裏庭

宝塚。舞台いろいろ。

感想文 雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』第一幕。※ネタばれアリ。

ファット・モーのダイナー。

ジュークボックスの音楽にあわせて踊る若者に苦言を呈しながら昔を懐かしむダイナーの主人、ファット・モー。あれだけマフィアに酷い目にあわされたら(宝塚版ではソフトに描かれているけれど、映画版ではめちゃくちゃ酷い目にあわされています。)マシンガンをぶっ放すマフィアたちのことを思いだすなんて懐かしいよりむしろ恐怖なのではと小市民的には思ってしまうけれど、このときファット・モーが懐かしく想いだしていたのはヌードルスとその仲間たちと過ごした青春だったのだろう。マフィアたちに捕まり拷問を受けた肉体の苦痛や恐怖よりも、あの時代を恐れなど少しもなく颯爽と駆け抜けていったヌードルスたちのほうがファット・モーにとっては鮮烈な記憶として残り、そして想いだすたびに胸に刺さる甘い棘のような痛みと昂揚となって甦ってくる。ファット・モーにとってマシンガンの音は青春の喝采だった。

 

ジュークボックスの音楽に代わって響くマシンガンの音とサイレン。舞台中央の昂みから現れる、望海ヌードルス。シルエットの完璧さを追求することにかけて宝塚は随一だと思う。スーツの裾、ハットのつば、その横顔にみえる鼻梁、莨と紫煙、そして睫毛!すべてが影絵のように完璧な輪郭で舞台に描かれる。そして、望海風斗はその舞台に描かれる輪郭が最も美しくパーフェクトなタカラジェンヌ。それぞれのパーツの美しさとその見せ方の上手さ。生来持っているものと、それを技術や経験で美しく魅せる、まさにプロのタカラジェンヌの姿。と、私は思っている。贔屓ですからね!そしてここ、毎回オペラでガン観したい気持ちと拍手したい気持ちが交差して大変。BDでは全身像と各パーツを切取ってアップにして欲しい。

神輿のように担がれて、マシンガンをぶっ放す望海ヌードルス。小池舞台のこう云うハッタリ感満載の派手さはまさにエンターテインメントの華だ。

彩風さん、彩凪さん、朝美さんと絡みあいながら翻弄されるように踊る望海さん。望海ヌードルス、この三人に思いっきり翻弄されることになるもんね。彼等と運命に翻弄されつづけるヌードルスの未来を予見させるようなオープニング。

朝美さんの、娘役化粧に男物のスーツ姿は退廃的で人間とは何か違うイキモノを想わせるように幻想的だった。悪魔的と云うか。まだ魔女になる前の、生まれたばかりの無垢なる魔性。

彩風さんを真中に銀橋にずらりと並ぶスーツ姿の男役。定番だけれど、そう、これ、これが観たいのだ。圧巻。

ギャングスター」が、ギャンサーに聴こえてしまい、ギャンサー…ギャングサークル…ギャンサーの姫…ヌードルスちゃんはギャンサーの姫か…、こんなにしっくりくる空耳ってある?

 

ダイナーに現れたひとりの男。その姿は、帽子を深くかぶり、その表情も、白髪の混じる髪の毛も見えないけれど、息を吐いたまま沈んでしまったような背中に背負ってきたものの重さを感じる、”年老いた男”だった。

「ケーキを落とさないよう、運んでやろうか、ファット・モー」

25年ぶりの再会に驚きと、戸惑いと、そしてじわりじわりと懐かしさと嬉しさがやってくる、そんな二人の会話。望海ヌードルスの静かな、深い声は哀しいような、でも油断のならない強さもあって、語られる言葉よりも望海さんのその声に、25年間のヌードルスの人生がみえた。

封筒に鍵。真新しいアタッシュケースにぎっしりとつまった金。謎めいたカード。ミステリーがはじまりそうなアイテムたち。彩風ベイリー長官がこのゲームみたいな謎をいっしょうけんめい考えているのを想像するとちょっと微笑んでしまう。自分がマックスだということを気づかれてしまうのは恐い、でも、気づいて欲しい気持ちもある、そんな複雑な心がチラ見えするベイリー長官、ほんと面倒くさいな。乙女か。

実際、ロッカーにトランクを仕込みに行ったり諸々を実行したのは透真執事さんなんだろうな。仕事の出来る透真執事さんは見えないところでも大活躍していると思う。

デボラのでっかい写真が店に飾ってあるの、観客的にはすごく気になるし、めっちゃ目立つしむしろいちばんに目につくのになかなかデボラの話題にふれないところに、ヌードルスがまだデボラについて拘っているのが解る。なんでもないふうに、デボラは元気かと問うヌードルス。その人の名を口にしたのはとても久し振りだっただろう。ヌードルスの25年間の片想いの切なさがつたわってくる。

「最近、映画にでていないな、」

新作映画が発表されるたびにデボラの名前を探していたのだろうか。カンザスの片田舎で、新聞広告の片隅にその、美しい人の名前を。

 

ヌードルスとファット・モーの回想と共に現在と過去が交差し、舞台の上に流れる時間が巻き戻されてゆく。少年の橘ファット・モーが奏乃ファット・モーと入れ替わるように現れる。大きなお盆にケーキをたくさんのせて。「ケーキを落とすなよ、ファット・モー」そんな声が聞こえてくるように、舞台は少年時代へと変わってゆく。

 

クリィムたっぷりのケーキ。映画では印象深いシーンがある。少年のコックアイがクリィムたっぷりのケーキひとつでセックスをさせてくれるペギーと云う少女の元へケーキの包みを持って会いに行く。ドアーのそとでペギーを待つ間、コックアイはケーキの包みをあけて、指にクリィムを少しだけすくって舐める。クリィムたっぷりのケーキは少年にとってもめったに食べることの出来ない御馳走だ。コックアイは、もう一口だけ、クリィムを舐める。そしてさらに、もう一口…、ついにコックアイはケーキをすべてたいらげてしまう。性への欲望よりも甘いお菓子への欲望が勝ってしまうほどに、まだ子供の彼にとってケーキは得難いものだった。そして、そのケーキひとつで体を売る少女にとってもケーキはまるで宝石のようなものだったのだろう。ペギーはお金と引き換えに体を売っていた。そしておそらく、そのお金は親の元へいく。だからケーキでの報酬は、唯一彼女がすべて自分のものに出来る報酬だったのだろう。

もちろん、このシーンは宝塚版にはない。でも、愛ペギーと真那コックアイで観てみたいなと思いました。そのあとに現れる警官は…天月くんなのかな…完全にアウト。※映画参照のこと。

 

ダイナーの倉庫でバレエのレッスンをする少女たち。舞咲シュタイン先生に注意をされた潤花エミリーのセリフ、「ユダヤの娘は芸事が出来ないとだめ、」彼女たちの身の上に何かがあったとき、ユダヤの女がどんな扱いをされるか、彼女たちの母親は解っていたのだろう。でも、歌やダンスが上手ければその道で何とか生かされる可能性があるかもしれない。彼女たちの母親は娘が身を護り生きて行ける道を少しでも残そうとしていたのだろう。少女たちを諭す舞咲シュタインの歌詞も、この時代におけるユダヤ人がどのような扱いを受けているのかを簡潔に、かつ的確に表している。そして、どんな迫害にも負けず、彼等が自分たちを神に選ばれし清き民…シオンの民であることを誇りに思っていることも。真彩デボラが、アメリカのミュージカルをつくったのは我らシオンの民であると歌うと、まだ深刻なことはよくわからない少女たちも、ユダヤ人の芸術家たちの活躍に瞳を輝かせる。たとえどんな迫害を受けても、音楽、それを生みだす力は私たちは誰にも負けない、と。デボラは、その誇りを胸に抱き、それをユダヤ人である自分の唯一の強い武器として、その武器を誰にも負けないくらい磨き、いつかこの世界と戦い、勝利する、それが自分がこの掃きだめから抜け出せる唯一の道と知っていた。逆にいうと、その道しかデボラにはなかった。もしデボラがユダヤ人ではなく、たくさんの未来を選択出来る少女だったら。デボラは違う道を選んでいたかもしれない。

そして、後に潤エミリーや野々花タチアナがインフェルノガールとして働いていることで、ちゃんとこのときに彼女たちが学んだスキルが活かされていることが証明されるという見事な回収のされ方。舞咲シュタイン先生が歌うユダヤの苦難を聴いて怯える友人に、大丈夫よーそんなにこわがらないでも、とでも言うように声をかけている愛ペギーの姿に、後のペギー姐さんを思う。彼女たちにもドラマがある。

綾ニックも、「男の子は楽器」その通りにピアノで大出世している。実はこの物語のなかで誰よりも成功して大活躍してるのニックだよね。成長したニックが倉庫でピアノを弾いていた少年の頃とあまりにも変わらないからその凄さがぼんやりとしか伝わっていないけれど。

真彩デボラのうしろで一本にゆるくまとめた髪、白いカーディガン、ふわふわとゆれるチュチュ…それはまだ蝶になるまえのサナギである少女の殻。いつかデボラはその殻を脱ぎ捨てて、翔んでゆく。そんな予感を、少年の望海ヌードルスも何だかまだよくわからないけれど、デボラに感じでいたのかもしれない。呼吸することも忘れたように、口をあけたまま、真剣な眼差しで歌うデボラを見るヌードルス。尊敬と、驚愕と、憧れと、焦燥がないまぜになった、ヌードルスの少年の瞳。さっきまで、人の何倍もの人生を背負って生きてきた賢者みたいな眼をした激渋50代だった人とおなじ人ですよ。この、少年の煌めく瞳をした人は。凄い。望海さんすごい。役者って恐い。

デボラに魅入っているヌードルスにひたすらウザくカラんでくる縣パッツィはもうこの頃からTHE縣くん。

覗き見をする少年たちをゴキブリ、てぴったり。命名は舞咲シュタイン先生なのかな。

このときの望海ヌードルスの「はい、マダーム、」に、エリザベートのシシィがフランス語教師に皮肉っぽく言う「マダーム、」をいつも思いだしてしまう。…望海さんシシィか…とってもかわいいですね…。

愛ペギーに「私に会いにきたのー?」と言われ、ベー、って舌をだしてにくたらしい子供の顔をする、まだまだ女の子のこと何も解っていない望海ヌードルスさん研17。

 

こっそりお稽古場に残り、真彩デボラにちょっかいをだす望海ヌードルス。でも、真彩デボラの歌への感想は心からの言葉で、その素直な賞賛を嬉しく思う真彩デボラ。くすぐったいような、おままごとみたいなふたりのやりとり。戴冠式をやるんだ。のところは望海ヌードルスちゃん10歳くらいにしかみえない。いくらなんでも無垢すぎるでしょ…。ローワー・イーストサイドでマフィアの下で働く少年がそんな無垢でどうするの…、ギャングの道まっしぐらよりももっと別の心配してしまうわ…。

病気の母親の為に働かなくてはならないけれど、まともな仕事なんかさせてもらえない。これはどうしようもない真実で、子供のヌードルスにはどうすることも出来なかった。どれだけ悔しい思いをしてきたか。もうこのときすでにヌードルスはローワー・イーストサイドのユダヤ人がどういう存在であるのか、痛いほど知っていたのだろう。そしてその痛みは今後、ずっと彼のなかで疼き、癒えない疵となってゆく。

