。もしかしたらパジャマかもしれない。

沙月さんはちょっとイイ女系の、夜の六本木は顔パスの業界人。あのスーツは絶対にヴェルサーチね。アクセサリーはシャネルで統一。

みんな自分に似合う設定のお衣裳で、流石。ほんとタカラジェンヌはどんな服も着こなしてしまうのすごい。

 

渡辺美里はまだ青くて、哀しくても嬉しくてもいつもほんのすこし傷ついていたあの頃の歌。私が、と云うか、そう云うティーンエイジャーたちの歌だった。

すわんちゃんのポーズ、渡辺美里のアルバムのジャケ写を忠実に再現していて、うわー!てなった。

 

齋藤先生はキューティハニー大好きだよね。うすうす気づいてたけど、もうバブル関係ないよね。完全に選曲が、僕が考えるバブルっぽいもの。になっている。

 

バブルと云うより90年代のヤンキー文化みがある望海バブル風斗さん。「I LOVE YOU SAYONARA」望海さん、こんな声もでるんだ…、さっきまでと歌い方と云うか、声の種類、声の質感、声をだしているところがぜんぜん違うじゃないですか…。極上のヴェルベットが砂まみれになってザラついた感触がまとわりつくのに、肌にのこるのはうるわしいほどのなめらかさ…、みたいな、そんな声。抉られる。背景の映像はヤンキーだけど…。このときのアイドルっぽいお衣裳好き。ジャケットの裏地が浅葱色で、デジャヴ。

 

学園天国。楽しそうにジュリ扇ふりまわす望海さんがかわいい!!!銀橋をわたりながら学園天国を歌う望海さん!もう!かわいい!最高にかわいい!!!!!学園天国マジでバブル関係ないけどもはやそんなことどうでもいいかわいいかわいい望海さんのかわいいがバブル…。もしダメならこの僕は、もう!グレちまうよ~♪のところの、「もう!」の言い方が可愛い!!!

 

愛すみれさん、ソロで銀橋渡り!いい~!いいなあコンサートと云う演目のいいところ、齋藤先生の演出のいいところ、って娘役さんが大活躍するところだよね。本公演ではひとりで銀橋を歩く演出になかなか巡り合えない娘役さんが銀橋をひとりでわたる。とてもいい。そして、この演出が可能になったのは、大劇場で公演をすることが出来たからだと云うことに気付く。

 

フラミンゴカラーのふわっふわでキラキラなお衣裳で銀橋をひとりでわたる、野々花ちゃん!最高!!!

 

国内外にプライベートビーチを100個(それ以上は数えるのやめた)もっていそうなLEO様。星加くんはそのうち男も女も泣かせそうなKIKENな感じがする。煌羽くんの弟子感ある。桜路くんは不動産たくさん持っていそう。歌舞伎町の裏帝王だな。

 

諏訪・彩海・真地。なんかぜったいトラブル起きそうな組合せじゃない?諏訪くんのジャケット、タンチョウヅル柄…?すごく気になった。そして私もそれ着たい。彩海くんはお姉さま(血縁関係ではない)から月100万くらいお小遣いもらってるでしょ。真地くんは闇金の鉄砲玉で真っ先に大阪湾に沈められるけど何故かちゃっかり助かってしまうアンラッキー・ラッキーボーイ。…やっぱりバブル関係ないな…。 

 

映像で手拍子指導してくれる親切さ。声が出せない観客の代わりに「キャー!」て黄色い声も文字で入ってる。FU-FU-FU-FU-!!!て言いたかったなあ。それそれそれそれはヲタ芸みあるけど。サングラスはずしたら噴出しちゃうほどあどけない目をしたアイツ♪て誰のことだろうね???私は咲ちゃんを思いうかべました。(セルフアンサー)

 

世界でいちばん望海風斗!!!!!世界でいちばん愛してる!!!!!

 

NOZOMI MEGA ZOOM BANDの紹介。生の音。コンサートだから出来た、生のバンドによる演奏。宝塚は生オケが魅力のひとつだった。それが叶わない今、これはとても贅沢なことなんだと、あらためて感謝した。

 

翔くんからジュリ扇を受けとる望海さんのアクションも公演毎に違っていて、もうこう云うひとつひとつ全部をのこしてほしい。

 

翔くんの優しい歌声が力強く背中を見護ってくれるような、そんな「愛は勝つ」。振り向いたとき翔くんが、頷いてくれたら、けっきょく最後に勝つのは愛だな、て信じられるよね。

 

突然のマジック。上手から望海さんが現れたとき、なんとなくヴィクトリアン・ジャズを思いだしたよ。あ、望海さんがマジックをするのではなくて、望海さんはイリュージョンできえちゃう美女役なのね?了解です。あの手品、あやしいところはあるものの、ぜんっぜんわからないんですけど。ハァーイ!って箱からとびだしてきたのはひまりちゃん!望海さんがひまりちゃんになっちゃった!どっちもかわいい!!!そしてさっき箱のなかに入ってきえちゃった望海さんが下手からセリ上って登場!ふっしぎー!

 

「小雨降る径」と云えば、ベルばらのデュエダンですね。私は湖月さんと朝海さんのデュエダンが忘れられません。あれは小雨と云うより、血雨降る径だった。あんな肉食系肉なデュエダンみたのはじめて。

 

黒燕尾!ちゃんと黒燕尾も入れてくれて有難う、齋藤先生。こう云うスタンダードな宝塚をビシッ、と入れてくれるところ、好き。

 

今回のコンサートで凪望に目覚めそうだわ…。

 

翔くんの歌ではじまるのがいい。あの翔くんの、たゆたうような歌声が、観客を旅へと誘ってくれる。望海風斗の宝塚人生の軌跡をたどりながら旅をする、そんな歌。その旅は過酷で、ときに厳しく、導いてくれた先人はいつしかいなくなり、前を歩くものは誰もいない、道なき道を歩く、そう、道は自分で創らなければならなくなった、歩く、歩いて、歩いて来た、その果てに待つものは…。卒業を目前にして、望海さんの宝塚と云う世界の旅は終ろうとしている。もうゴールは近い。そのゴールを前にして、希んだものは手にすることができたのか。自分は、何を希んでいたのか。自分のなかに問いかける。確かに、手にしたものは、ここにある。でも、まだ、自分さえも知らないノゾミが、何処かにある。ゴールの先の、その、向こうにあるもの。まだ誰も知らない、世界が、待っている。まだまだ、「ノゾミ」は終らない。「ノゾミ」は、これからも永久につづいてゆく。

…いろいろなことがめぐって、じん、としてしまった。

「何が欲しかったの?ノゾミ、」まるで望海さんが自分で自分の名前を呼びながら問いかけているみたいで可愛いですね。それにしても自分の名前を連呼するってどう云う気持ちなんだろう。「ノゾミ」は汎用性のある言葉だからいいけれど、「サイトウ、サイトウ、悶え悶えたサイトウ」て言ってるようなものだよ。

君は誰?夢?それとも現?懐かしそうに、手をさしのべる望海さんに微笑む、ひまりちゃん。今回ひまりちゃんと組むことがおおくて嬉しい。パーソナルブックの、不思議そうに望海さんのことを見ていた女の子は、今、素敵な娘役さんになって望海さんのコンサートで共に舞台に立っているよ。

 

PE’ZのAKATSUKIで男役、娘役、全員での群舞。黒燕尾と黒ダルマがグラデーションのように入り混じる、その舞台は壮観。舞台中央に立つ望海さん。望海さんを仰ぎ見る組子たち。ノゾミ、ノゾミ、ノゾミ…、「ノゾミ」ていい言葉だな。未来に希望を感じる、まだ見ぬ、私の「ノゾミ」自分さえもまだ知らない、「ノゾミ」が、ある。この未来の、どこかに。

 

一幕、終。 

 

【二幕】 

プログラムの「アヤナギ先生」表記を見て、アヤナギ先生―?!学園ものキた…!ヲタクは学パロとか大好きだから!放課後とか課外授業とか大好きだからー!BL学園みたいなのを想像していたのです。BL学園とは、BびっくりするほどLルックスがいい学園のことです。そう、そう思っていたのです……………。まさかああくるとは思わなかったよね。あれ、元ネタちゃんとわかる人どれだけいるんだろう?もはや何のパロだか解らない若人もたくさんいるよね客席大丈夫?ポカーンとしてない?!?!

とりあえず、ふうこちゃんが美少女すぎてスベってましたね。あれはわらかしの場面なのだろうけれど、笑うどころか恋に堕ちたわ。学園のマドンナじゃん…。え、あのラヴレター、煌羽くんにわたすつもりだったの…?お父さん、許しませんよ。煌羽くんはダメです。あんなダサ眼鏡かけて草食系ぽくみせかけてるけど、あれは奴の本性ではない。初デートにさらっと一泊温泉旅行計画するような男よ(※9/18下級生トーク参照)もう危険なカンジしかしないよ煌羽…。アヤナギ先生、しっかり指導して下さい。アヤナギ先生は生徒に手をだしたりは絶対にしないと思う。ふうこちゃんからのラヴレターも(本当はアヤナギ先生宛の手紙ではなかったのだけれど…)自分を先生として慕う生徒からのファンレター的な意味で受け取ったのだと思うのです。アヤナギ先生への信頼があつい。

真地くんの学ラン姿が現役中学生にしか見えない。サッカー部。円満な家庭で何不自由なく生活していたけれど、突然の両親の離婚。大好きだった父親の浮気が原因だった。自暴自棄になって悪い友達と付き合うようになりグレかけるも、アヤナギ先生に救われ、心新たにやり直すことを約束するのであった…。いかにも金八にありそうな設定ですね。私の捏造ですけど。

 

このアヤナギ先生、いっけん、様子がおかしく見えるのだけれど、結論として、翔くんは何をやってもかっこいいな…。に落ち着くので、結果、キューティクルがすごいものごっつかっこいい人でしかなかった。

翔くんの関西弁を堪能できると云う充実のサービス。

愛すみれ先生が保健の先生のイメージにぴったり。どんな極寒ネタのコントも愛すみれさんなら何とかしてくれると云う安心感がある。

黒板(ホワイトボード)の落書も毎公演違っていて楽しい。アヤナギ先生の顎に容赦ない106年雪組の生徒たち。これ絶対に毎回写真に撮っている人いるはずなので、これらの写真や修学旅行や運動会などの楽しい想い出を収めた106年雪組の卒業アルバムだして下さい。

ノ、ノ、ノゾミの大爆笑♪キレッキレの翔くんのダンスが素晴らしいですね!

金八からのドリフ。もう齋藤くんは昭和から戻ってくることが出来ないの…?

 

愛読者大会か。(伝わる…?)「風呂じゃねぇよ!」の望海吉村さんがかわいい。望海さんに何させとんじゃヨシマサて思ったけど。(ヨシマサにソッと袖の下)

 

貧乏と云う境遇から生まれる様々なことをネタにする、それは古典やその他の作品にもよく見られる、さほどめずらしくないこと。だけれど、何故、このコントのなかで「貧乏」と云う言葉にザラついた感覚を覚えたのか。「貧乏」と云う言葉を殊更に強調して笑いのネタにする、そこに何の意味も感じなかったからかもしれない。貧乏をネタにするとき、その根底に潜む悲哀を理解し、そのうえで悲哀を笑いに変えることで強さとする。それをまったく感じないネタに、不快感を覚えてしまった。それはまるで何ひとつ苦労をしたことのないマリー・アントワネットが「貧乏ごっこ」をしているかのようだった。役者の熱演が素晴らしいだけに、それを軽くネタにしてしまった演出家の罪を考える必要がある。あと、「貧乏役者」と云う肩書きがなんか嫌だなあと思ったよ。これは個人の感覚にすぎないのだけれど。

上記については人それぞれの捉え方、感じ方があると思います。

「ババァ」というのは絶対にやめてほしいと思った。あそこで「ババァ」と云う言葉を使う必要性ある?あきらかに「ババァ」なんて言わなさそうな登場人物に「ババァ」と言わせるその意外性で笑いを誘おうと云う意図なのだろうけれど、笑えないよ。そこには、『星逢一夜』の泉は「ババァ」なんて言わない、キャラ崩壊にも程があると云う憤りもある。

 

ワンスも20世紀も決してお金持ちの役ではなかったと思うけど…、まあゴージャスといえばゴージャスだったな。

 

だから!泉は!そんなことしないよ!もはや泉ではないのかもしれないけれど、「桔梗かよ!」あの美しい想いでの花を、そんなふうに扱ってほしくない。何かめんどうくさい原作厨みたいなこと言ってる気がするけど、パロディにはパロディの矜持と云うものが存在するのだ。そこにリスペクトを感じないパロディは許容できない。

これ、石田先生、上田先生や生田先生にはどうやってお話したんだろう。ウエクミせんせい大丈夫なんかな、怒らんかったのかな。

演者にはなにひとつ悪いところはない。むしろその演技は最高で、おもしろかった。演出家の意識の問題です。

 

 

花束さんのお誕生日だった日の公演では、「お前、今日お誕生日だろう、入るか?」と熱湯風呂をすすめていた鬼おっとう。花束息子ちゃん、「ううん、いい」あっさり笑顔で断る。ぶーけちゃんハピバ!

 

「おっとう、頑張ってたんだねー」等々、息子たちにほめられて、「そうじゃー」てイイ気分になっている望海吉村さん。うん、ほんとうにおっとう頑張ってたもんね。でも、それに驕ることなくひたすらストイックに生きてきた吉村さんが「頑張った自分」も「パリで歌を歌っていた自分」も「かっこいい自分」も全肯定しているの、なんかにこにこしちゃったな。調子にのってる吉村さんかわいい。

 

突然のロベスピエール。突然、歌いだすその歌声のクオリティが高すぎてビクッ、となるよね。ギャップ激しくて笑った。

 

マシンガン持った彩凪土方さん。浅葱色のだんだら羽織と機関銃。(セーラー服と機関銃みたいに言う。)

 

めんどくせえめんどくせえと言いながらめんどくさがって何事もやりとげない、ゆるーい翔くんも趣があって良い。四連休フルに活用しそうな翔くんが、「何もしなかった寝てた。」とか言うの最高じゃない?そんな凪様も好き!

 

この現代で、「純日本人」と云う言葉を使ってくるところ、ワザとなんか?と思うほどに目も耳も閉じすぎじゃない?どれだけ世間から隔絶されたお城に住んでいるのだ…。宝塚は夢の世界だけれど、この現実に存在し今を生きている劇団なのだから、しっかりと目をかっぴらいて耳をすましてほしいなと思う。

齋藤先生のショー大好きだし、演出家としての齋藤先生の作品も好きなんだよ。

その時代では問題とされていなかったことでも、時代が変われば、その問題が浮き彫りになり、考えを改める必要があると云うこと、創る側も観る側も理解しながらエンターテインメントを楽しみたい。

 

嫌な思い出しかないソファの上で、かわいい芸者さんにかこまれて調子にのってる吉村さん。調子にのった吉村さんかわいい。よかったね吉村さん(にこにこ)。

 

雪の精、千早真央ちゃん&麻花すわんちゃんとオスカーおじさんが降臨した望海吉村ロベスピエール貫一郎さんの漫才、毎公演違うネタ披露しているのほんと面白いしすごい。めっちゃ早口長台詞で雪の精ちゃんズにお説教するオスカーおじさんが降臨した望海吉村ロベスピエール貫一郎さん。そのお説教を右の耳から左の耳へとうけながす雪の精ちゃんズ。

ある日ね、この雪の精ちゃんズが例のソファの上で一緒にならんでおててをぎゅ、って恋人つなぎしてめっちゃイチャイチャしてたの。もうすっごいかわいい!んだけど、そんなとこでそんないちゃいちゃしてたらヌードルスさんの怨霊がでてきちゃうよ!?ヌードルスさんがデボラといちゃいちゃしたかったのに出来なかった呪いのソファ…。

 

リリー・ガーランドが「名前を言ってはいけないあの人」みたいな扱いになってる。20世紀号に乗って…ほんとうに都市伝説になってしまったな…。 

ところどころに20世紀号に乗ってのパロをみかけるとフフッ、てなる。20世紀号楽しかったな。

 

オチどうするのかな、あ、これオチないやつだ。どうすんだろう。まさかタライ落ちてきたりしないよな?セットが壊れたりとかしないよな?!(ドリフの定番オチ)結局、トップスターさまの「かわいい」がオチでした。ちゃんちゃん。

ヴェートヴェンが裕福なイメージまったくないけどね!

 

望海さんは喜劇も出来る…、ほんとうに喜劇役者としても最高じゃない…?雪組子もみんな最高におもしろかった!コメディもっとたくさん演じてほしかったなあ。『20世紀号に乗って』が都市伝説公演のようになってしまった今、望海さんの喜劇はツチノコ級になってしまったから、望海風斗の喜劇を観ることが出来たこと感謝したい。齋藤先生、有難う。

 

世界観180度変わって、白いお衣裳の煌羽くんと野々花ちゃんが上手、下手から登場。すっごいキラキラしてる!まさに、これぞレビューの幕開き。今、このときからレビューが生まれる。

 

Aver.は主に花組時代のメドレー。途中、89期生初舞台のロケットが入る。89期初舞台ロケットのお衣裳、ハートモチーフでとても可愛いかった。今回、そのお衣裳は着ていないけれど、かわりに手でハートをつくる望海さんがかわいい。

 

TAKARAZUKA舞夢!をチョイスするあたり、望海さんのコンサートだー!てかんじがする。

 

CONGA!!テンションあがるー!CONGA!!キた!てなった瞬間、スッ、て背筋が伸びたもん。眼もカッ、てなった。すべて黒い太陽のせいさ~CONGA!!拙者CONGA!!大好き芸人でござる。

 

オーシャンズ11からは「JUMP」。ベネディクトのテーマじゃないんだ?!「愛した日々に偽りはない」でもなくてJUMP!お前は飛べる、きっと飛び越せる、どんな壁もどんな崖も、JUMP!歌詞がコンサートにピッタリ。まさに、『オーシャンズ11』でベネディクトを演じた望海さんは壁をJUMP!して飛び越えた感があった。その飛び越えた先が、今、なんだよね。しみじみ。

 

Mr.Swing!…TAKARAZUKA∞夢眩…、蘭寿さん無双。

 

雪組生のEXCITER!!新鮮―!EXCITER!!と云えば花組の顔。ナウオンで望海さんが、「雪組の皆はちょっといやかもしれないけれど、」的な事を言っていて、望海さんもいろいろ考えるところがあるのだろうなあ、と云うか、望海さんすごい気ぃつかい屋さんだな…。でも、大好きなEXCITER!!を大好きな今の雪組で観ることができて、嬉しかった。雪組には雪組のEXCITER!!があった。

 

太王四神記』から「チュシンの星の下に」。望海さん新人公演初主演作品。当時そのままに、銀橋でひとり、歌う。これほんとCSで放送しないよね。版権…、BD収録は大丈夫だよね。

 

春野さん時代から、真飛さん、蘭寿さん時代の舞台を中心に、望海さんのタカラジェンヌとしての軌跡をたどりながら、望海さんを育んだ花組時代をめぐる旅のようなメドレーだった。春野さん、真飛さん、蘭寿さんにもこのコンサート観てほしいなあ。あの下級生だっただいもんがこんな立派なトップスターになりましたよ。

それにしても、藤井ショー率高くない…?“!!”だらけだわ…。

 

望海さんも組子も、皆、純白のお衣裳で、その煌めきが眩しくて、そしてすこしさみしくなった。

 