真彩デボラの夢は皇后になること。ショービジネスの頂点に立ち、どこかの国の皇太子に見初められ皇后になる。「お姫様は王子様に出逢って幸せになりましためでたしめでたし」それは定型文のような少女の憧れであり、そしてユダヤ人のデボラにとっては史上初のユダヤ人の皇后と云う偉業でもある。けれど、後のデボラのことを考えると、「皇太子に見初められて皇后になる」この願いは、「誰かの庇護のもとで幸せを得る」と云うことであると、そう、思えてしまうのが哀しい。ただのお伽噺のような少女の夢想が、現実に醜く歪んでしまうことをこのときのデボラはまだ知らない。

望海ヌードルスの「ありえねー」なかなか宝塚では聴かない台詞だ。最初はどうにも浮いた印象で違和感を感じていたのだけれど、この先、望海さんの声でこんな台詞を聴くこともないだろうなと思うと新鮮で楽しくなってきた。

不意の、キス。キスと云えるのか、唇が唇にそっと触れるだけの、風が花をゆらすような口吻け。思わず、触れてしまったその衝動に、ごめん、とあやまる望海ヌードルスと、驚く真彩デボラ。その意味もまだあまり知らないようなふたりの、なにもかもがくすぐったい。けれど、真剣に、この小さな恋の物語に魅せられている。

「いつか皇帝になったらむかえに来てもいい?さっきの答え、考えといてくれ。」

そしてその答えが…誰もが知っているあの…赤薔薇残酷物語へとつながるのでした…。

 

ローワー・イーストサイドの街角。

ここ、バナナ売ってる叶くんがおもしろいと聞いたのでちょっと注目してみた。いろいろなことをやっているみたいだけれど、私が観たときは、通りすがりの久城くんにバナナをすごい圧で押し売りしてた。久城くんはいい笑顔で買わないまま去って行った。

ラビのゆめくんが、めっちゃラビ。思い描くラビそのもの。ゆめくんはこういうクセのあるビジュアルの役に強い。

諏訪バグジーのにくたらしさ天下一品。ヌードルスたちが酔っぱらいから盗んだ銀の時計と、「こいつの耳と引換だ、」交換の品(耳)がやけにリアル。しかし警官に邪魔されてあわや没収というところに、彩風マックス登場。ブルックリンから引っ越してきたマックスは少年たちによるふたつの勢力の争いをじっと見ていた。どちらに味方した方が得か…、結果、マックスはヌードルスたちの味方になると決め、マックスの機知と度胸でヌードルスバグジーに勝ち、銀時計はヌードルスのものとなった。マックスがヌードルスを選んだ理由は、ヌードルスに一目惚れしたから。と云うのは冗談で、そもそもその銀時計はヌードルスたちが自分たちの計画により盗みに成功したための報酬であり、それをいちばん年少の者を人質にすると云う卑劣な行為で横取りしようとしたバグジーたちには何の権利も正義もない。銀時計を入手したヌードルスたちの手腕を考えても、今後どちらについた方が得か…、マックスはそこまで考えていたのだろう。マックスにとっても新しい街で彼等の仲間として受け入れてもらうためには都合の良い出来事だった。

彩風マックスが警官に、引っ越してきたばかりだと告げたとき、望海ヌードルスが、そうだよく来たな!って背伸びしてマックスの肩に腕をのせるの、身長差…ナイス身長差…。

彩風マックスはヌードルスを窮地から救った礼として銀時計をもらう。やがて年月が流れ、この銀時計があんな運命を辿るなんて、まさかジョセフ・ヘンリー・シュワルツさんも思ってもいなかっただろう。

「ごめん、俺がドジで…」情けなさに泣きそうになる彩海ドミニクに、「今に強くなる」と励ます望海ヌードル。このやりとり、仲間を想うヌードルスの優しさを感じるとてもいいシーン。うん!と云う頷く彩海ドミニクの姿もとても可愛らしい。

「嘘がちょーうまいな!」またもや登場、宝塚では聴きなれない台詞。望海さんの「ちょー」(しかも語尾上がりぎみ)とかほんと貴重で楽しい台詞を有難う小池先生…。

「いつか摩天楼のてっぺに住んでやる」

自分と同じ野望をもったマックスに、ヌードルスは何か運命のようなものを感じたのだろう。同じ野望にむかって突き進んで行く、同志、戦友、今までの友達とは違う、何か。望海ヌードルスの眼差しが、一瞬、真剣になった。そしてちょっとえらそうに、顎を少し上げて「名前は?」と訊くヌードルスの、おまえのこと認めてやってもいいぜ、みたいな言い方がナマイキで好き。そしてそのあとすぐにみんなすっかりと仲良くなってしまう。この少年の日の得難い出逢いが、やがて残酷な結末をむかえることを彼等は知らない。どこで彼等の道は破滅へとむかってしまったのだろう。

 

禁酒法時代の到来を壮年期の奏乃ファット・モーが告げる。もはや宝塚で禁酒法ソングはおなじみとなった。スカステのこだわりセレクションで禁酒法ソング特集が出来る。ここぞとばかりにマフィアたちが密造酒を仕入れ、スピークイージーの経営で儲けている。アル・カポネさん元気かな。ヌードルスたちは独自のアイディアで密輸入した酒をマフィアたちへ提供し報酬を得る事に成功した。

宝塚版と映画版ではヌードルスたちが考えた密輸の方法は違う。映画版のカラクリは宝塚版では再現が難しいので仕方がないけれど、自分たちのアイディアの成功を喜ぶヌードルスとマックスがいしょに海へ飛び込むシーンがある。ヌードルスは海から顔をだし、マックスを探す。しかしマックスはいっこうに海からあがってこない。不安になり何度もマックスの名前を呼ぶヌードルス。すると、船の上にマックスが現れ、海のなかのヌードルスに、「俺が必要だろう、」悪戯に微笑いながら手を差しだす。これ…この…このシーン…望海さんと彩風さんで観たかったじゃん…。

ヌードルスたちの仕事にご満悦の煌羽マフィアはバグジーたちを見放した。自分に利益をもたらす者には優しい微笑を、自分の利益にならない者は容赦なく切り捨てる、とてもイイ煌羽さんだ。

ヌードルスたちにシマを奪われたバグジーたち激おこ。

 

マックスがデボラのこと好き設定にしたのは何故なの小池先生。私は、ヌードルスが好きな女の子だからなんとなく自分も気になってちょっとあわい想いを抱いてしまったくらいの気持ちだと理解している。後に、ヌードルスはガチでマックスがデボラのこと好きだったと思い込んでいる台詞を聴いて、ああ、確かに後々の展開のために三角関係を作っておいたほうが解りやすいよな、と思った。解りやすくする必要ないと思うけれども。

この、ちょいちょい映画と変える必要性を感じない設定を変えてくる等々、小池先生とは解釈違いで衝突するんだけど、2000人規模の劇場でエンターテインメントとして上演すると云うことがどういう事なのかも考える。そうすると、許容できる事もあり、いや、でもそこは違うでしょ、と思う事もあり、難しい。

(小池先生に“クソデカ感情”を理解してと言ってもたぶん無理だろう…。)

オーディションに受かったデボラへ小さな赤い薔薇の花束を贈るヌードルスは、いつか薔薇をいっぱいにしきつめた部屋へ案内すると約束する。その約束は果たされるが、よもやあんな結果になろうとは…誰が予想していただろうか……。

ヌードルスはこのとき、マックスもデボラに気があることを何となく気づいていたのかな。ふたりの様子をみて、去ってゆくマックスの微笑に、自分のあわい恋心はここでTHE ENDという清々しさを感じたのだけれど、もし、ずっと恋心をくすぶらせていた的な設定だとしたら小池先生と喧嘩をしなければならない…。

 

夢への第一歩を踏みだしたデボラ。ヌードルスに悪いことはやめてほしいと頼む。資金をためたらいつかまっとうな仕事をする、ローワー・イーストの移民の子供はそうするしかないと言うヌードルス。確かにそうかもしれない。けれど、おなじローワー・イーストの子供でありながら努力して自分を磨き、オーディションで役を勝ち取ったデボラを目の前にして随分と失礼なことを言ってるよね。それは、ローワー・イーストの子供であるデボラの必死の努力も否定していることになるのだから。そりゃデボラだって、ふざけんなよこのあまったれたガキめが、て言いたくなるよ。デボラはそんなこと言わないけど。でも、ローワー・イーストの子供だって必死に努力すればオーディションで役を勝ち取ることだってできる、この私のように、なのに貴方はローワー・イーストであることを言い訳に逃げているだけだ、本当は、このくらいは言いたかっただろう。もうこの頃からヌードルスとデボラの心はすれ違っていた。

ありえないと、人は言うけれど…、寂しそうに、歌う真彩デボラのすきとおった歌声が、夜空にきえてゆくほうき星のように劇場にながれる。

 

デボラの言葉が心のどこかにひっかかっているけれど、でも、ヌードルスにとって仲間たちもデボラと同じくらい大切な存在だった。絶対に裏切りたくない。失くしたくない、自分のたったひとつの居場所。駅のロッカーに自分たちの秘密基地を作り、ビジネスと云う悪だくみをする彼らは子供のような、大人のような顔をしていた。

ヌードルスて、自分の感情はぶつけまくりだけど他人の気持ちにはちょっと鈍いところあるよね。少年のこの頃から、そして歳をとってからも。

 

「お前なんか恐くない!」

この前は自分のせいでヌードルスたちに迷惑をかけてしまった、名誉挽回、俺だってもう一人前、そんな彩海ドミニクの虚勢が微笑ましくも悲しい。逃げて…いいから逃げて…と思ってしまう。バグジーもローワー・イーストの闇に溺れ、狂気に捕まってしまった一人だった。ドミニクを刺したバグジーは、刹那の無敵に酔う。諏訪くんが、全身が刃になったようにみえて、その満ち満ちた憎しみが恐いくらい。バグジーにとってもアメリカは憎んでも憎みきれない存在だったのだろう。ドミニクの死に我を忘れるヌードルスは怒れる神だった。バグジーを刺してもまだおさまらない怒りは止めにきた警官を刺してしまう。ヌードルスが刺したのはバグジーであり警官であり、アメリカだった。澱のようにたまりにたまった怒りが一気に噴出して、ヌードルスを破壊した。ヌードルスに覆いかぶさり、警棒で殴りつける警官から守ろうとする彩風マックス。もしかしたら、ほんの一瞬の違いで、バグジーを刺していたのはマックスだったのかもしれない。マックスのなかにも狂気と怒りがある。そして彼は、それが爆発してしまうことを常に恐れていた。ヌードルスが警官に連れていかれ、残されたマックスの慟哭は眠る狂気の目醒めのよう。そしてあの時、マックスのなかで何かが壊れ、そして生まれた。大切な友を助ける事が出来なかった、力が無いと云うことがどんなにみじめで情けない事なのかを思い知らされたマックスは、もう絶対に俺は負けはしない、このアメリカをいつか支配してやると云う歪んだ思いに縛られてゆく。

 

ヌードルスがおつとめ中の登場人物たちのその後の説明と、7年間に起こったアメリカの出来事を観客に解りやすく説明してくれる奏乃ファット・モー。アメリカが激変していった時代をヌードルスは刑務所のなかで過ごしていたのだと思うと、いくら刑務所で本を読んだり勉強していたとはいえ、出所したときのヌードルスって、つまり、修道院出たての伯爵令嬢と同じってことじゃん…。

 