Bver.は、雪組トップ時代を中心としたメドレー。聖海くんと羽織さんが、夜が明ける瞬間のような照明のなかで「ひかりふる路」を歌う。やがて、舞台中央から“彼”が現れる…。セリ上がりが使用できるのも大劇場ならでは、だよね。やっぱり革命の寵児、ロベスピエールの登場はこうでなくては。

 

望海ヌードルスと諏訪ヌードルスのデュエット。本役さんと新公役の子がいっしょに、おなじ役の歌をデュエットするなんてそうそうないことだよ。映像には、本公演の映像と、新人公演の映像。東京公演では上演することができなかった『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の新人公演。どれだけ悔しかっただろう。私も手元にあるチケットをみつめて泣いたよ。観たかったよ。何だか、いろいろな願いが救われた世界がそこにはあった。

望海さんが諏訪くんをまっすぐみつめる眼差しは慈愛に満ちていて、諏訪くんはその望海さんを懸命に、ひたむきにみつめている。こうやって、受け継がれてゆくのだな。

 

DIARY。彩海くんのカゲソロで望海さんがひとり、踊る。ひろい、大劇場の舞台はすべて望海さんのものだった。なにか、いろいろな公演を想いだすような振付だった。望海さんのダンスは潔い。足の爪先から指のその先まで、魂ぜんぶで踊る望海さんのダンスが大好き。

 

Cver.寸劇のあと、月から降るひかりのしずくが人のカタチになったかのように、真彩希帆さん登場。

 

「You Raise Me Up」

Youは真彩ちゃんのことだよ。こちらこそ、いつも真彩ちゃんに勇気づけられている。

 

「輝く未来」ようやく、めぐりあえた大事な人…♪で、望海さん静かにセリ上り。月に雲がかかったような仄暗いなか、振向くとそこに月あかりがさしたようにライトが当たる。ここで。この歌詞の。このタイミングで。なんて粋…。

望海さんと真彩さんのデュエット。この世で、これほど自分とぴったりと合う歌声を持つ人とめぐり逢えるなんて、なんと云う幸運。と云うか、強い力をもったふたりがおたがいを引き寄せたのだろうな。そしてふたりとおなじ時代に生まれた私たちにも、その力のひとかけらがあるのだ。ようやくめぐりあえた、大事なコンビ。(と、そのトップコンビにめぐり逢えた私たち)

真彩ちゃんを背中からぎゅ、と抱きしめて、その腕のなかに在る存在の愛おしさを感じるようにふるふるとゆれたの、百花先生…素敵な振付を有難うございます…。さすがももさり姉さん…。最高に幸せな気持ちになった。

 

望海さんと真彩ちゃんのトーク。自分の言葉ではっきりと、まっすぐに言葉を発する真彩ちゃんのトーク大好き。聴いていて気持ちがいい。なんかふたりの距離がぐん、と近づいていて、ああ、今、トップコンビとしてとてもいい関係が築けているんだろうなあと思った。夢夢しいデュエットがなかった?私にはいつだって夢だったよ、ふたりのデュエットは。

 

私は、トップ娘役が相手役であるトップ男役が卒業を決めたとき、同時に卒業することを、美しいカタチ、として賛美することに苦い思いをしていた。添い遂げ、と云う言葉もきらいだった。同時退団をしないと、娘役は居座り、図々しい、空気が読めない等言われ、叩かれる。そう云う風潮が嫌でたまらなかった。娘役には娘役の人生がある。キャリアがある。昨今、男役よりもずっと下級生のまま、娘役はトップに就任する。トップになった娘役の宝塚人生はどうしても短くなってしまう。もっと娘役として舞台で活躍する姿を観たかった。娘役ファンとして、それを願うのは何もおかしなことではない。勿論、娘役さんが自分で選んだ道がいちばんであり、心から同時退団を望むのなら、その決意を尊重したい。それと同時に、同時退団を選ばなかったとしても、その意志を尊重したい。すべては、「自分の意志のままに、決めてほしい」そして、選んだ道がどんな道であっても、周囲がその決断についてとやかく言うべきではない。だから、トップ男役のファンである自分は、絶対に、相手役の進退について何かを言うことはしないと決め、そして、その娘役がどんな道を選んだとしても、心からエールを贈りたいと思っていた。

真彩さんは望海さんと同時に卒業することを選んだ。真彩さんが100%自分で選んだ道ならば、嬉しい。大事なのは、「自分で選ぶこと」。

真彩ちゃんの娘役としての舞台を、もうすこし観ていたかったと云うのも本音だけれど、さまざまなめぐりあわせで今このときがあると云うことも、幸福だと感じている。

 

『ME AND MY GIRL』ランベスウォーク。真彩ちゃん、両手でスカートをクイッ、と持ちあげて胸をそって顎をあげた瞬間、「サリーだ!!!」純白のドレスが一瞬で赤と白のキュートなワンピースに見えたもん。

望海さんのビルすてきー!

ミーマイではランベスウォークがいちばん好き。

 

一瞬で、空気が変わった。最初の音が鳴った瞬間、きた…、息を呑んだ。「私が踊る時」望海・真彩で『エリザベート』の上演を望んだ事はないけれど二人の「私が踊る時」を聴いて、このふたりがどうトートとシシィを演じるのか、とても観たくなった。今までいろいろな役者が演じてきた、それぞれまったく異なるトートとシシィを観てきた。望海真彩が『エリザベート』の世界をどう解釈して演じるのか。今、とても興味がある。このふたりの『エリザベート』が観たくてたまらない。

 

ボン・ヴォヤージュ!の声で、舞台は一変。ピンク色のお衣裳で組子が勢ぞろい。SUPER VOYAGER!やっぱりこの歌好きー。あの日を想いだすよね。いろいろな組子にワンフレーズ、ソロがあるのもいいなあ。

 

望海さん、ピアノの弾き語り。「Music is My Life」このコンサートもりだくさんだな。

望海さんの横顔があまりに美しく、その眼差しの真摯さに、魅入ってしまう。譜面を目で追いピアノを弾く様子は、他ではみたことのない、望海さんの表情だった。ピアノを弾く為にあったかのような、望海さんの指の美しさよ。

 

給水タイム。日替わりでメンバーたちがお水を持ってきてくれる。ごくごく望海さんを見ることができる。このとき使用するタオルハンカチは望海さんグッズのもの。毎回違う。あ、今日は黄色だ。今日は緑。私も公演の時は望海さんのタオルハンカチを持っていくので、色がカブるとちょっと嬉しい。

 

他メンバーを呼んでのトークタイム。こちらも日替わりメンバー。

真地くんの「チャーハン事変」は神回だった。望海さんによる真地くんと彩海くんの真似が上手い。特に彩海くんの真似。くまの〇―さん級の事件だと思う。そして、汗っかきの真地くん、塩分補給は大事だけれど、それよりも血圧が心配だよ。雪組はほんとに爆弾がいっぱいいるね…。

煌羽くんの、「望海さんとデートするならどんなデートプランを考えるか」と云うお題の、ガチの設定にちょっと退いた…(笑)いや、ちょっと…、離れようか?(NZMセキュリティ隊出動)

 

一般公募でリクエスト募集した歌の上位を披露。

「ひとかけらの勇気」『スカーレット・ピンパーネル』

めちゃくちゃ気持ちよさそうに歌うなー!お芝居のなかで歌うと、また少し違う歌になるのだろうな、と思うから、望海さんで観たいものがどんどんふえていってしまう。

「かわらぬ思い」『ブラック・ジャック 危険な賭け』

望海さんが間黒男を…!(違う)この歌、大好き。望海さん、ヤンさんのビデオたくさん観たんだろうなあ。

「愛の旅立ち」『ザ・レビューⅢ』

望海さんが歌うその背後に、望海さんの今までの舞台の映像が映される。いきなり貧ちゃんで、ちょっと歌の重厚さとのアンバランスに笑ってしまう。望海さんの舞台人としての幅の広さと厚さに感嘆。

 

組子がNZM!!Tシャツやパーカーを着て登場。みんなきれいに着こなしている。翔くんが片袖だけ、グッ、とめくりあげていて、二の腕からの肩まで披露してくれた。美しい。

 

ぜったいクるのはわかっていたけれど、それでもリクエストしたかったからした!ENDLESS DREAM!!!望海さんも大好きな『BLUE MOON BLUE』、そして齋藤先生とくればこれはもう…満を持しての。これほど望海風斗の宝塚集大成に相応しい歌が他にあろうか。いや、まあ他にもたくさんありますけど、これは聴きたかった。歌いたかった。最初に着ていたお衣裳で望海さん登場。思えば、あのお衣裳(ポスターのお衣裳ね)は、ENDLESS DREAMのための衣裳だったんだな…。

お化粧を変えているわけではないのに、さっきまでとぜんぜん違う顔をしている。劇場ごと、空気ごと、世界ごと、歌のなかの世界に変えてしまう。望海さんの歌は物語。

 

また安寿さん時代の歌だー!ハイパー・ステージ!望海さんが宝塚の何を観て宝塚ファンとしてすくすく育ってきたのかがわかる選曲だなあ。

 

BMB主題歌。ゆらゆらとゆれる、圧倒的存在感の檀れいさまの赤い花が観えるよう。このコンサート、マミさんにも観てほしいよ。

 

夢は世界を翔けめぐる。これ、確か東上しなかった作品で、映像で観たのだけれど、主題歌とてもいい歌だよね。併演の『花の業平』は東上したのだけれど(そのときのショーは『サザンクロス・レビュー』)望海さんに演じて欲しかった日本物のひとつです。もうひとつは『紫子』これはグラフ誌上でちょっと夢が叶った…。

 

「ミレニアム・チャレンジャー」どうしてこの曲を入れたのだろう、て最初は思ったのだけれど、歌詞を考えると、このコンサートのテーマでもある、未来や希望、出逢いを感じる歌だった。でもこの歌でいちばん好きな歌詞は“愛の反対 無関心!”です。その通りだよな。1000days劇場公演最後の公演で、私的にもとっても思い入れのある公演でした。

 

「Joyful!!」望海さん、縁がありますね、この歌。水さん時代の雪組の歌。

 

幕が降りそうになるのをストップ!させて、ちょっと息をきらせた感じで望海さん、「もう一曲歌いたいよね~?」何曲でも何十曲でも永遠に聴いていたいです!!!

あんなに歌って踊って、ひとつも息乱れてないよね、望海さん。どんな肺してるのだろう。神に愛されし肺…。

 

例の齋藤先生作詞のNZM!!主題歌を全員で。映像にはお稽古場風景。映像も観たい!でも、目のまえに在る望海さんも観たい!!

望海さんの、やったー!やりきったー!笑顔。最高。

 

映像にはお稽古の様子と、スタッフロールがながれる。あれは、公演が延期になると決まった最後のお稽古の日の映像なのかな。こんな映像まで見せてもらってもよいのだろうか。望海さんと雪組メンバーの大切な時間を、私たちにも見せてくれて有難うございます。つらかった、哀しかった、不安だった時間もすべて、救われたような気持ちです。この、NOW!ZOOM ME!!に。

 

何かの役を演じるのではない、望海風斗という舞台人を魅せるコンサートという世界だから、男役という枠から自由になっている望海さんも在て、だけれどもやっぱりこの舞台の上に在る望海風斗はどこまでも宝塚の男役だった。この至福を感じる事が出来るあとすこしの時間を大切に、大事にしたいと思う。

 

 

アンコールは、「夢をあつめて」CDで何度も繰り返し聴いた歌をやっと生で聴くことができた。望海さん、NZM!!Tシャツにジャケットを羽織って登場。腕をださないところに望海さんの男役としての矜持をみた気がする。

もう一度、メンバーを呼んで、ご挨拶。

 

最後、ゆっるーい感じで、「ばいばーい」てタオルマフラーを手にした望海さんの映像がお見送りをしてくれます。

 

終演の挨拶も、英語で望海さんが「今日は有難う!また来てね!」はい!また来ます!ずっとずっと、望海さんの舞台を観ていたい。このコンサートこそが、ENDLESS DREAM。

 

 

終。

 

いきおいだけで書きました。でもあと100倍くらい書きたいことある。 

 

 

感想文 雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』第二幕。※ネタばれアリ。

 

マックスはヌードルスがデボラにフラれたことをどうやって知ったのだろうか。たぶん、デボラのために冠を注文したりうっきうきで薔薇の手配をしていたりリムジンをレンタルするヌードルスの姿を目にしていただろうから(ヌードルスは隠すつもりないしいろいろダダもれだから)翌日、遅い時間に事務所へやってきたヌードルスを揶揄いながら、デボラとはどうだった?とか訊いてしまい、事の顛末を知ってしまったのではなかろうかと云うのが予想です。掛け算的な思考をおりまぜようと思えばいくらでも出来るのですが自重します。マックス的にはふさぎ込むヌードルスを何とか元気づけようと思って、ハバナdeヴァカンス計画をたてたのではないのかな。

 

このあたりのエピソード、映画版だと、デボラと別れた傷心のヌードルスはしばらく仲間たちと連絡もとらず事務所へも戻らない無断欠勤状態だったところ、フラりと事務所へやって来たらマックスに、ヌードルスがいないあいだ自分たちの仕事がどれだけ大変だったかと無断欠勤を咎められ、更に女ごときの事で云々とデボラの事に触れられたヌードルスは、「マックス、お前だって女(キャロルのこと)を事務所に連れこんでるじゃないか、」と反論する。その反論にマックスは激怒。

「俺はこんな女なんかに惚れていない!いますぐ追いだしたって構わないんだ!!だが、お前はあの女に本気で惚れている、だからダメなんだ!!!」

マックスの本音でた。このときのロバート・デニーロヌードルス、“マックスが何でそんなに怒っているのかわからない”ぽかーん顔をしていて、この反応、望海ヌードルスでも容易に想像出来る。何かよくわからないけどマックスが怒っているので、いいよじゃあ出ていくよヴァカンスにでも行ってくると部屋を出てエレベーターで階下へ降りビルの外へ出ようとしたとき、速攻でエレベーターに乗ってヌードルスを追いかけて来たマックスに呼び止められ、「俺が悪かった、俺もいっしょにバカンス行く、」変わり身早ッ!なんなんマックス…どんだけ拗らせてるのよ…恐いヨ…。

 

ハバナ祭。色のない世界から絵具をチューブからだして無造作にぬりたくったような色のあふれる世界へと舞台が一転する。いつだって鈍色の空しかみえなかったニューヨークとおなじ空がつづいているなんて思えない、そこはぬけるような青い空がどこまでもひろがる楽園だった。朝美キャロルにちょっかいをだす諏訪くんに、俺の女に何すんだ的に攻撃するマックスはふつうの彼氏みたいな顔をしているけれど、それは楽園の魔法にかかっている瞬間だけにみせる顔、そう、キャロルは知っていた。でも、それでも嬉しい。とか、キャロルは思っていそうで、つばの広い帽子からのぞくキャロルの顔がほんとうに幸せで楽しそうで、このときの記憶はキャロルの心のずっとずっとおくに、大切な想いでとしてしまってあったのだろう。

 

エヴァにナンパされるヌードルス。最初は拒むけれど、あの、南国の太陽をいっぱいに浴びて咲いた花みたいなエヴァの笑顔に心が少し、ゆるんだのか、彼女の差しだすグラスを受けとる。

テキーラが入ってるのか?!」

え、何、お酒入ってないと思ってたの?じゃあ、マンゴージュース呑むつもりだったの?このウェイウェーイなマイアミで??ヌードルスちゃん、ほんとにギャングなのかな…。

すっかり酔いつぶれてエヴァに介抱されるヌードルスヌードルスお酒弱すぎない?「俺はまだ帰らんぞ、」ここは新橋か。

ホテルまで送っていくからとエヴァに支えられ(普通これ逆じゃない???)、思わず、デボラ、戻ってきてくれたのか、とエヴァにしがみつき口走ってしまう。ヌードルス、女房に逃げられたおっさんにしかみえないんだけど…、このあたり、じゃっかん(小池先生が)設定見失ってる気がするよ…。

エヴァもこんな酔っぱらったおっさんの相手をよくしてくれたなあ。ふつうだったら途中で放り投げて帰るよね。でも、まあ、何かから逃げるようにお酒を呑んで自暴自棄になっているヌードルスを見捨てられない気持ちはわかる…、捨て猫を拾ってしまった感じだろうか。「ねえ、もうかえろうよぅ、」呆れたように、こまったなあ、でも放っておけない、そんなふうにヌードルスの顔をのぞき込む彩エヴァ。このときの彩さんの唇がとってもキュートで、こんな唇が触れるほど近くにあるのに、ヌードルスおじさん…紳士とか云うレベルじゃないだろう。ヌードルスエヴァ。この先ずっと一緒にいたら、もしかしたらヌードルスは彼女のことを少しは好きになったかもしれないな、と思った。

マックス登場。エヴァと“よろしくやっている”とヌードルスを揶揄うが、エヴァがデボラの名前をだした瞬間、顔から笑顔が失せて、目には苛立ちがみえる。いつまでもデボラを忘れられないヌードルスへの苛立ちか、ヌードルスをこんなふうにしてしまったデボラへの苛立ちか、ヌードルスのなかでデボラを超えられない己への苛立ちか…。

そんななか、禁酒法撤廃の知らせが届き、マックスたちの未来に陰りがみえはじめる…。

 

撮影が終了し、サムと暮らしている部屋へ帰るデボラ。デボラはニックに、サムとの暮らしぶりを話す。まるで皇帝のような暮らしだ、とニックは驚嘆する。サムと豪勢な生活を共にしているデボラは、まさに皇后になったようだ。だが、デボラが欲しかったのはそんなことなのか。プールのある豪邸?何人もいるメイド?それは全部、サムが彼女にあたえたモノ。彼女が自分で手に入れたモノなんて何ひとつないのだと云うことを、デボラは気付いているのか。デボラは必死になって掴んだ夢に眼がくらんでいる。でも、デボラがどれだけ必死にここまで昇りつめてきたかを知っているからその愚かさを責める気にはなれない。

ニックはどこまで気づいていたのかな。でも、もし気づいていたとしてもニックは何も言わないだろう。幼馴染という立ち位置的にはデボラへなんやかやと忠告するキャラになりそうなところを完璧にスルーしているのは、意図してか、特に(小池先生による)設定が無いだけか。なので、私は勝手にニックの設定をもりもり考えている次第です。

「映画は成功するさ!だって僕が書いた曲が大ヒットするから!」ニックとデボラ、手をとりあって子供みたいにはしゃぐの、綾さんと真彩ちゃん~同期~!てカンジで可愛い!デボラはニックと一緒にいるときがいちばん楽しそうで幸せそう。この二人のあいだに恋愛感情がまったく無いの、完全なる男女間に成立する友情と云うかんじでとてもよい。この先、ずっと一緒にいたとしてもこのまま一生、二人の関係は変わることはなかっただろう。

 

家に帰ったら何かすごい人おった。

デボラが帰ってくることを知っていて、見せつけるためにデボラのガウンを着て、彼女が吸わない莨を吸って、さもこの部屋の主のように振舞う、星南ベティ。

「西部のワイルド・ビューティ!バァーン!!」

この、バァーン、が、もう星南さんにしか言えないバァーンだろうなって感じで耳にのこってクセになるバァーン。言ってみたいセリフナンバーワンだけど、あのバァーン☆は星南さんだけのもの…。

『西部のワイルド・ビューティ』どんな映画なんだろう。お色気たっぷりのキュートな美女がウェスタンの荒くれどもを手なづけて、すっかり良い子ちゃんになった野郎どもは街の皆を守る正義のナイスガイたちに生まれ変わる的な。『マンハッタン・エンジェル』とだいたい同じだな。