出所するヌードルスのお迎えへ行くマックス、コックアイ、パッツィ。マックスがヌードルスのために五番街でいちばん高い店であつらえた象牙色のスーツ。ヌードルスに似合う色や型を考えて、選んだのだろう。何でヌードルスのサイズ知ってたんだろうね。柱に傷をつけて成長を記録するみたいにヌードルスのエア想像成長記録つけてたんかな…マックス…。はじめは、サイズもぴったりだ、ていうのはヌードルスリップサービスかな、て思ってたんだけど、どこからどう見てもサイズぴったりだしとても似合っていたし、マックス…。

 

アポカリプスの四騎士。自分たちで名付けたのかな。中二の発想だけど、よく考えるととてもそれらしくハマる。

第一の騎士がヌードルス(白い馬に乗り手に弓、頭には冠を戴いた、他者を侵略する者。)第二はコックアイ(平和を奪う者。え、あのまなはるさんが???)第三はパッツィ(飢饉をもたらす者。ああ、ぜんぶ自分で食べちゃったんだね…。)第四はマックス(青白き馬に乗り、“死”を従えた者。)て、カンジかな。けっこうぴったりハマるな…。

アポカリプスの三騎士、ヌードルスがもどってきたときにアポカリプスの四騎士になるよう、マックスたちは考えてこの名前をつけたのだろうか。自分がもどってくること前提で、そしてその帰りを当然のように待っていてくれたの、すごく嬉しくてたまらなかっただろうヌードルスは。そりゃもう絶対に裏切れないよ。重い名前だな、アポカリプスの四騎士。

刑務所に入ればカッコよくなって頭も良くなると思っている縣パッツィがほんとうに縣くん。小池先生の縣くんのイメージよ。

ヌードルスは刑期を終えて出所してもずっと罪に苛まれ、自分は穢れていると思っていた。どんなことをしても絶対に自分の罪は消えないことをヌードルスは知っている。それを、フと、影のように笑顔のなかに滲ませる望海さんに、胸が痛くなる。「君の寂しがり方が好きだ、」霧矢ファビエルさん@La Esperanzaのあの名セリフを贈りたい。

 

ワンダービルフォリーズと聴いてデボラのことだとすぐに解ったヌードルスは服役中も雑誌や新聞に載るデボラの記事をいつもチェックしていたんだろうな。ヌードルスの一途さに泣けてくる。記事とか切抜いてスクラップとかしていたらどうしよう…日記にも書いてるかもしれん…。

マックスがヌードルスをワンダービルフォリーズへ誘ったのは、華やかな世界で成功したデボラを観せて、彼女はもうお前とは違う世界の人間なのだと云うことをつきつけたかったのではないか、と云う意地の悪い考えがうかんだ。でも、だとしたら、それはまったくの逆効果で、ヌードルスのデボラに対する憧れはさらに強くなり、7年間の空白を一気に飛び越えてヌードルスは夢のつづきをデボラに見た。少しも臆することなく、地上の楽園だった、と、うっとりする望海ヌードルスの無垢さ。デボラとピアノ弾きのニックのコンビが好評と言われ、二人の関係に焦るヌードルス。仕事上のコンビだよ、と言われ、ホッとするヌードルス。高校生か。

 

でた、小池エンターテインメントの真骨頂。それは華やかで、美しく、そして少しの悪趣味を感じる。まさに大観衆に向けた造られた夢の世界。目を驚かせる派手な演出は観客を麻痺させ、酔わせる。劇中でくりひろげられるそのショーは、まさに小池先生の創るエンターテインメントそのもののよう。

真彩ちゃんの歌で全部ねじ伏せようとしてるトコロあるなと思ったけどねじ伏せられました。

笙乃さんの天使。トゥで立つその姿の安定感。虚構の世界へ案内するセルロイドの羽根をつけた天使は、愛らしくもどこか奇妙で、ゼンマイ仕掛けの人形のようにくるくると踊る。しかし、笙乃天使が本領発揮するのはもっと後の場面。

 

お次はクラブインフェルノへご案内。はとバスツアーみたいなコースだな。

朝美キャロル。胸の造形が自然。特に作ったり盛ったりしていないところが潔くて、ドーラン無しかな、と思ったのだけれど、うっすら見える?いきなり胸の話でアレですけど、胸の造形はお衣裳の一部です。胸に限らずですけれど。

朝美さんの、どんな役にでも体当たりで挑む役者魂はキャロルでも大爆発で、そしてあんなにチャーミングで美形な女の子なのに、海賊王に俺はなる、という台詞が似合うし、その、何にでも成りきっちゃうし成れるけれど、“朝美絢”であることは一欠けらも失わないところ、感服する。朝美さんのお芝居は観ていてすごく楽しい。お芝居好きなんだろうなあ。

キャロルはもしかして男の子なのでは…。と思ったのは、フィナーレで銀橋に登場した姿を観たとき。また悪い癖が…いや、違うんです聴いて下さいとりあえず、この話は後半・第二幕でします。

インフェルノガールズのお衣裳と云うか造形まるごと大好き。野々花タチアナちゃんにばちこーんてウィンクされたときは、推します、即断しました。でも潤エミリーちゃんの笑いながら今日の料理講師は私でースみたいなノリでマシンガンぶっぱなしそうなところもいい。これ迷うよね。

色気の他にマネージメントの才能もあったらしい愛ペギー姐さんこそイイ味だしてる。さり気なく、自分のこと気づいてくれるかなー、て意識してるヌードルス。かつての仲間たちと7年振りの再会。あのダイナーの倉庫から、ずいぶんと変わってしまったけれどみんな生きて、必死にこのアメリカで生きていた。この街で、何処にも行けずに、そう、あの頃と彼等をとりまく世界はさほど変わってはいなかっただろう。でもそこには、たくましく、懸命に生きているかつての少年少女の成長した姿があった。

何気に、パッツィとタチアナ、コックアイとエミリーが恋人設定になっていて、相変わらず小池せんせいはスグ恋人設定もりこんでくるな…。

「意志の強い顎のライン、思慮深い瞳、蒼褪めた額、冬に咲く薔薇の頬、気高きオーディンの鼻梁、クリィムたっぷりのケーキを飾るチェリーの砂糖漬けのような唇…、マックスの言っていた通りね。」

マックスはキャロルにヌードルスの話を一日に三回はしていたのだと思う。マックスは気づいていないけれど、キャロルはさすがに解っていたと思うよ。友人の話をするのに、まずその友人の顔の造形を、思慮深い瞳、とか言っちゃうのほんとキャロルだって、何言ってんだコイツ、て思うよね。そして実際会ってみたら、まあ、確かにその通りだけど…、マックスの話三分の一ね…、と思っただろう。ヌードルスは揶揄われてる、と思ったみたいだけど、マジだぜ(マックスは)。

それにしても初対面でいきなり人の恋路の話にぐいぐい喰い込んでくるキャロルけっこう失礼だな(そしてファット・モーもおしゃべりすぎない?)と思ったけど、もしかして牽制してる…?

ずっとデボラを想いつづけていた、その想いは今もずっと変わらないまま凍結されている。という、わりと再会して即プロポーズしそうなくらい重い告白をするヌードルス。そしてクラブインフェルノを訪れたデボラの姿を見つけると、どうだ、溶けてきたか、とマックスに揶揄われ、めっちゃ照れるヌードルス。ほんとにムショ帰り???どこからどうみても初恋チェリーボーイよヌードルスちゃん…。

 

再会するヌードルスとデボラ。真彩デボラをまっすぐに見つめる望海ヌードルスのまなざしは恐いくらい真摯で、そして純粋だった。望海さんの、気持ちはどんどん前へ前へとゆくのに身体は迷子の子供のように凝、としていて、でも瞳は千の言葉を話すよりもたくさんのことを語っている、対峙したらどう反応していいのか解らない、けれど何かこう、心がかき乱される、そう云う望海さんを観てしまったら、もう床を転げまわるしかない。

 

「貴方なら皇帝になれる、」

デボラにそう言われ、まさか、そんな肯定をしてもらえるとは思わなかったヌードルスは思わず、けれど素直な気持ちで、「…有難う、」デボラが自分を信じてくれている、それはヌードルスにとってどんなに嬉しいことだっただろう。

デボラが見る二人の夢は、未来。皇帝と皇后になる二人の未来。デボラはいつだって未来を夢みている。でも、ヌードルスの夢みるデボラは、白いチュチュで踊る少女のまま。ヌードルスは過去を夢みている。そのかげろうのような夢はデボラにとってはもはや埃をかぶった写真のような過去でしかなく、もう、そこに自分はいないことを知っていた。もう既にこのとき二人が観ている世界は別のものであったのだけれど、これからは二人で共に明日を見つめて生きて行こうと、歌う。まるで二人の心がおなじ方向へむかって進んでいるようだけれど、そこには、ほんのわずかに感じるボタンの掛け違いのような違和感があった。

マックス達の仲間にはならないで。それは、ヌードルスの未来を心配すると共に、デボラの、私の在る場所まで来て欲しいと云う願いも込められていた。

そんなデボラの気持ちなど解することなく、ヌードルスは、マックスたちを裏切れない、俺を待っていてくれたのは彼等だけなんだ、そう言う。ヌードルスは、デボラもマックスたちも欲しい。でも、それは不可能なことだとヌードルスは気づかない。そして、気づいても、きっとヌードルスはどちらかを選ぶことは出来なかっただろう。

陽の当たる場所までは遠くてね、ヌードルスがそう言ったときの、デボラの、呆れたような、諦めたような、顔。その顔にみえるデボラの心を、ヌードルスは気づかない。もう、二人はここからずっとすれ違っていたのだ。

 

ハリウッドの帝王、煌羽サムの登場。いかにもなテンプレな人物だけれど、まるでアテガキのようにどこからどう観ても煌羽さん。

綾ニックの、「前の晩に会っちゃった!」空気をぜんぜんよまない邪気の無さが良い。

綾ニック、あまりにも天使すぎて逆に、もしかしてすべての黒幕はニックなのでは…?ニックこそが地獄の天使なのかもしれない…。だって、おなじようにローワー・イーストサイドで育ってきた境遇の子供のはずなのに、黒くねじまがったところがひとつも無く、こんなに屈託なくまっすぐに成長するなんて。もしくは、ニックにはいっさいの感情というものがないのかもしれない。悪も善もなく、苦も楽もない。どちらにせよ実はヤバいやつなのではと考えてしまう。だってあまりにも天使なんだもの。

ヌードルスを誘いにきたマックスが、「待ってるぜ、」と言ったそのあと、笑顔がフ、と消え、夜のように昏くなる顔。マックスは時々何を考えているのか解らない顔をする。そう云うとき、星のない新月の夜みたいな眼をしている。

心臓を掴んで客席にむかって投げつけてくるような望海ヌードルスの歌声に私たちは血まみれになりながらも恍惚とする。でも、あとから歌詞をよく読むと、デボラは女神…自分は道端に転がる石…、そこまで卑下しなくてもいいのではないかと思う自虐ソングであり、監獄のなかで仮想デボラと朝も夜も過ごした7年間を赤裸々に告白する歌でもあった。ヌードルスは自分の罪が決して許されぬことを知っている。その罪の重さを受けとめ、それを死ぬまで抱えて生きていく、自分は罪人だ。それを誰よりも解っているのに、何故、更に深淵へと堕ちていこうとするのか。ヌードルスにとって仲間と云う存在は何よりも、時にデボラよりも大切で、その手を離さなければ共に地獄に堕ちると解っていても、絶対にその手を離すことは出来なかったのだろう。ヌードルスにとって仲間は、大切で、大好きで、そして、鎖であり、枷であった。

 

情け無用の非情の掟…俺がみがいた悪のテクニック…マフィアならみんな知っている…、小池先生の歌詞の所為なのか、いや、この歌詞の所為ではなくとも、どこか彼等のやっていることは、“マフィアごっこ”のようなのだ。恐いもの知らずの悪童の悪戯がちょっとレベルアップして、自分たちは無敵だと思い込む。だから新興勢力として何でも出来たし、他の組織とは違う事が出来たのだろう。恐れないことを強さだと思っていたから、人を殺す事、罪を犯す事の恐ろしさを知っていたヌードルスを臆病者と言った。まさに天下無敵の悪童。しかし、悪童はどこまでいっても悪童なのだ。

安定の髭ジェンヌ、叶ジョー。「にじゅう、ごッッパァセントッ!」ちょっと文字で表すのには限界がある…。これ、貸切とかではまた違う言い方をしているらしい。叶くんのこまかすぎて解る人も解らない人も一度気になってしまったらもう絶対に目が離せない芝居大好き。

キャラはあんなにドロっとしたお濃茶みたいなのに、叶ゆうりさんは実はすごい美人のお姉さんだってことを知ったときは衝撃だった。これぜったい恋に堕ちるヤツじゃん。

 

叶ジョーに手なずけられヌードルス達とグルになり自分の店を襲う手助けをする久城宝石屋店主の妻、杏野ジュリーはグルだってバレちゃうから殴ってとヌードルスに要求する。そして戸惑うヌードルスを逆にひっぱたくジュリー。やられたらやりかえす精神でジェリーを殴るヌードルス(減点10)、そしたら更にもっと強く殴れとジュリーに求められるヌードルス…コントかよ。どう考えても杏野ジュリーのほうが見た目も中身も強くて、元から芝居の銀行強盗の茶番劇っぷりがすごい。ほんと久城店主さんとんだとばっちりだよ。どうかあのあと、ちゃんと目が覚めて保険もおりて、ジュリーちゃんとの安寧な生活が戻ってきますように。ジュリーちゃん真正のマゾヒストだけど。

 

叶ジョーたちを殺し宝石を手に入れたアポカリプスの四騎士は、桜路フランキーを裏切ったことにもなる。マフィアにはマフィアの掟がある。しかし、それをものともしないのが、アポカリプスの四騎士。簡単に人の命を奪うマックスたちをみて、ヌードルスはもう、自分も、彼等も決して戻れない場所に在ることに気付く。ヌードルスは人を殺すと云うことがどう云うことかを知っていた。でも、もう戻れないことも、知っていた。

一度穢れた手は二度ときれいにはなれない、それなら徹底的に穢すんだ。マックスに現実を突きつけられて絶望するヌードルス。そして、ヌードルスをどんどん、自分の場所まで堕としてゆこうとするマックス…。

 

♪背が高くて(俺のことかな…?)ハンサム(あ、やっぱり俺のことだよな…?)笑うとえくぼがでる(俺のことだ…!)チャーミング(俺のこと~~!)キスしたい(ちょ…キャロルってば大胆…)彼はラムを密輸してる(え、俺…)サツにバレたら手錠をかけられる(…)どうしようもないワルだった(…怒!)

マックスもはじめは良い気分で聴いていたのに突然、あからさまにdisられたらそりゃオコだよな。キャロル的には、「でも後悔はしないたとえ暗い未来でも惚れた男と一緒なら何も恐くない」ここが大事で、ここをいちばん聴いてほしかったんだと思うのだけれど、なかなかうまくいかないね…。

 

『マンハッタン・エンジェル』マフィアを更生させるコーラスガールの話。これもなんだかちょっとマックスたちにとってはバツのわるい内容だよね。ちょっとガイズ・アンド・ドールズを思いだす。

「君がニューヨークからいなくなっていちばん嘆くのは誰かな」

これはヌードルスのことを言っているのだろうけれど、もしかして、自分のこともほのめかしているのではと思えなくもない。ヌードルスといい仲のくせにスグ他の男になびくデボラへの非難と、サムへの嫉妬ともとれる。マックスがデボラへ抱いている感情がいまいちはっきりしなくて、小池先生に問い質したいよ。

サラッとながされてるけどニックの出世街道まっしぐらの快進撃がすごい。ほんとサラッとながされてるけど。順調すぎて別の世界の登場人物のことみたいだよ。

彩凪ジミー登場。くたびれた労働者の日常をまとった彼は、みすぼらしいと云うよりも、金と不道徳にまみれた人々なかで、ひとり清廉に生きる純朴な青年としての印象を強く与えた。ジミーはあの、迷える羊のような瞳のおくで、「この肥え太った豚どもめ」そう思っていたのだろうか。

 

会社側が労働者との争いにマフィアの力を借りると云う非道さ、そして労働者側もマフィアに力を借りて応戦すると云うこの異常な関係が、もしかしてすべてジミーによって仕組まれたものであると云うひとつの仮説。

会社側にスパイを送り込んでいたのはジミーのほうで、スパイの報告により会社側がマフィアを雇うことを知った。…いや、むしろ、ジミーが送り込んだスパイが会社側にマフィアの力を借りることを提案したのだとしたら…。

会社側から先にマフィアによる攻撃を仕掛けさせ、その卑怯な手口に対抗すると云うカタチでジミーの協力者であるマフィアが返り討ちにする。会社側はマフィアを雇ったことを隠すだろうことはジミーには解っていた。結果、マフィアの介入は黙されたまま、世間は会社と労働者の対立に労働者が勝利したと、そう思う。まさにジミーは自分の手を汚さずに、かつ、迅速に争いの決着をつけたのだ。

すべてジミーが仕組んだことなのではないかという疑惑に至った理由…、ジミーは買収された奴を拷問したら口を割った(会社側とマフィアとの癒着を喋った)、そう言った。ヌードルスは、拷問で怪我は?とジミーに問うと、ジミーは、(怪我をする前に)吐いた、そう答えた。拷問したのに怪我がない?ひとつの傷も負わずに口を割る?…どう考えてもおかしいでしょう…。そんな“買収された奴”なんて、本当にいたのだろうか?

そして、ジミーはマックスたちとフランキー・マノルディとの関係を調べた上で彼らの元を訪ねて来たのではないか。現在、フランキーと微妙な関係にある彼らのまえでフランキーの名前をだせば、彼らが何らかの反応を示すと踏んで。書記係がローワー・イーストサイド出身だと告げ親近感を煽る。友達の仇を討ち刑務所へ行った話を英雄譚のように語り、ユダヤ系マフィアは情にあついと彼らの自尊心をくすぐる…、そして、ヌードルスの父親が公安労働者のストライキで殺されたと云う、ジミーにとって計算外のラッキーがおこる。まんまと、ヌードルスたちはジミーの思惑にはまってしまった。マックスたちを動かすことに成功した彩凪ジミー、彼等の見えないところで、「よし、第一関門突破、」みたいな顔をするの、悪の第一の扉が開く音が聴こえた。

彩凪ジミーの瞳がひとつのくもりもないくらいきらきらしていて、このなかにいる誰よりも清廉な目をしていた。指先から髪の毛の一本、血の一滴まで清潔で、慈悲に満ち々た瞳で人を地獄に堕とす。きれいな心のままで悪魔になる。彩凪さんには騙されたってわからないうちに騙されていそうな気がするよ。

ヌードルスは今まで誰にも父親のことを話したことがなかった。マックスにさえも。ヌードルスにとって父親のことは思いだしたくない過去だったのだろう。ヌードルスは父親と同じ労働者を助け横暴な権力者を倒すことで父親の仇を討つことになると思ったのかもしれない。そして、人を殺めた自分が誰かを助け、正義を行う。ヌードルスのなかにある贖罪の気持ちが、彼を動かしジミーへ手を差し伸べることになったのかもしれない。でも、それがすべて裏目にでてしまった。

ラジオも持ってるぜえ。ストやぶりってんだろう?縣どやぁパッツィのブレなさよ。

ヌードルスがいちいち、ムショでならった、ムショで読んだ、て言うの、照れかくしなのかな。

一人殺せば殺人犯だが大勢殺せば英雄だ。ヌードルスがこれを言うのすごく違和感ある。ワルになりきれないヤンキーが強がってワザと強い言葉使ってるような違和感。

 

ヌードルス、あなた最近彼らと同じ匂いがするわ。」

じゃあ、コロンを変えよう。

え、ヌードルス、マックスとおなじコロンを?もしくはマックスのコロンの匂いがうt(以下略)一瞬、脳内で自分の都合の良いように変換されたけど大丈夫です。ちゃんとすぐに軌道修正できました。

「話があるの、今度二人きりで会える?」

「…ロングアイランドに海辺のレストランをみつけた、…ホテルの中にある。」

この、“ホテルの中”の前の、タメ。…つまり、そう云うコトなんだけど、…いいよね?いいんだよね??みたいな…、みたいで…、ヌードルスちゃん……。

それに対する返事が、

「スケジュール確認するわ。」

このときの、よっしゃー!!!ていうヌードルスの顔。まあね、そりゃ、OKだって思うよね。こんな下心アリアリで誘ってんのに、それに、OKて言われたら、もう完全に脈アリだって思うじゃない…。……ヌードルスちゃんDTなのかな…。

 

ストライキ現場。

労働者が要求している条件があたりまえというか最低条件すぎて、そりゃストもおこしたくなるしマフィアと手だって組みたくもなるよな。ジミーもこのアメリカと云うバケモノに呑込まれ、歪んでしまったひとりだったのかもしれない。

彩凪さんの歌声は、少し疵ついているみたいで、だけれどまっすぐで穢れのない、人が心をよせたくなってしまう、そんな歌声。そして彩凪ジミーが拳を突き上げて歌うと、翼ある馬に乗り、正義の天秤と裁きの剣を手にしている姿が観える。どんな事を言っていても正義だと思えてしまうんだ、彩凪ジミーの歌声は。

「用意のいいやつもいたのだろう。」

咄嗟に悪びれもなくこんな嘘がつけるのに、誰も彼のことを疑いの目で見る者はいない。誰にも疑われなければ、疑惑は生まれない。ジミーは今後ずっと、そうやって生きてゆくことになるのだろう。彩凪さんなのに。いや、彩凪さんだからだろうか。ハリウッドゴシップから私のなかで彩凪さんのキャラ設定の引き出しがどんどん増えてゆくんだ…。

 

プレッツェルのお店のプレッツェルがおいしそう。食べたい。

ニックはデボラに対して恋愛感情のカケラもない。そんな気持ちを抱いたこともまったくないのだろうなと思う。ニックにとってデボラは自分の音楽を最高の条件で表現してくれるアーティストで、そしてその才能ある役者が幼馴染だった。ニックはデボラのことが好きだけど(恋愛ではなく)、デボラの才能はもっともっと好きなんだろうなと思う。

綾ニックの、目がぎゅーってなって、オフホワイトの絵具で描いた風景画に溶け込むような微笑みに、デボラをいちばん近くで、そして遠くから、いつも見護ってきたんだろうな、と感じる。