星南さんの胸のドーランがちょっと濃すぎておもしろ谷間になってしまっているのだけれど、むしろいいのか。あのキャラはあれでいいのか。

煌羽サムに紫煙を吹きかけ、それをサムがちっともイヤそうじゃなくイヤがる、そんな二人の姿を見ているデボラに、しらじらしく声をかけるサム。この、紫煙を手ではらいのけるときの煌羽さんのエッチさよ…。

「ハリウッドは俺の帝国だ、おまえたちはそこへやってきた捕らわれの姫なんだよ、」

そう、そのことに気付かなかったデボラ。サムの名のもとにデビューして、彼に何もかも与えられて、そして彼に愛された、それを全部自分の実力で手に入れたと思っていたのだとしたら、デボラは愚か以外の何ものでもない。でも、デボラもどこかでほんとうは気づいていたのかもしれない。だけれど、自分の力ですべて手に入れたと思いたかった。サムは実力のある役者としての自分をビジネスパートナーとして必要としていて、そして女としても愛していると、自分にはそれだけの価値があると、そこまでの存在になれたのだと、思いたかった。でも、サムは自分の才能を認めてくれていたわけではなかった。その現実はデボラの自信を打砕くには充分だっただろう。愛を失ったと歌う真彩デボラの姿に、薔薇の海で溺れながら愛の終焉を歌うヌードルスの姿がかさなった。夢をみて、夢にやぶれた二人の魂は、おなじだった。

星南ベティもいつかサムに捨てられるだろう。でも、ベティはそんなこと最初から解っていたと思う。利用され利用する関係をすべて理解したうえでサムに近づいたベティのしたたかさがデボラにはなく、デボラは純粋すぎた。デボラはサムのことを愛そうと、愛していると思っていたかもしれない、でも、デボラの心はいつも別の何処かにあって、サムの腕のなかにいてもサムを見てはいなかった。そのことに、サムは気づいていたのかもしれない。

「俺を利用しようとする女は愛おしい、俺の庇護を得ようと媚びてくる女も可愛い、でも、お前は、何の駆け引きもなく俺に愛されていると思い、そして純粋に俺を愛していると思っている、なのに、俺の腕のなかでお前はいつも別の誰かのことを夢みていた、俺を見つめながら俺のことを少しも見ていない女より、俺を利用しようと俺にしがみついてくる女の方がマシだ、俺をバカにするな、」

煌羽サムの言いたかった全文は以上です。(二次創作)

 

サヨナラ禁酒法

禁酒法のお葬式と云う悪趣味なパーティでスピークイージーの栄光の終焉を惜しむ人々。禁酒法のおかげで甘い蜜を吸っていた人々にとって、禁酒法の撤廃はまさに自分たちのお葬式を招きかねないと云う自虐的なシャレ。

 

刹那の享楽に耽る人々の影で、彩風マックスと彩凪ジミーの密談。金を融資して欲しいとジミーにもちかけるマックス。

「…今度うちの事務所に来てくれ、皆がいない真夜中に…見られないほうがいい…、」

は?????誰もいなくなった真夜中の事務所に??来てほしい???何言いだすの翔くん…いえ、凪さま…ちょっと体温3度くらいイッキにあがったわ…。

「君は、こんなところへおいておくのはもったいない男だ、」

トドメの殺し文句。マックスは、自分には才能があると思っていた。生まれた境遇のせいでその才能が活かせないだけで、自分はあの摩天楼の頂点に立つにふさわしい男だと信じていた。そして、それを誰かに認めてほしかった。その、何よりも欲しかった言葉を、ジミーはマックスにあたえたのだ。マックスはジミーこそ自分の理解者だと思ったのだろう。それがジミーの手管だと見抜くことも出来ずに。

マックスに背を向け下手へ去ってゆくときの、彩凪ジミーの不敵な微笑。「チョロいな、これでマックスは俺の言い成りだ、」そんな微笑。まさに、「計画通り」新世界の王になるつもりなの…凪さま…そんな顔もできちゃうなんて…凪さまには果てがない…。

 

共有財産を資金にして不動産を買って事業を始めようと提案するヌードルスに、摩天楼を買おうとして資金が焦げ付き逆に借金が出来てしまったことを告げるマックス。何勝手なことしてくれとんじゃ、と怒りたいところだけれど、スピークイージーで稼ぐことが出来なくなって不安になっている仲間に、俺が摩天楼のビル買っといたからもう安心だぜ!て言いたかったのかな、マックス。自分の才覚を信じて、その力を皆にも示したかったのかな。誰よりも不安で、焦っていたのはマックスだったのかもしれない。そう思うと…、いや、やっぱ、何してくれとんじゃワレ、て言いたいよな。アポカリプスのみんなは優しいね。

 

連邦準備銀行の襲撃はお金のためと云う以上に、アメリカの権力の象徴ともいえる連邦準備銀行の襲撃に成功すれば、それは憎いアメリカへの復讐を果たし、アメリカに勝利したことを意味する。マックスは、俺は少年の日に誓ったいつか力を持てた時このアメリカに復讐すると…、そう歌う。復讐を誓った少年の日。それはまさに、ヌードルスを救えなかったあの瞬間なのではないだろうか。

ヌードルスもあの日から自分の運命を呪いながら生きてきた。そしてマックスとおなじくいつかこのアメリカに勝利すると誓った。いつか、この昏闇から脱けだして陽のあたる場所へ出ると。マックスの成しとげようとする復讐では、陽のあたる場所へでるどころか出口のない更にもっと深い奈落の底へと堕ちるだけだとヌードルスはマックスを諭す。アメリカを憎み、自分たちを虐げてきたアメリカに復讐し勝利する。二人の願いはおなじなのに、二人の歩こうとする道は違う。

どうしようもなく憎い国、憎んでも憎み切れない、それがアメリカ。アメリカ憎いソングはラヴ・ソングのようにも聴こえる。憎くて憎くてどうしようもないけれど、ほんとうは愛されたかった、この、とてつもなく大きな国に。この国に認められこの国の人間として生きたかった。でも、この国は自分たちを拒んだ。愛されなかった子供たちは、そのやりきれない哀しみを憎しみに変えるしかなかったのだ。

マックスがキャロルを殴るたびにムカッ、とするけど、彩風さんは上級クズ男の役が何故かけっこう似合うな…と思ってしまいいささか後ろめたい気持ちになる。

「女にフラれていつまでもひきずってるおまえとは違う。」

ヌードルスの地雷を踏んでしまい、ヌードルスちゃん激おこ。二人のあいだにはいってとめる真那コックアイがいつもの真那さんだった。真那コックアイさんの苦労がしのばれます。

ヌードルスに、狂ってる、と指摘され、

「そうだ俺のオヤジは病院で狂い死にしたんだアメリカを呪いながらな!俺にも遺伝しているに違いない!」

これがマックスの闇なのか。父親の吐く呪いを幼い頃からずっと聴かされ、そして狂いながら死んでいった父親の姿に、自分の未来の姿を視てしまったのか。自分にも狂気の血が流れている、その血をときどき自分のなかに感じて、マックスは恐れていたのか。

父親が呪っていたアメリカに勝つことで、マックスは父親の呪縛から解かれると、そう思っていたのかもしれない。

「おまえは鋭すぎるんだ、」

このヌードルスの言葉、マックスのことをとてもよく解っていると思った。鋭すぎる魂の切っ先は、繊細で、そしてとても脆い。感じなくてもいいこと、視えなくてもいいもの、すべてを感じ、視てしまう、そんなマックスの鋭さを、ヌードルスはずっと危惧していたのかもしれない。

こんなに解っているのに、お互いのこと、理解していたはずなのに。どうして二人は道を違えてしまったのだろう。

 

連邦準備銀行を襲撃する。真那コックアイはそれがどれほどのことか理解していて、でもこうなったらもうやぶれかぶれだ俺の人生はしょせんこうさ、的なポジティブな諦念を感じ、縣パッツィは、何だかよくわかんないけど何かすっげえことするんだなオラわくわくすっぞ!悟空的無敵さを感じる…。

 

何とかしてマックスを止めようとマックスに喰ってかかるヌードルスと、もうどうにもならないところを超えて腹を括ってしまったマックス。お互いの眼から視線を逸らさずに強く睨みあいながら、まるで視線と視線で殴りあっているような激しさ。奈落からヌードルスを見下ろす彩風マックスと何とか地上へ引き上げようとマックスを見上げる望海ヌードルスの、ここの身長差がいい。個人的に、望海さんと彩風さんの身長差に滾ります。

二人のあいだで仲裁役として翻弄される真那コックアイと何か二人が喧嘩してるよどうしよう縣パッツィ。アポカリプスの四騎士ってちょっと図体が大きくなった悪ガキなんだよね。

真彩ちゃんもお気に入りの、足でカウントをとるような…このときの望海ヌードルスの振付、私もお気に入りです。

 

キャロルの願いの身勝手さに腹立たしくなる。キャロルはマックスのことだけを考えている。マックスを失うのが恐い、それはキャロルの弱さであり、キャロルがマックスのことを護りたいのは自分を護ることでもあるからだ。でも、そんなふうにしかつながれない、そんなふうにしか愛せなくても、まぎれもなくキャロルはマックスを愛していて、心から想っている。その剥きだしの痛々しさに、私がヌードルスであっても、心が揺れるだろう。

キャロルが自分で密告すればいいのでは?自分が密告したことがバレたら確実にマックスは自分を捨てる。マックスに嫌われたくない。ずるいなあ、と思うけれど、そんなキャロルのずるさが愛おしいとも思う。

そんな捨てられるのが恐くて震えている仔犬みたいなキャロルに犬エピソードまで聴かされたら、ヌードルスだって真剣に悩んでしまうよ。ヌードルスだってマックスを失いたくないと思っているのだから。でも、友であるマックスを裏切ることもしたくない。キャロルもヌードルスも、何がマックスの為なのかを真剣に悩んで、そして、だした結論だったのだ。

 

誰にも相談できない、解決しない悩みに、ヌードルスは神を求める。いままで神なんて信じた事もなく、その存在を感じた事もなかった。むしろ神などいないと思っていた。でも、ヌードルスにはもう、何もなかった。何もかもを失ったとき、神は現れる。最期の砦にしがみつくようにヌードルスは祈る。自分が罰を受ける事など恐れはしないけれど友を騙し陥れることが恐い。ヌードルスにとってはそのほうが銀行を襲撃するよりもずっとずっと罪深く、恐ろしいことだったのだろう。天上からひとすじさす光のような照明のなかで歌う望海ヌードルスの姿は一枚のイコンのようだ。姿なき神にすがり、激昂する望海ヌードルスは内臓を吐きだすように歌う。その歌は、歌と云うよりも魂をなげうって慟哭する祈りのようだった。

 

ちょっとダビデの星を連呼しすぎだなと思うし気がついたらセットもダビデの星だらけで、ちょっとカジュアルに使いすぎででは…。

 

棺の中に隠したダイナマイトが気になって仕方ない縣パッツィ。チラッチラと棺を見ながらそわっそわしてるのもう挙動不審以外の何者でもない。ついに我慢できずに、

「これがダイナマイトだー!」「馬鹿野郎、そんなもんしまっとけ!」

ここのやりとり、ただの真那さんと縣くん。めっさ雑にダイナマイトを扱う縣パッツィ。何か縣パッツィを見ていると、密告なんかしなくても計画は失敗したんじゃないかな、て思えてくるよ…。

 

「新しい女に今夜は行けないと電話してくる、」

新しい女と云うパワーワード。無理すんな、ヌードルス。何かを察したようなキャロルの顔。部屋を出ていくヌードルスに視線をやりながらキャロルを抱くマックス。それぞれの思惑が交差するように、盆が廻り、舞台はアポカリプスの四騎士たちの事務所へと変わる。

 

電話の前で煩悶するヌードルス。受話器を手にとり、ダイヤルを廻す。相手は、“新しい女”ではない。警察に密告し受話器を置いたヌードルスの前にマックスが現れる。動揺するヌードルスは机の上の書類をバッサーと落とすのだけれど、全部豪快に落とすときもあれば一枚しか落ちないときもあったり、思ったより遠くにとんでいってしまったりするときもあって、毎回、何気に気になる書類の行方。それを慌てて拾うヌードルスの手を掴み、「…手が汗でびっしょりだ、」ヌードルスの緊張と焦燥を指摘するマックス。

「恐いならこなくてもいい、」その手の汗の意味を、銀行を襲撃する事への緊張と恐怖だと思っているマックスはヌードルスに足手まといだと言放つ。

「恐くなんかない、俺はムショ帰りだ、」ヤンキーの虚勢みたいな言い訳をするヌードルス。その動揺の、真の意味を悟られないように。隙をついてヌードルスを殴り、気絶させるマックス。このときのマックス、ちゃんとヌードルスの身体を抱えて、そっとソファに寝かせてあげてるの、まあ、マックス的にはそのまま投げ捨てておくのが正解なんだけど、舞台上で役者(望海さん)を投げるわけにもいかないからなのだろうけれど、その彩風さん(notマックス)の手がとても丁寧で、もしかして、マックスってばヌードルスを危険なことに巻き込みたくなくて、ワザと…?と、ついマックスの優しさを信じてしまいたくなるのでした…。

それにしてもヌードルス、ちょっと弱っちくない…?あながち、足手まとい、ってのも解る気がするな…。

 

 

ゲスい警察真知くんがほんとうにゲスい。桜路フランキーと組んでアポカリプスの連中を始末する計画を企てる。この街に正義はないのか。自分たちマフィアも悪であることに間違いはないが、もっと深い闇をこの街に視た桜路フランキーの絶望を吐きだすような、「悪党が…ッ、」電話を持って立っている眞ノ宮トニーがとっても魔夜峰央の美少年顔。

 

ダイナマイトを銀行の扉に仕掛けるのはパッツィの役目。何故、そんな重要な役目を縣パッツィに???もう失敗が目に見えているのでは…。

現場に現れるフランキーの一味。何故この計画が漏れたのか。マックスの脳裏にはヌードルスの裏切りが過ったかもしれない。だとしたら、たとえヌードルスが裏切ったのだとしても今のこの状況がヌードルスの望んだものではないことも同時に理解しただろう。ダイナマイトの爆発に巻き込まれるマックスたちとフランキー一味。諏訪ダニーとんだとばっちり。

ものすごい速さで警官たちがKEE POUTの黄色いテープを貼りめぐらせサイレンが鳴る現場に記者たちや野次馬が群がる。そのスピード展開の演出が現場の混乱を臨場感あるものにしている。キャロルがマックスの名を狂ったように叫ぶ。そして、ヌードルスも…、これが神が自分にあたえた試練なのか、仲間を裏切った自分への罰なのか…、嘆きながら後悔と自責の念と、絶望へと堕ちてゆく。ヌードルスのやることがすべて裏目にでてしまい、神は何故ヌードルスにこんなにも業を背負わせるのか…いくら望海さんの苦悩する姿はたいへんおいしくてもあまりにもこれはつらすぎる…。

 

世間にこの顛末はどう伝えられたのだろう。密告により銀行襲撃を知った警察はマフィアたちを阻止すべく現場へ向かい銀行襲撃は防ぐことが出来たが爆発が起きてしまい、犯人であるマフィアたちはその場で全員死亡してしまった。そんなところだろう。キャロルはマックスの死が自分のせいであると感じ自責の念から、そして哀しみと苦しみから逃げるように記憶を失い、まだ何も知らない子供のころの世界へ閉じ籠ってしまった。

 

なんだかんだとファットモーのことを頼りにしているヌードルス。実際、橘ファットモーさんめちゃくちゃ頼りになってる。

現場にヌードルスがいなかったことに気付いたフランキーの一味はヌードルスの居場所を聞きだそうとファットーモーを拷問する。ヌードルスはファットモーを助けたあと、ひとまずチャン・ダオの阿片窟へ隠れる。映画版にでてくるこの阿片窟の、表の顔である劇場の猥雑さは阿片窟よりも妖しく淫蕩な雰囲気であった。

 

ラヂオから連邦準備銀行が襲撃されたニュースが流れてくる。そのニュースに耳を傾け手をとめるジミーの事務所へ火傷を負ったマックスが現れる。ジミーは瞬時に、連邦準備銀行襲撃とマックスの火傷を関連付けることが出来ただろう。そこでフ、とある疑惑が生まれた。

もしかして、マックスの連邦準備銀行襲撃の背中を押したのはジミーなのではないか。真夜中の誰もいない事務所で、マックスは実行するともしないともまだ何モノでもなかったぼんやりとした連邦準備銀行襲撃の計画をジミーに話す。ジミーは、君なら絶対に成功すると、マックスの自尊心をくすぐりながら計画の実行を促す。ジミーとしては、マックスたちが成功すれば金を得たマックスたちの力をバックにすることが出来る、失敗しても自分は損をするわけでもなく何の影響もない…、まさに、自分の手を汚さずに、あわよくば甘い蜜を吸うことが出来るのだ。

あまりにもジミーの手際が良すぎて、ジミーはこの事態を予想していたのではないだろうか…、こうやって偽装したこともはじめてではないのかもしれない。彩凪ジミーの魔性がとどまるところをしらない…。

怪我をした彩風マックスの姿はちょっと私のナニかに刺さりました。ちょっと丸尾末広みある…。

 

阿片窟で、天国を思いうかべるんだと言われたのに悪夢をみるヌードルス。阿片で苦痛を忘れ快感を得るはずが子供の頃の嫌な思いでから最新の嫌なことすべてをフルコースで思いだすヌードルス。この阿片不良品なんじゃないの…。

ヌードルスを悪夢へと誘う天使の笙乃さん。その愛らしく純潔な姿とはうらはらにその存在はとても狂気に満ちていてグロテスクだ。背中のうすい皮膚を突破った奇形の骨が翼のようなカタチをしている、異形のニセモノの天使。大きく見開かれた瞳は玻璃珠のよう。機械仕掛けの天使はにっこりと微笑んで鋼鉄のマシンガンをヌードルスに手渡す。もう、このときの笙乃天使が全部好みすぎて…乱歩の世界から抜けだしてきた剥製みたい。

綾ニックが望海ヌードルスの腕をピアノの鍵盤に見立てて弾くのがエロテッィクだなと思いました。望海ヌードルス、君を弾いたらいったい君はどんな音を奏でるのだろうね…?