いきなりリムジンで迎えをよこすヌードルス。あっさりとニックに、サムに張り合う気だな、てバレてる。

ご馳走して!って女の子たちに迫られて、え?!と言いながらも、よし!じゃあ行こうか!おいしいイタリアンがあるんだ~、みたいにすっごく楽しそうなの。綾ニックのまわりはいつも雨上がりみたいな世界。

 

「貸切にしたんだ、」

「え?」

このときのデボラの反応、嬉しいサプライズに驚いたと云うよりも、ちょっと戸惑いを感じているよう。

デボラは慣れたふうにメニューからお酒を選ぶ。ここ、映画版では、ヌードルスがお酒をすすめるけれど、デボラはそれを断り、「お水でいい」と言う。この、デボラのどこまでもゆるがない潔癖さが好きだった。

二人のためだけに演奏される音楽のなか、ヌードルスとデボラは踊る。夜の帳が降りるように、紗幕が降りて、二人のシルエットが影絵のように映しだされる。完璧な、それは一枚の絵画だった。このまま絵のように、永遠に、二人の時を閉じこめてしまうことができたらよかったのに。

 

キャロルが欲しかったのは、“ふつうの幸せ”。幼い頃から欲しくて、でも得られなかった生活。マックスと出逢い、差し伸べられた手をとったその時に、キャロルは今までの自分の世界から脱けだした、脱けだせたと思った。でも、その手の先にあったのは、何処までもつづく出口のない夜だった。だけれどキャロルは夜が明けるのを待っている。いつかマックスと暁のかがやきをみる朝を。…つい二次創作をはじめてしまったけれど、「このままで私は幸せ」マックスにそっと寄り添ってそう言ったキャロル。でもほんとうは、「陽のあたる道を歩いてほしい」そう思っていたんじゃないのかな。 

「俺がこんな店で終わる男だと思っているのか。」

そう言ってキャロルの手をはらい退けたマックスの氷点下のまなざしが、やっぱりキャロルのことを愛しているわけじゃなかったんだ、そう確信してしまうくらいに冷たかった。二人のあいだにあるものは恋ではない。二人が一緒に在るのは依存。でも、気まぐれにキャロルに心を置くこともあるのかもしれない。そう思っていたのだけれど、マックス…おまえ…どういうつもりでキャロルといっしょにいるんだよ…、しばきたい…。

乱暴にキスをしたあと、その唇はふるえていたのかもしれない。キャロルに酷いことをした夜、眠れない朝をむかえたのかもしれない。そう思いながらも、マックス許さないぞ。キャロルちゃんに謝れ。

彩風さんの昏い瞳は大好物といえば、まあ、正直大好物なんですけどね!

彩凪ジミーがちゃくちゃくとその触手を伸ばしてきているのがわかりますね。もうマックスはジミーの術中にハマりはじめている…。

 

フレンチをすっかり食べて満足そうなデボラ。トリュフの香りが云々…後の展開を知っていると、フレンチ完食してる場合か?どうせこのあとフルくせにヌードルスを泣かせるくせに…!とつい思ってしまう。

お酒に酔ったデボラの体をささえ、そのまま抱きしめるヌードルスの余裕のなさ。募りに募った想いと、情欲が爆ぜて、思春期みたいな口吻けをする。デボラはあの唇を、どう云う気持ちで受けとめたのだろう。

子供のときに約束した赤い薔薇の花弁をしきつめた部屋は世界のどんな薔薇の園よりも豪奢で、だけれどデボラはその薔薇が人の血と憎しみとヌードルスの罪を吸って咲いていることを知っていた。

ヌードルスはデボラに黄金と宝石で飾られた冠を贈る。子供の頃、玩具の冠で戴冠式の真似事をした二人。今、自分は本物の王冠を手にすることが出来る。「おまえのために造らせた、」そう微笑むヌードルスの姿は自信に満ち々ていた。でも、その冠は、偽りの王冠。貸切レストランも豪華なフレンチも薔薇のスイートルームも金の冠も、どれも刹那の虚栄でしかなく、虚飾の栄華でデボラの気を惹こうとするヌードルスは子供の時のまま。少女はもう白いチュチュを脱いで世界へ翔んでいってしまったのに。その事に気づかないヌードルスの滑稽さが痛々しくて哀しい。

もうデボラ大後悔。そんなつもりじゃなかったのに言いだせない。そんな話をするためにここへ来たのではなかった。はっきりいって、つらい。あんなにうるわしい声で愛を謳われても、もう、自分はその愛にじゅうぶんに応えることができない。真彩デボラは、かたく目を瞑り、唇をふるえるほどに噛みしめて、俯き、天を仰ぎ、嗚呼、どうしたらいいのだろう、もういっそこの身が千路に砕けてしまえばいいのに、愛しさに嘶く心と、強い意志がぶつかり合う、その煩悶は、痛みとなって客席に押し寄せる。

すっかり何もかもOKだと思っているヌードルスにきっぱりと、この冠は受取れない、そう言ったデボラは、もうローワー・イーストサイドの片隅で夢を見ていた少女ではない。しっかりと、自分の足で大地に立ち、歩いてゆく一人の女性だった。でもどれだけ勇気がいったことだろう。あんなふうに愛されて、それを拒むの、無理。ああ、もうどうでもいいわヌードルス好き好き大好き愛してる。てなっちゃうよね。

拒否されるなんてミリも思ってないヌードルスの、「何故、」このときの望海ヌードルスの無垢さ。

デボラはヌードルスが悪の道を歩んでいることを咎め、子供の頃からずっとくり返してきた、「陽のあたる道を歩いてほしい」と云う願いを告げる。そして、ヌードルスも同じ答えをくり返す。陽のあたる道を歩くことなんて無理だ、何故なら、

「俺たちはローワー・イーストサイドの出なのだから、」

そう言われたときの真彩デボラの、悔しさと、絶望のにじんだ顔。デボラも同じローワー・イーストサイドの出だ。でも、デボラは自分を磨き、努力してブロードウェイの女神と言われるまでに昇りつめた。ヌードルスの言葉は、そのデボラの努力や才能、成功をも否定し、踏み躙じったのだ。

「嗚呼、また、いつだって、あなたはそうやって逃げてばかり、いままでもこれからも、言い訳ばかりして、私だってローワー・イーストサイドの出よ、だけれど、私は努力してここまでやってきた、そして私は成功した、ローワー・イーストサイドだから無理だと言うのなら、じゃあ私のこの成功は何?まぐれ?運がよかっただけ?フザけんな、」

ほんとはこれくらい言いたかったと思うよ(part2)、デボラ。

ハリウッドに行くことを告げるデボラ。サムの名前をだした途端、ヌードルスの顔色が変わる。

「あの大物プロデューサーに金で買われたのか!」

そう云う話じゃないし、更に酷いことを言っていることにヌードルスは気づいていない。

「サムは私の才能をかってくれている、ヌードルス、貴方よりも、」

デボラの努力と才能を否定するような事を言ったヌードルスにはもはや反論すべく言葉はないはずだけれど、ヌードルスは、自分勝手な「愛」を振りかざし、デボラに襲いかかる。

ヌードルスはデボラの何を愛していたのだろう。デボラの何が欲しかったのだろう。デボラの何を、見ていたのだろうか。

デボラを他の男にとられてしまう、デボラが自分のもとからいなくなってしまう、もう、デボラに会えない。その絶望と虚無、焦燥がカタチを得たかのような望海ヌードルスがそこには在た。どんなに下衆なことをしていてもタイをほどく指がきれいで、狂犬みたいな瞳は寂しそうで、低く唸るような声は恐ろしくも哀しい。望海さんの艶は、花がひらき、その香しさは誰の為にあるものでもないけれどまわりのものすべてを酔わせてしまう、そういう艶だと思う。自分でも何言ってんだと思うけど。贔屓には夢を見るものなのです。

うっかりそのまま受け入れてしまいそうだけれど、デボラはヌードルスを拒絶する。あれだけの抵抗であっさり退いてしまうしまうヌードルス、ちょっと弱すぎないか。

「そんなに俺が嫌か、」

嫌じゃないよ、嫌なんかじゃない。でも、でも…、やっぱりショービジネスの頂点に立つ夢は捨てられないのよ、

「…わかって…、」

デボラはヌードルスを愛している。誰よりも。でも、愛する人のために夢を諦めることはできない。デボラの夢は、決意はそれくらい大きくて強いと云うことを、ヌードルスが理解していれば、二人の関係の結末は、違うものになっていたかもしれない。愛しあっているけれど、解りあえない二人。

そんなに俺が嫌か!!もう怒髪天でブチキレ状態のときもあれば、そんなに…俺が、嫌か…ッ、捨てられて怯えた仔犬みたいなときもあって、望海さんのメンタルにハラハラしてしまうけれど、観ているこちらのメンタルも虫の息です。

映画版ではヌードルスはデボラを無理やり犯してしまう。宝塚版では未遂どころか未遂にまで至らなかったワケだけれど、宝塚で上演する上でその改変は当然であると思う。しかしそれによってヌードルスの非道さが希薄になり、以後、ヌードルスがどんな酷い目にあったとしても何もかもが自業自得と思えないところが難になってしまった感は否めない。故に、ヌードルスの“可哀想さ”が増してしまった。ヌードルスに憐憫の情をよせてしまうのは正解なのか否か…、でも、自分勝手で傲慢で何もかも間違っているのに、薔薇の海で溺れながら慟哭するヌードルスは、哀しくて、寂しくて、憐れで、どこまでも孤独だった。薔薇は朽ちてゆく、そしてヌードルスの愛も、朽ちてゆく…、でも、

「俺の愛は枯れない。」

ヌードルスは激昂する。虚勢か、それともまだまだワンチャン狙ってるのか。いつまでも枯れることのない愛を、胸にそっと抱いて、生きてゆくのか。デボラのことを想いながら。たとえ、その愛の花を咲かせることが出来なくても。なんて、哀しいのだろう。薔薇をむしってほうり投げてキレちらかす暴君ヌードルスは、二人で眠るはずだった薔薇の褥で独り、絶望して眠る。やがて朝が来て、ヌードルスは目醒める、永遠につづく孤独のなかで…。

ここで出番ですよマックスくん。ここで、お前は独りじゃない、扉をバーンて開けて失恋して泣きつかれて眠ってしまったヌードルスのもとへやって来たならば、きっと未来は変わっていた。未来どころかジャンルも変わる。何がどう変わっていたかはともかく、この孤独な魂に誰か、よりそってほしかった。

ただ独り、むせかえるような虚飾の栄華が咲き乱れる舞台に在る望海さんを瞬くこともできずに、幕が降りるその瞬間まで観ていた。幕が降りたその後も、その存在感はずっと、ずっと舞台に在りつづけた。今もまだ、あのときの望海ヌードルスは私の目のまえにいる。

 

 

 

interval……第二幕へつづく。

雪組『ファントム』第2幕の感想文。※ネタバレ有。

 

眠るクリスティーヌに自作の子守唄を歌うエリック。望海エリックの子守唄とか贅沢にも程がある・・・有難すぎて眠れないわ・・・。

イツ着替えたのどうやって着替えたの誰が着替えさせたの問題は少女従者ちゃんたちの存在により解決済みです。

クリスティーヌを軽々と抱きかかえる諏訪従者くん。頼もしい。力仕事関係は彼の役割と推測。

とても丁寧に寝床を整え、クリスティーヌの眠りを妨げないよう、静かに、そして恭しくクリスティーヌをベッドへ運ぶ従者たち。自分たちとキャリエール以外の人間がこの場所へ来たのはおそらくクリスティーヌが初めてだろう。

 

眠るクリスティーヌにおそるおそる近づいて、そ、と小鳥が花を啄むような口吻けをするエリック。はじめてのちゅう。ここの望海エリック、日毎にリアクションが違う。思わず唇に触れてしまったことに慄き、自分が今してしまったことに戸惑いながら手を震わせたり、ちゅーしちゃった・・・!みたいにニヤニヤ・・・にこにこしながらもうぜったい顔洗わないんだみたいにうっきうきしたり(これにはさすがにちょっと退いたぞ)・・・、なんかちょっと、のぞいちゃってごめんね的な気持ちになってしまう。そしてもうひとり、その様子をのぞいている人がいた。そりゃはじめてのちゅうを親にみられたらエリックちゃんも激おこですわ。音もなく部屋へ入って来て黙ったまま突っ立てるキャリエールに岡田あ~みん@お父さんは心配症 みを感じてしまいシリアスな場面なのにどうにも緊張感がないと云うか気まずい気持ちになる。

自分は何のために生まれてきたのか解らなかったけれど、僕が命を得たのはクリスティーヌに出逢うためだった、僕に必要なのは彼女だけと激昂するエリックの言葉にキャリエールは何を思ったのだろう。少しの寂しい気持ちを抱きながらも息子が自分の「生きがい」を見つけたことを喜ぶだろうか。普通の親ならそうかもしれない。でも、キャリエールにとってはエリックだけが「生きがい」であり、親として息子のその感情を堂々と応援することの出来ない立場故に、自分の存在を拒絶され、エリックと自分をつなぐものが何もなくなってしまったような寂しさと、これもお前の罪であると胸に鉄杭を打ち込まれたかのようなその背中に、とてつもない哀しみを感じてしまい、エリックちゃんちょっとそこに座りなさいッ、て説教したい気持ちになった。

そしてもうひとり。そんなエリックを見つめる痛々しい瞳があった。沙月従者。愛おしさも苦しみも憎しみも寂しさもすべてが混ざりあい混沌の果てに透きとおるように虚無となった美しい彼女の想いは時折、ひとすじの涙となって瞳からこぼれた。その涙を見るたびに、エリックちゃんちょっとソコに(以下略)

クリスティーヌはエリックと従者たちにとって異なる存在であり、そして闇に射した一条の光。従者たちが眠るクリスティーヌへと救いを求めるように手をのばす。それはエリックの心を体現しているようでもあり、また、彼等自身がクリスティーヌに母なるもの、失ったものを求めているかのようでもある。母さん・・・!違う、その人は母親ではないんだよ!でも、でも・・・!そんな会話のような振付けに従者たちの奥深くに閉じこめた物語の片鱗を感じた。凰華従者くんの、甘えていた母の手をもぎ取られた幼子のような顔が、いつか不安でいっぱいになって泣きだしてしまいそうで、目がはなせなくなる。キャリエールが解任されたと知ったときも、そんなに動揺しちゃう?!てくらい凰華従者くんの感情は豊かで、一挙一動にツイ目がいってしまう。

沙月従者はクリスティーヌより年上の雰囲気を持っているけれど、クリスティーヌに対して複雑な感情が生まれながらも、彼女を見ると子供のように求めてしまうそのあらがいがたい感情に、求めることが許されるのならすべてを投げ出してしまいたい、そんな狂おしさがある。

ここ、なにげに、凰華従者と懸従者。諏訪従者と眞ノ宮従者でペアになっているんだよね。沙月従者と笙乃従者は対になっていて、そうか・・・公式はこう云う組合わせなのか・・・、把握。私は沙月従者と笙乃従者カプ推しです。

 

沙月従者はエリック派で笙乃従者はキャリエール派だと思っています。沙月従者は出来るならキャリエールになりたいと思っている。笙乃従者にとってキャリエールは自分に父親と云う存在がいたならこんな人なのだろうと云う存在。まったくの捏造であり、この話をすると長くなるのでやめます。

 

ここ、上手で望海エリックさんがめっさヒーロー気取りで熱唱しているのだけれど、どうしても従者ちゃんたちが気になって気になって気になって・・・、オペラの動きが挙動不審この上ないです。どっちも観たいんです。でも、BDには従者たちはきっとあまり映っていないと思うから・・・。

ひとしきり歌ったあと、ちょっと休憩しよ、てエリックちゃんが部屋から出ていったあと、何喰わぬ顔で戻ってくるキャリエールさん。エリックの行動パターンけっこう把握してますね。親子げんかも慣れっこてことなのかな。

 

起きぬけのクリスティーヌにめちゃくちゃ重い告白をするキャリエールさん。目が覚めたら知らない場所にいていきなり重すぎる告白を聴かされたのに動じないクリスティーヌも大物だと思うけど、キャリエールさんもたいがいだと思う。

「私はあの方の目をみました、声を聴きました、あの方の心のなかには思いやりが宿っています!」「もちろんだとも!」(そんなこと百も承知じゃ知ったふうな口をきくなこのぽっと出の小娘が!)カッコ内は私がキャリエールだったらこう思う的な。その後の展開を知っているからここのクリスティーヌのセリフわりとイラッとクるよね。笑。

エリックの過去が、物語のページをめくるように舞台の上で語られる。朝月ベラドーヴァのことを語るキャリエールは、18の青年であった頃と何一つ変わることなくベラドーヴァを愛していた。過去のことを語るのではない、いまなお生きつづけている想いを語るようなキャリエールの愛は無責任なまでに無垢であった。

結婚していたのにそれを隠して不倫をつづけた結果、子供が出来てしまいはじめて実は結婚していたことを相手に告げ、なおかつカトリックだから離婚も再婚も出来ないとかほざく最低のクズ。ひらたくいうとそれがキャリエール。18歳で愛のない結婚を強いられていたことには同情できるけれど、それでもやったことは事実で最悪。諸悪の根元はキャリエールである。今まではそう、思っていた。でも、彩風さんのキャリエールを観たら、どうしても、キャリエールを憎めない・・・。

彩風キャリエールは、エリックが生まれたあの時から、もうずっと、血を流しつづけていた。身体を貫き肉を裂く痛みは彩風キャリエールの肉体を絶えず苛み、灼けた鉄杭がその背中から胸を貫いている。それは比喩的なものではなく物理。ビストロで皆と談笑しているときも、夜眠るときも、キャリエールの傍らにはつねに鬼がいて、彼の罪を囁きつづけ、その身に爪をたてている。未来永劫、死して後もつづく罰を、キャリエールは受けている。そう、感じてしまい、しまい・・・罪を憎んで人を憎まん・・・。その罪がきえることはないけれど、彼は罰を受けている、罪を受けとめ、今も、そしてこれからも、罰を受けつづけてゆく。そんな彼を、これ以上責めることなどできようか・・・。みたいな気持ちにさせてしまうのです、彩風キャリエールは。だっていつも苦しそうなんだもの。ずっと自分を責めているんだもの。あの八の字眉毛か、あの八の字眉毛がいかんのか。

こんな気持ちでエリックストーリーを観たのは、はじめてです。誰が悪いのか、誰のせいなのか、そのこたえはなくて、この気持ちはどこへゆけばいいのか、もうずっと迷子になっている。

彩風キャリエールは悪くない・・・悪いのは・・・、強いて云えば、永久輝くんなのでは・・・?不倫したのも嘘ついていたのも、永久輝キャリエールだよね。(酷い!)

 

「ぽっぷあっぷたいむ」で朝月さんへの久城さんの問い、「何であのとき(キャリエールに、どうして僕を愛してくれるのかと訊かれたとき)歌ったん?」への朝月さんの答えに霧が晴れるような思いだった。「歌は愛や喜びのために歌うもの、だからあのときベラドーヴァは歌った」解釈としては、“あなたは私がこの世でもっとも愛する歌のような存在、あなたに出逢った時からあなたが私の愛と喜び、だからあなたのために歌うの”みたいなことなのかな、と。

初めて聴いたその歌声があまりにも美しくてキャリエールはびっくりしたのだけれど、ベラドーヴァが今まで歌うことをしなかったのは、歌を仕事にしたくなかった、お金を稼ぐための手段にしたくなかったからなのでは。だから、オペラ座で歌手として歌うようになってからもベラドーヴァは、ただひとつの愛のために歌っていた。舞台で歌うすべての歌はキャリエールへ捧げられていた。それなのに、それなのに・・・キャリエールの裏切りは愛の裏切りと云うだけではなく、ベラドーヴァのいちばん大切で神聖な、信仰にも似たものを、ベラドーヴァ自身にも裏切らせてしまったのだ。

ベラドーヴァが口にした薬草は麻薬のようなものなのではと考えています。薬草を口にしたベラドーヴァはいっとき苦しみを忘れたかのように薄く微笑う。その瞳はうつろで、とても正気ではない。エリックが醜い傷を持って生まれてきてしまった原因はこの薬草にあるのだろうことは予想できます。

エリックが産まれたとき、ベラドーヴァはすでに正気を失っていたのだと思う。でも、エリックの顔が美しく見えたのも本当だと思う。信じた人に裏切られ、自分の信仰をも裏切ってしまったベラドーヴァはパリの街を彷徨いながらどんな醜いものを見てきたのだろう。きっと、ベラドーヴァは悪魔をみた。この世ならざる最も醜い悪魔を彼女は見たのだ。それは信仰を裏切った己の罪、苦悩が生んだ幻、麻薬が見せた悪夢だったのかもしれない。その悪魔達にくらべたら、エリックはどれだけ美しく母の目に映っただろう。そして、もうベラドーヴァの目にはエリック以外のものは映らない。ベラドーヴァの瞳のなかに在るのはエリックだけだった。ベラドーヴァのその狂気と、どれだけベラドーヴァが苦しんできたかを見せつけられたキャリエールは、そりゃ耐え難かっただろうよ。でも、彩風キャリエールはその苦悩をまるごとぜんぶ自分も受けているように思えて、自業自得・・・と思いつつも、キャリエールに対する哀れみをぬぐうことが出来ない・・・。八の字まゆげの呪いか・・・。

私の歌声が産んだ天使。そう歌う朝月ベラドーヴァ。もうベラドーヴァの人生の中に、キャリエールはいない。エリックはキャリエールとのあいだの子供ではない、自分の歌声が産んだ、奇跡の子供。もうすでにベラドーヴァの眼はキャリエールをみていない。完全なる拒絶、拒絶ですらない。消失。はじめから存在しなかった。このとき、エリックはキャリエールの子供ではなくなった。でも、キャリエールがエリックを見捨てなかったのは償いか、罪滅ぼしか。キャリエールは本当に心からエリックを愛してしまったのだと思う。自分の子供でなくても、この目の前に在る小さな命を、心から、生涯愛したいと、そう思った。彩風キャリエールから感じるこの愛は舞台の上からあふれて観客の心にも入ってきた。

永久輝キャリエールは己の罪を受入れ償いとしてベラドーヴァとエリックを見護っているというよりも、これでやっと三人で暮らせる、そう思っているようなそんなある意味、狂気じみた優しさを感じた。嘆きの中に微笑みが宿っているような。あんな状況のなかでも若かりし頃のキャリエールはなんだか幸せそうに見えた。ある意味、三人だけでの生活はキャリエールの望んだことだったのだから・・・。