エヴァの冷酷さが記憶にのこるくらい印象にある。ひかりふる路の「最高存在の祭典」での彩リュシルもそうだった。幼子のような愛らしさが一変するその落差を彩さんは魅せるのが上手いなと思う。

とかく演出家は望海さんを苦悩させたがるふしがある。翻弄され喘ぐ望海さんがそんなに好きなのか。まあ好きですよねそれは全人類共通認識です。

望海ヌードルス総受シーン、映画版ではこのシーンに該当する場面で、ヌードルスは謎めいた満面の笑みをその顔にうかべている。その笑顔の意味は、映画では明確にはされていない、謎のままだ。

 

追手がやってきたと知らされ逃げるヌードルス。寝ても悪夢、覚めても悪夢。駅のロッカー363を開けるが、そこには何もなかった。逃亡の為の金が無くなったことと共に、友の誰かが裏切っていたと云う事実がヌードルスを殴りつける。これが、罰なのか、友を裏切り死に至らしめた自分への、神があたえた罰なのか…。信じていた友の裏切りを、自分への罰として受けとめるヌードルス。恨むのは友ではなく、裏切り者の自分。金も、友も、すべてを失ったヌードルスは、ただ罪だけをその身に抱えて嘆く。その望海ヌードルスの自分を鞭打つような嘆きは世界が終わる断末魔のように聴こえた。

 

新人賞を受賞したデボラへインタビューするマスコミ。久城さんも舞咲さんもこれでもかってくらい超イジワルなカンジがかえって好感持てる。沙月さんの、「ハリウッドにのこるんですかぁー?」(ブロードウェイの田舎に帰れば?)みたいな裏の声が聴こえそう。

取り乱すことなく、記者たちの意地の悪い質問に気丈に答えるデボラ。記者たちは新人賞のことなどに興味はなく、ゴシップに関心があるのだ。役者としての自分は彼等に必要とされていない…、サムの事以上にその事実に打ちのめされるデボラ。そんなデボラに、「強くなったね、」と声をかけるニック。送って行こうかと言うニックに、「一人で帰るわ、いつまでもあなたに甘えていたくないから、」とこたえるデボラ。「わかった、じゃ、」それだけ言ってニックは去ってゆく。この、余計なことは何も言わない、普段通りのいつものニック。その存在がデボラにとってどんなに居心地が良かったか。でも、もうその居心地の良い場所に甘えていることは出来ない。それはデボラの覚悟だったのだろう。これ以降、ニックは姿を現さない。もしかしてニックはデボラの守護天使だったのではないだろうか…。いつでもデボラを見護っていた天使はデボラが自分の足で歩いて行くと決めたそのときに、役目を終えたのだ。だってあまりにも綾ニックが天使すぎて…。

 

もうすでにデボラは夢に破れ夢に挫折し、いまにも頽れてしまいそうになっていた。女優を引退する考えはもう既に彼女の頭の片隅にあったのだろう。弱い、デボラはあまりにも弱すぎた。純粋で、美しく高潔すぎて、穢れることに耐えられない程に。負けないで欲しかった。独りで生きる、愛のない日々が待っている…、そんなふうに絶望をして欲しくなかった。このときのデボラは、苛立ちさえ感じるほどに歯がゆくて、そのすべてを諦めてしまった背中が、どうしようもなく哀しかった。大暴れして愛の幕引きを慟哭の如く謳った望海ヌードルスと寂しさと哀しさに打ちのめされて灯が失えるように謳う真彩デボラの対比が、これから彼等が歩んでゆく人生そのもののよう。

 

再び、現代のファットモーダイナー。

野球の勝敗を賭けようともちかけるファットモーに、賭け事はやらない、と断るヌードルス。どこまでも健全な小市民を貫くヌードルス。それは昔、彼が成りたかった、このアメリカで普通に生きる普通の人の姿そのものであり、彼は今、はからずもその“普通の人生”を満喫しているのかもしれない。

ラヂオからベイリー長官のスキャンダルのニュースと、かつての仲間だったジミーの演説が流れる。銀橋に現れた壮年の彩凪ジミー。歳はとっているものの、その眼光の不敵さと、魔性はまだまだ現役。

そこで、ヌードルスはベイリー長官から誕生日パーティの招待状が届いたことをファットモーに告げる。そしてファットモーはキャロルがいるサナトリウムもベイリー財団が経営していたことを思いだす。だんだんと、カードがそろってきた。いくらなんでもヌードルスだって気づく。ヌードルスは人の気持ちには鈍いけれど、頭は“切れ者”なのだ。

 

サナトリウムを訪れるとき、ちゃんと上着の第一ボタンをしっかりとめる望海ヌードルスの細やかな芝居。相手に対するヌードルスの敬意を感じる。

キャロルのはじめての面会人に喜ぶ早花院長の紹介と共に、記憶を失ったキャロルが現れる。かつての艶やかさは少しもなく、車椅子に沈んだ身体は痩せ細り、虚ろな瞳は光を失っていた。手にした赤い薔薇が妙に浮いている。色のないメイクに目の下に作られた疲労感ただようクマが、かつてのあのキャロルとは思えない、朝美さん化けたな。目の下のクマのお化粧も、大劇場と東京公演では変化していて(東京公演ではより自然になった)役作りに余念がない。言い方があれかもしれないけれど、朝美さんの、自分の美貌に胡坐をかかない、徹底した役作りに毎公演、役者魂を感じる。

辛かったことをぜんぶ忘れてしまったキャロル。幸福だった子供の頃の記憶しかないキャロルの人生はどんな人生だったのだろう。マックスと出逢う前も、つらいことがたくさんあったのだろうか。そしてマックスと出逢い、今度こそ幸せを掴めると思ったのだろうか。ヌードルスの問いかけに反応してハバナ祭の歌を口ずさむキャロル。つらいことをすべて忘れてしまったキャロルの記憶のずっとずっとおく深く、きれいな箱にサテンのリボンをかけて大切にしまっておいたハバナの想いで。望海ヌードルスの優しい、愛しむような歌声はそのリボンをそっとほどいた。キャロルのなかによみがえってくるハバナの熱い夜と幸せだった時間。しかし、幸福な想いでは瞬く間に悪夢へと変わる。煙と炎で何も見えない何も解らない、そしてすべてが失えた、あの瞬間がキャロルを襲う。

膝をつき、キャロルの顔をのぞき込んで歌う望海ヌードルスの歌声は、世界でいちばん優しい歌声だった。キャロルをみつめる望海ヌードルスの眼差しには、わだかまりなどひとつもなく、澄みきった慈しみに満ち々ていた。

サナトリウムへ慰問にやってきたデボラと再会したヌードルスの嬉しそうな、ほんとうに何事もなかったかのように只々、嬉しいと云う笑顔。あそこであの笑顔ができる望海風斗さん!!!打ちのめされた。むかしと少しも変わらないヌードルスの笑顔はどれだけデボラの心を抉ったことだろう。会いたくなくて、そして会いたくてたまらなかった人は、もうすっかりと変わってしまった自分を、あの日とまったく変わらぬ笑顔で見つめている。それはどれだけ、残酷なことか。

「幸せ?」

「少しは、…君は、」

「…少しは、」

ゆっくりと、自分の人生を見つめるように答える二人。“幸せ”が何かも解らないけれど、きっとたぶん、おそらく、いま生きてここに在ることは“幸せ”なのだろう。

 

薔薇の花びらを土に埋めたとしても…、薔薇の花びらが散るように歌う望海さんの歌声は、花びらが雨の降りそそぐやわらかい土にこぼれるように、劇場という空間に歌声の花びらを降らす。赤い薔薇は望海さんの歌声そのもののように赤く、狂おしく、そして哀しくヌードルスの手からデボラの手へ、そして観る者すべての胸へと捧げられた。

二人は今も、おたがいを愛している。それはもうずっと、解っていたことだけれど、薔薇の花びらを土に埋めたとしても花が咲くことはないように、愛のひとひらを心にうめたとしてもふたたび息づくことはない。二人の時間はもう二度と戻らないことも、解っていた。

そんなセンチメンタルな空気から、推理もののような雰囲気へと一変する。

ヌードルスの静かな問いは、このばらばらになったパズルのピースをひとつひとつ埋めてゆく。ベイリー長官とデボラの関係を指摘するヌードルス。自分が誰と愛し合っていても関係ないと冷たく言い放つデボラ。そこには、絶対に知られたくない秘密を守ろうとするデボラの必死な思いがあった。知られてはいけない真実。すべての人を傷つける真実。ヌードルスも、自分も、そしてベイリー長官も。だがおそらく、ヌードルスはこのとき既にベイリー長官の正体に気付いていたのだろう。それは幻のような真実。でも、すべての符号が合い、たどりつく真実は、其処しかない。

患者の杏野さんが病弱な深窓の令嬢みたいでハウス名作劇場のヒロインみがある。杏野さんのキャラ設定が背景に見える役のヴィジュアルにはいつも注目している。

マックスはどういう思いでキャロルを自分が支援するサナトリウムに引き取ったのだろう。ヌードルスのようにキャロルのことも探したのだろうか。そうして見つけだしたキャロルは記憶を失っていた。つらい記憶を思いださなくてすむのならその方がいいと、キャロルには姿をみせないまま、償いつづけることを決めたのか。キャロルの愛がどれだけ深いものだったかをマックスは思い知ったことだろう。後悔してもしきれないほどに。劇中ではマックスがキャロルに言及することはない。けれど、そこにはヌードルスとデボラの物語とおなじくらい、尽きせぬ物語があったのだろう。

 

ハッピィバースディ!ベイリー長官ソングはベイリー長官の疑惑を皆が揶揄する歌。彼の支持者として招待された誰もが彼の潔白など信じていない。ここの久城煌羽同期のいちゃいちゃは大事なところです。見逃さないように。

 

ベイリー長官の部屋ではジミーがこの部屋の主より尊大な態度で足を組んで椅子に座っている。俺がローワーイーストサイド出身のお前をベイリー長官に仕立て上げた…、なんかそうやって言われるとちょっとマイフィアレディみたいだよね。彩凪ジミーが彩風マックスを立派なベイリー長官に調教する過程をもっとくわしく知りたいです。知りたいです。

ベイリー長官ことマックスはラスベガスに投資したつもりだったが、その組合の年金を融資した相手は実はイタリアンマフィアだった…。この会話だけだと、ベイリー長官、摩天楼を買おうとして失敗したあの頃とまったく成長していない、とんだドジっ子としか思えないんですけど…、それじゃあジミーが怒るのも無理ないとちょっと思ってしまう。

「もう一度死んでくれ、俺があたえた命、返してもらおう、」

彩凪ジミーさん問題発言と云う名の名言多すぎない???これ聴いたとき客席の六割はサムズアップして乳海に沈んでいったわよ…。出逢ってから今までの25年間、秘密を共有して生きてきたマックスに一欠けらの心もあたえたことなどなかった彩凪ジミー。ジミーの言葉はすべて偽りだと気づいても、彩凪ジミーに逆らえない彩風マックス。どれだけ徹底的に調教されたのやら…もう完全に言いなりじゃないの…、出逢いからの関係性が見事に逆転したジミーとマックス。そしてそれはすべてジミーの計算通り、策略によるものだった。この二人の関係性は、『スリル・ミー』を彷彿とさせる。そして、スピンオフ大好き芸人としては彩凪ジェリーによる彩風コンラッドへの復讐にも思えた。『ハリウッド・ゴシップ』の話です。混ぜるな危険!

マックスに自死を強要するジミー。そこには憐憫など塵ほども、無かった。

 

透真執事に案内され、ヌードルスはベイリー長官と会う。実はベイリー長官はマックスでした!サプライズにまったく驚かないヌードルス。まあ、あれだけヒントがあれば気づくよね。マックスも、ヌードルスのことだから途中で自分の正体が解るのではないかと予想はしていただろう。かくて二人は、再会した。

自分の裏切りのせいで死んだと思っていたマックスが生きていた。マックスは死んではいなかったと云う25年間の自責の苦しみからの解放と、生きていたことを知らないで苦しみ自分を責めていた日々の重さ。それはヌードルスにとってどちらも比べようがないものだろう。

ヌードルスの居場所を調べ上げ、実はひっそり見護っていたマックスの相変わらずのストーカー体質。ひっそりと暮らしているヌードルスに声をかけようと思ったけれど、マックスはそれをしなかった。その理由をヌードルスは、マックスの愛人となったデボラを自分に会わせたくなかったからだと思っているようだけれど、そのヌードルスの解釈とは違う意味で、マックスはヌードルスとデボラを再会させたくなかったのだと云うのが私の私的見解です。ヌードルスがデボラと再会したらきっとかつてのようにヌードルスはデボラに夢中になるだろう。そして、デボラと現在関係のある自分を憎み軽蔑するかもしれない。マックスはデボラに翻弄されるヌードルスを見たくはなかった。そして、ヌードルスに軽蔑されたくなかった。それならいっそ、このまま黙っていよう…。映画版を踏まえた上での、それが私の解釈です。

マックスは再会したデボラにヌードルスの面影を求め、そしてデボラもまた、マックスにヌードルスの面影を追っていた…、それがマックスとデボラの関係のはじまりで、そしていつしか共に暮らしてゆくうちにその関係は愛に似た情に変わっていったのではないか。

 

宝塚版にはない映画版のエピソードとして、ベイリー長官となったマックスは有力者の娘と結婚し、子供にヌードルスの本名である“デイヴィット”と云う名前を付けたと云うとんでもない設定があるのだけれど、何故、この設定を省略した。自分の子供に望海ヌードルスの名前をつける彩風マックスとか観たかったすぎて臍を噛むよ。 

安易な男女の三角関係にはしたくない。 

マックスの手にはあの日、酔っ払いから盗んだ銀の時計があった。その時計を見たとき、心臓が捩じ切れそうだった。マックスはヌードルスと出逢うきっかけになったその時計を売ってお金にかえることもせず、どんなときも大事に持っていた。はじめてヌードルスと出逢った日からずっと時を刻みつづけている時計。マックスは友情の証としてその時計をヌードルスへ渡す。既に死を決めていたマックスは、自分との時間をずっと忘れないでいてほしい、そんな思いをヌードルスに願ったのかもしれない。そして、この銃で自分を撃ってくれとヌードルスに懇願する。

「俺はおまえに殺されたいんだ、」

これ以上の愛の告白がある?

おまえのその記憶に、その双眸に、その手に、俺の死を永遠に刻みつけたい。おまえが俺を忘れたくても忘れられないように。

いささか私的感情過多なモノローグはいってしまいましたけど、そう言ってるのもおなじですよ。

彩風マックスの、望海ヌードルスを睨めつけるあの、底のみえない沼をガラス珠にとじこめたような眼。だけれども、ヌードルスはその沼に引き摺り込まれることはなかった。

「その銃を受取らないのが俺の友情の証だ」

マックスが欲しかったのはそんな言葉じゃない。ああ、ほんとうに、ヌードルスは残酷だな、と思う。誰よりも優しい、でもその優しさが残酷なのだと云うことを、ヌードルスは知らない。それが彼の最大の罪といえば罪なのかも。

俺を見捨てるのかと地に臥したマックスを見下ろす望海ヌードルスの目は、優しくて冷たくて、哀れむような、手をさしのべようとしているような、観音さまみたいな目だなと思う。

「ふたりの貧しい少年がいた、ひとりは陽のあたる道にたどりつき、ひとりはたどりつけなかった、」

ヌードルスとマックス、おたがい相手こそが陽のあたる道にたどりついた者であると思っていたのかもしれない。でも、そんなことはどうでもいい。

「二人とも、このアメリカで必死に生きた、」

そう、それがすべて。それがこの、ONCE UPON A TIME IN AMERICAと云う物語なのだ。

その答えにたどりついたヌードルスは昏い迷宮の出口から抜けだしたように清々としていた。

”もう人生を幸や不幸ではかることはしない。人生には幸も不幸もない。ただ、人生はそこに在るだけだ。”と云う、漫画『自虐の詩』の一節を思いだした。

その言葉ひとつひとつを静かに語る望海さんの声は観る毎に深く、重くなっていった。それは望海さんの芝居の変化の所為か、それとも観る自分の心の変化の所為か。舞台を生で観る快感はこう云うところにあるのだと感じた。

彩風マックスを見つめる、年老いた男の気怠い瞼と、そのおくに光る、凪いだ海のような瞳。ひとつの舞台のなかで、こんなに瞳の表情を変える事が出来るのかと、望海さんの変化、もはや進化に感嘆する。

「何もしてやれないが…、あきらめるなよ、」

マックスにとってはトドメの言葉だよね。もうマックスはとっくに諦めているのに、あきらめるなよ、と、ヌードルスは言う。自分の人生を生き、そして人生の意味を知ったヌードルスはマックスの腕の中からすりぬけるように去っていった。

…ああ、やっぱり俺はおまえに追いつく事は出来ないのだ、昔も、今も。

絶望のなか、マックスは銃の引き金を引いた。

 

映画版では、マックスの生死は明確にはされていない。観る者にゆだねるかたちで描かれている。

ヌードルスにはあの銃声が聴こえなかったと云う設定・演出もアリだなと思った。何も知らないまま、それぞれの未来がつづいてゆくと信じて歩いて行く望海ヌードルス。客席にも銃声は聴こえなくてもいい。マックスの生死を闇のなかにおきざりにして、そのまま観客に結末の行方を委ねるのもアリだった。いつまでも心の虚に風が吹いているような気持ちで物語をみつめつづけるのはいやじゃない。

でも望海ヌードルスのかわいそうさは倍率ドン。

 

真彩デボラがマーックス!と叫ぶと、どうしても一瞬、マックス・ジェイコブス@縣千の顔がうかんできてしまうの…私は『二十世紀号に乗って』を心から愛しているのであった…。

 

銃声を聞いた瞬間の、永遠につづく地獄の責苦をその身に受けたような望海ヌードルスヌードルスは本気でマックスが諦めないと思っていたのだろうか。思っていたのだと思う。そんなわけないだろどう考えても死ぬ気100%じゃんと思うけど、ヌードルスは信じていた。

 

「あきらめるなよ」マックスにかけたその言葉さえも呪いとなってヌードルスはこれからの人生を生きていかなければならない。いったいどれだけ望海ヌードルスに業を抱えさせれば気がすむのだというくらいの業をその身に背負い、ゆっくりと、荊の道を踏みしめるように歩いてゆく望海ヌードルス

かつて一度、救いを求めた神に縋り、マックスの、そして失われたすべての魂へ鎮魂の祈りを歌う望海ヌードルス。人生を振返るとそこには煌めきに満ちた青春があった。友がいて、愛する人がいて、夢を抱き憧れに胸ときめかせ、痛みも哀しみも喜びも、すべてが其処にあった。そして、それらはもう二度と戻らない。でも、それが人生だ。それが生きると云うことなのだ。自分の、そして友の、この国に生きるすべての人々の人生、それこそが、『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』。

 

望海ヌードルスの歌に、ヌードルスが生まれて、そして死んでゆくまでの物語が観えた。この舞台で語られなかった物語も、すべてが望海さんの歌のなかには在った。

 

銀橋を歩き、下手の花道へと去ってゆく、望海ヌードルスの微笑。あの望海さんの微笑を観たそのとき、嗚呼、私は凄いものをいま、観ているのだ、そう、思った。

 

幕が降りたあと、心の虚に風が吹きぬけてゆくような、そしてだんだんと身体が水底に沈んでゆくような、そんな感覚だった。無情に、時は過ぎてゆく。何があろうとも誰のもとにも平等に。握った事のないマシンガンの冷たさを手が憶えているような、ヌードルスと共に彼の人生を歩んだような2時間半だった。

 

 

幕。

 

 

おまけのフィナーレ物語。

銀橋に現れた朝美さんが、ばっさりと髪を切り、本当の姿に戻ったキャロルの姿に観えてしまい、キャロルは男の娘だったのか…。

俺は翼を失くした天使…、この翼は、マックスのこと。そう思うと芝居本編からフィナーレまで、すべてがつながっているように思えてしまい、自然とその結論へと至った次第です。マックスと云う翼を失い本当の自分の姿にもどったキャロルは、きっと自分の足で、大地を踏みしめ歩いていける。キャロルはもう、大丈夫。そう、願いを込めて。

 

望海真彩のデュエットダンスもお芝居で描かれることのなかったヌードルスとデボラのIF物語とのことですし、ロケットの縣くんもパチ子と云うパッツィの妹だそうなので(縣くん談)、そう云う妄想もアリかな、と思っていただければ!

 

フィナーレの詳細はまた別の機会に書きたいと思います。