キャリーエールによるエリック独占監禁説は、今回のファントムでは封印です。しかし永久輝キャリエールとなるとまた話は別だ。

彩海仔エリックの、母の愛を無条件に貪欲に享受していた子供らしさからの転落があまりにも彼にとって地獄だったのか、その叫びは子供のものというよりもまるで悪魔の悲鳴のように聴こえるときがあって、それがどれだけ残酷なことかを知る。

キャリエールがエリックに作った仮面第一号が何だか拘束具ぽくてちょっとびっくりしたのだけれど、あれからどれだけの仮面を作ってあのような美術品みたいに美しい仮面を作れるようにまでなったのか。ちょっと職人の域だよね。ちゃんとTPOにあった仮面も作って、エリックの顔にぴったりフィットするように・・・成長するごとに変わる仮面のサイズにしみじみとしたことだろう。キャリエールさん支配人クビになってもオペラ座の小道具さんとして就職すればよかったんじゃ。

朝月ベラドーヴァを見護るコロス久城さんの眼差しがとても優しくて、何者でもないはずなのに、彼は朝月ベラドーヴァの守護天使なのでは、と思ってしまう。わんにゃんパラダイスを思いだしながら・・・。

オペラ座の怪人伝説が生まれたというわけだ・・・!何か他人事っぽいよねこの言い方。生まれたというわけだじゃないだろうお前が生んだんだろう、て言いたい。

まるで地獄の底から生まれてくるようにセリ上ってくる望海エリック。でも、その魂はだれよりも白く無垢。地獄で産まれた白い魂。母とクリスティーヌのあいだで翻弄されるエリック。構図としては妻と実母に悩まされる夫であり息子と同じだな、と思いながら、そういう世界線もあったのかもしれないと云う、あまりのつらさにまた現実逃避してしまった。

顔のみえない彼等の正体は何。魍魎か、天使か、その彼らたちに弄ばれながら喘ぎ、マリアに助けを乞う望海さんの息づかいは聴こえないけれど、視えた。苦しくて残酷でつらいのに昂揚するこの気持ちは、何なのだろう。自分は悪魔なんじゃないかと思えてくる。

この白い仮面、みんな同じじゃなくて目の虚の大きさとかカタチとかそれぞれ違っていてこわい。望海さんのむかって左上の仮面が特にこわい。誰だ。

 

キャリエールの話を黙ってじっと聴いているクリスティーヌ。心がひろくて理解があるなと思う。「いや、何言ってんのあんたが悪いんやん・・・、」一言くらいそう言いたくなるよね。クリスティーヌはその話を聴いたそのときにキャリエールの深い愛を理解したのだろうか。いやほんとマジでクリスティーヌ無垢すぎない?天使。

「恐れはしません!私にはあの方のお心が解っていますから、」

思い上がったセリフだな、と思う。青い。でも、まぶしいくらい美しくて、妬ましいくらいまっすぐな心。キャリエールは彼女の言葉を信じる事は出来なかっただろう。でも、信じたい。もしかしたら、彼女なら・・・、一縷の希望を抱いたかもしれない。1%の希望を。

 

ショレは俗物でいけすかない男だけれど、真那ルドゥは出会いから彼に対して冷たい態度だった。幼馴染をクビにした男、てことで最初から悪印象だったんだろうな。

銀橋を渡りながら歌う彩凪シャンドン伯爵は、天に住む蚕からつむぎだした白銀の絹糸でアテーナが織った吹く風によって色を変える風の王に守護を受けたマントをひるがえし飛竜に乗って姫を救いに行く騎士のよう。(翔くんてギリシア神話が似合うと思う。)朝美シャンドン伯爵は大海原に決して沈まないと言われる船を漕ぎだして真の勇者の手でしかその鞘を抜くことが出来ない伝説の剣を手に、まだ見ぬ敵に挑む海賊王のよう。彩凪シャンドンの目的は姫を救うこと、朝美シャンドンの目的は敵を倒す事、この受取る微妙なニュアンスの違いが面白い。バックの映像はオペラ座の庭園?彼等には突きぬけるような青空や、どこまでも果てしなくひろがる海の映像が似合う。話が違ってしまう。

 

赤い衣裳にあわせて仮面も赤に揃えてくる完璧なコーディネート。エリックけっこうおしゃれだよね。己の醜さにコンプレックスを抱いている故の、美意識の高さなのかなと感じる。あの仮面、よくみるとクトゥルフみある。クトゥルフの語源はギリシア語で「地下」を意味する・・・。

カルロッタはとりあえず出ていく、て返事してから部屋を脱出して誰かを呼びに行けばよかったのに。気の強さと傲慢により相手を侮ってしまった。勇敢であり無謀なカルロッタの猪突猛進型、キライじゃない。仮面をかぶった怪人に花束を突きつけられたとき、高らかに笑うカルロッタの心情は次のうちどれか。①花束で私をどう殺すの?せいぜい棘で傷をつけるだけしか出来やしないじゃない、殺せやしないわ!②・・・あら、なあに、やっぱり私のファンだったの?いままでのは冗談よね?そうよね?!

 

カルロッタを殺したあとの、罪の意識のカケラもないエリックは恐ろしかった。罪を罪と知らない恐ろしさ。彼は人を殺すということ、人が死ぬということ、それがどんな意味を持っているのか真の意味では解っていない。悪い奴が死んでよかった!根底にあるのはそれだ。純粋にそう思っている。だから彼の魂は無垢なままでけっして穢れることはない。自分の人生以外に触れずに生きてきたエリック。他の誰かにも人生があると云うことをどれだけ理解していたか。それは誰も彼にそれらのことを教える者がいなかったことを意味する。キャリエールが教えるべきであったが、エリックがこのまま誰とも触れあうことなく生きてゆけばそれは必要のないことだった。キャリエールはそうやってその問題から逃げてきたのだろう。悪いのは誰か。しかし、死んだ人間にはそれは関係のないことだ。しかし彼に己が罪人であると云うことを知る残酷な日が来ることはなかった。それは幸せなことだったのか。それとも不幸なことであるのか。今となってはもう、解らない。

 

森の向うでお着替えをするエリック。凰華従者に手伝ってもらいながら脱ぎ脱ぎしたお洋服を受取るのは沙月従者さん。着替えを終えたエリックは、おかしくないかな、ヘンじゃないかな、て衣服を直したり、髪に触ったり、初めてのデートにそわそわ緊張する初恋BOY・・・、さっき人を殺してきた人とは思えないな・・・。

もう完全にいままで女の子と話したことないDt・・・初恋BOYが好きな女の子と二人きりになっちゃったテンションでみていてちょっとこっぱずかしくてカァーッてなる。クリスティーヌはエリックの物語を聴いてすっかり彼のことを理解したつもりになって母親気分かもしだしてるし、何かもう、中学生か君ら・・・ここはオペラ座学園。

ベッドを片付ける眞ノ宮従者くんが、よかったねエリックさん、みたいにニコッ、て顔してるの、みんなほんとうにエリックのことを想っているんだなあ。

僕の、領地をね!・・・小学生・・・、好きな女の子を秘密基地に案内してあげる小学生男子・・・エリックちゃん10歳・・・。

 

エリックと従者の彼等は造園技術まであるの?ほんとこの人たちのスペックどうなってるの。緑深き森に薔薇は咲き乱れ、小鳥が啼く。小さなテーブルと椅子が彼等を歓迎していた。バスケットのなかは肉や卵をサンドしたパンだろうか。あたたかく香るお茶もある。太陽の光があかるく降りそそぐ。しかし、ここは偽りの森。

小鳥の真似を全身で体現する縣従者くん。動きがセキレイぽいけど、見た目はカワセミっぽい。ここの小鳥の表現、今回はどんなかな?誰がやるのかな?て再演の度の楽しみのひとつ。

自分の大好きなウィリアム・ブレイクの詩をクリスティーヌにすすめるエリック。初デートで自分の推し作家の説明をイキナリしはじめてその本を読ませる、てもう完全にダメなヲタ男そのままだしもう喋り方もはふはふして挙動もおかしいしエリックちゃん落ち着いて。でもエリックちゃん、女の子どころか友達付合いすらしたことないほぼ210くんなんだからそんなのコミュ障でも仕方ないよね・・・。パパ、いくら何でもちょっと教育サボりすぎじゃない? 

母は僕を南の荒野に生んでくれた

僕は闇に生きるが魂はあかるい

素敵な詩。この先をクリスティーヌが読めなかったのは、エリックの物語を知ってしまったからだろう。

だが闇にいて光を失った

しかし、彼女は彼から光を失わせはしない、彼を闇から連れだす、そう思っていた。けれど、この一節を読むことを思わずためらってしまったのは少しの不安が心に在ったからだろう。 

人は愛や喜びのために歌うのであって何かを得るために歌ってはならない。朝月さんの解釈がアンサーになっているこのセリフ。母、ベラドーヴァの命はエリックのなかで生きているのだ、そう思えた。

その言葉を聴いたときの真彩クリスティーヌの反応が、最初のほうは、あ・・・、と云う顔をしていたのだけれど、後半はまた変わっていた。クリスティーヌの、真彩ちゃんの心のなかはどう変化していたのだろうか。

僕の顔は誰の目にも触れてはならない。醜い顔を蔑まれ気味悪がられたくない。この醜い顔は人を恐れさせる。恐がられたくない。この顔を見た者はみんな呪われてしまう。誰も呪いたくない。この醜い顔がある限り自分は幸せにはなれない。それはたとえ天使と一緒だとしても。でも、それでいい、幸せなんて求めていない。こうして天使と語りあえる一瞬があれば、それでいい、それ以上の何ものをも望んでなんかいない・・・。

わずかに手にした幸福の欠片を手に握りしめてそれにすがっていたエリックに、私はもっとあなたを幸せにしてあげる。その幸福の欠片以上のものをあなたにあげる。ななたのすべてを愛してあげる。私はあなたを恐れない。私はあなたを愛している。そう、語りかけるクリスティーヌ。それはひとつの偽りもない真実で、まっすぐで強く穢れなき無垢な瞳はエリックに希望をあたえた。

何度観てもこの真彩クリスティーヌは望海エリックを受入れてくれるはずと確信出来た。その歌声の美しさは心をとらえ、あやつってしまうほどの、まさに魔法の歌声だった。こんなにも「武器」だと思える歌はない。まさに、人を生かすことも死することもできる歌声。必殺技だ。

自分に語りかけるように歌うクリスティーヌの言葉にエリックの心の鍵がひとつ、ひとつ、はずれて、彼の魂をしばりつける荊の鎖がほどけてゆく。かたく閉ざされた扉の向こう、いちばん昏くて深い闇の底でうずくまっている傷ついたままの幼いエリックが顔をあげて、扉にそっと小さな手をかけるように、エリックの顔が、慄きと恐れに怯えてふるえながら、歓喜と、幸福が混ざりあい、その歌声から得られる魂の解放と云うエクスタシーがわずかにひらいた唇からこぼれ、うるんだ瞳には陶酔があった。そうして、扉を開けて、傷だらけの幼いエリックが顔をだした・・・。

今度こそ、僕を抱きしめてくれる人が扉をノックしてやってきた。僕は、この扉の外に出てもいいんだ。太陽のしたで生きてもいいんだ。天使が僕を愛してくれる!

クリスティーヌの前に現れたのは、愛してくれる母親が死んでから扉の奥深くに閉じこもり時がとまってしまったままの幼いエリック。望海エリックは、ほんとうに子供だった。母親に愛して欲しくて抱きしめて欲しくてたまらない子供。顔だけの演技ではない、魂からの芝居で、望海さんは子供になった。もう子供どころか幼児だった。成人した大人があの幼い子そのものの瞳をすることができるのか。それが芝居だと言われたら、役者は頭がおかしくならないんだろうかと思ってしまう。感情を剥きだしにした望海エリックの顔は酷く歪んだ魂がはりついた顔をしていた。もう、芝居と真実の境界がわからなくて、私は何を観ているのだろうと思った。

仮面の下の顔を見て、悲鳴をあげて逃げ去るクリスティーヌ。

それみたことか!このこわっぱが!!!(私のなかのマインドキャリエールの心の声)

自信満々にキラキラとした微笑をたたえながら、私には愛があります、と言い放ったクリスティーヌの滑稽さ。うすっぺらな母性が剥がれ落ちた瞬間。しかし、彼女を責めることはできない。クリスティーヌは生まれた赤子のごとく無垢だったのだ。その未熟な幼さは、赤子そのもの。恐れを隠し偽りの理解を示し微笑むことも出来ないほどの子供。限りなく純粋で偽りがないからこそ、彼女はエリックの顔を見て悲鳴をあげて、逃げたのだ。子供が何も考えずに「予期せぬもの」を見たらびっくりして泣き叫ぶように。彼女の残酷なまでの純粋さをみせつけられたような気がした。

恐れおののく、と云うよりも、わけがわからなくなって混乱するように悲鳴をあげて逃げる真彩クリスティーヌ。愛と恐れがぐちゃぐちゃになって真彩クリスティーヌは意識があるとも無いともわからないまま、走った。彼女のなかはもうただただ、真っ白と真っ白がまざりあってぐちゃぐちゃになっていたのだろう。

後ずさるクリスティーヌに伸ばしたその手を拒絶されたエリックは、その空虚な手で、偽りの森を飾る布を掴む。森の緑は剥がれ落ち、ただの布となった。エリックの手が掴んでいるのは魔法がとけた虚飾の森の欠片。エリックは布を抱きしめて、泣叫ぶ。この世の終わりにのこされた最期の人間が泣く声は、こんな声だろう、そう思った。泣いているのは子供のエリック。扉からわずかにさした光に手をのばした瞬間、突き落とされ奈落の底へと堕ちた幼いエリック。その泣き声は子供の泣き方で、だから成人した大人がこんな泣き方できるものなの。望海さん年齢詐称してない???フェアリィ以前に役者に年齢はない。もう彼等に年齢と云う概念は無駄だ。

布を抱いてうつ伏せになりうわーんわんとエリックが泣き叫ぶと虚飾の森が一瞬にして崩れ落ちる。すべて偽り。太陽など何処にもないのだと、エリックを闇にひきずりもどそうとする数多の黒い手が、足を、腕を掴む。でも、どこかでこうなることは解っていたんだというように微笑をうかべながら、銀橋を渡る望海エリックの歌は次第に強さをおびてくる。エリックの心は弱くはない。それは彼も知らずに彼を地上にひきとめる白い手があるからだ。エリックはその見えない何者かの手に導かれて歩いてゆく。けれど、銀橋を渡り終える頃はまた、うわーんうわん、えっ、えっ、て泣きだしてしまうの、抱きしめたい。

 

エリックの年齢設定は28歳くらいだけれど特に明確には設定していない、感じ方は自由だと中村先生の言にもあるように、いままで実年齢は40代くらいだけれど心は子供のままとまってしまった、そうイメージしていた。けれど、望海エリックは実年齢も心も幼く、そしてさらに幼児性も垣間見える、少年と青年のあわいくらいだと感じた。望海さんの演じるエリックははじめて観るエリックだった。衝撃だった。そして、私の『ファントム』と云う物語の解釈にドンピシャだった。

 

黄泉の国から戻ってきたクリスティーヌは鏡のなかに閉じこめられていた。そのカラクリをいとも簡単にやぶってしまったキャリエール。まあ支配人だから知っててもおかしくないか。とか思ってるの?他の誰も知らなかったのに?もうこの時点であやしさ満載なのに誰か気づこう?疑おう?

正気に戻ったクリスティーヌははっきりと、自分が何をしてしまったのかを思いだし、エリックの元へ戻ろうとする。そのときのクリスティーヌに恐れは感じられなかった。自分を心配そうに見つめるキャリエールを見て、自分の弱さに気づきそれを悔いていた。は!おとうさん!ごめんなさい!私は息子さんに何てことを・・・!!!みたいな。

カルロッタの死を知ったショレの今後がわりと本気で心配です。ショレ何も悪くない。本当にショレは妻を愛していたのに。彼はエリックを呪っていいしキャリエールを罵ってもいい。エリックの罪の爪痕がのこるのを見て胸が痛いよ。

鏡のなかから現れたエリックが音もなくスーッと部屋へ入って来て直角に曲がるその動作が狂気じみていて恐い。気配もなく警官の背後に近づき振り向いたらそこにいるとか、どんなホラーだ。それにしてもあいかわらずエリック強いな。警官に姿を見られた瞬間、赤い幕がばっ、と落ちる演出好き。おどろおどろしい血なまぐささを予感させる。

 

血痕の跡を靴の裏で消す彩風キャリエール。ここすごく好きで毎回オペラでロックオンだよ。パパの愛をぎゅ、て感じる。ここは私が見たから向うを探してくれ。その言葉を何で信じるかな。真那ルドゥさん、彩風キャリエールに何か弱みでも握られてるの?それとも好きなの?惚れた弱みなの???

 

「この前は悪かった、おこったりして。」観るたびにその言い方が違っていて、ちょっと拗ねたようにだったり、バツが悪そうにとか、優しげな様子で等々。おこったりして。て言い回しがまた子供っぽい。彩風キャリエールはまったく気にしていないふうに、「いいのさ。」エリックもキャリエールがそう言うことを解っていたみたいで、ああ、そうか、こんなやりとりはしょっちゅうで、エリックは甘えているんだなあ、と素直に接することの出来ない二人のコミュニケーションの仕方が見えた気がした。

自分の人生は音楽を耳にすることが出来た、クリスティーヌの声を聴けただけで意味があったと、そう言うエリックは自虐的だったり強がったりしているわけではなく、本当にそう思っているのだとわかった。「闇に生きるが魂はあかるい」まさに、エリックの魂は闇に堕ちてはいない。どこまでも前向きで、幸福を信じて疑わない、その強さは救いだ。キャリエールにとってもそれは救いだっただろう。幼少期にたっぷり愛情をそそいでくれたベラドーヴァさんに感謝。そして、キャリエールにも。

 

望海さんがインタビューで、「エリックは親の愛情をたっぷり受けた」と言っているのを聴いて、あの状況で愛情を受けていたと何のためらいもなく素で言えてしまう望海さん。母親はともかく、いや、母親でさえあの状況では傍から見てとてもそうとは思えない。でも、望海エリックはその愛情を疑うことなく受入れていたのだ。エリックが、と云うか望海さんが。もう、役と役者の境界線は何処にあるのか。観ている側も見失いそうになる。

 

自分から顔を見せてと言ってきたから見せたのに悲鳴をあげて逃げていったクリスティーヌに対して、「僕の方こそ彼女を恐がらせてしまって悪かったと思ってる。彼女のせいじゃない」ここでこれを本気で言えるエリックちゃん大天使?強がりとか嫌味とかじゃないんですよ本気でそう思ってるんですよ。この子は。もう何ていい子なの・・・キャリエールさんも愛おしさメーターぶっちぎっていいこいいこして抱きしめたくてたまらないMAXだと思うよ。

「彼女は今も君のことを愛しているよ、」「昔のことさ、それもほんの一瞬だけ」さみしそうに小さくなる声・・・でも、そんな瞬間なら生きるに値する、そう微笑むエリック。エリックは人生のなんたるかを知っている。人は、その一瞬の為に生きているのだ。永遠に消えない一瞬、それに出逢う為に人は生まれてきた。エリックのこのセリフが、エリックの人生を自ら全肯定している。救われた思いがした。そして、彼の人生が他の人より哀しいものなどではなく、まったくもって素晴らしいものであったのだと、そう言いたい。

銃弾を受け、おぼつかない足取りで歩くエリックに、キャリエールは何度も手を伸ばすけれど、触れることをためらうようにわずかにとどかない、その気持ちだけがちゅうぶらりんになったままの手がもどかしい。エリックも、触れられたらどうしていいかわからないとばかりに、一人で歩けると、その手を避けるのも、いまだ近づくことことの出来ない二人の距離が、もう、背中から押してやりたくなってしまう。

警官たちの足音に、どさくさにその距離をいっきに突破してエリックを抱きかかえて物陰に隠れるキャリエール。でも、その手は強く抱きしめると云うよりも包み込むようで、まるで壊れそうなはかない花を風から護っているよう。仮面の上から手で顔をおさえながら怯えるエリックは手負いの獣の子みたいで、・・・この構図、どこかで。あれだ、王蟲の子供を隠すナウシカだ。

 

もうなんか、よってたかってみんなでエリックをいじめているようにしかみえなくてなんかすごく胸が痛い。まあ実際、エリック悪いことしてるんですけどね。でも子供をいじめているような気持ちになってしまうんだよ。

 

もう、既に確信はしていたけれど、その真実に触れることができなくていままできてしまった。でも、二人は何かを予感してしまったのだろう。もう、時間があまりないことを。探るように、会話をする二人。両片想い同士が相手の心をさぐるような、たしかめるような会話を、息も出来ずに見護ってしまう。このときの二人を観ている我々はいったいどういう存在なんだろう。観客。なのか、はたして。

エリック、この、彩風さんの魂のそこからじわり、とわきあがってくるような、エリックの、エ。何十年も息子として呼びたかったその名をついに呼ぶことができる、大切に、大切に声にだした、何十年分もの愛を込めた、エ。

愛情が人のカタチを成して現れた、愛情さん。まさかの愛情の擬人化。望海さんのセンス天才的でかつヲタク的だと思う。彩風咲奈と云う名前の愛情さんの愛情が洪水のようにおしよせて、エリックを、舞台を、客席を呑みこんだ。彩風さんの愛情に溺れそうだった。

エリックはおそらく幼い頃からジェラルドは父親だと、何となく心のどこかでそう思っていたのだろう。けれど、それは口にだしてはいけないことだと、何となく、わかっていて、ジェラルドは父親ではないと思い込もうとしていた。そして、クリスティーヌには、彼は私のことを叔父か何かだと思っている、と言っていたけれどキャリエールもエリックは自分が父親であることに気づいているのではないか、そう思っていたのだろう。でもキャリエールはそれを確かめるのが恐ろしくて、エリックも、何も言ってくれないキャリエールにそれを確かめて拒絶されるのが恐くて、臆病な二人はお互い気づかないふりをして、自分の気持ちに蓋をしてきた。

でも、エリックはその目元を見つめては、彼は自分の父親だ、と、確信していた。お父さん、そう、心のなかで何回つぶやいただろう。でも、その呼びかけに答えが返ってこなかったら、もう、自分はジェラルドと一緒にいることが出来ない。気づかれないように、そっ、と、自分と似ているその目元をいつも見つめていた。目元、て云うか眉毛がうりふたごだよね。八の字眉毛はやはり遺伝なのだろうか。

あなたに呼びかけたい、お父さん、と。息子だと言ってくれた今なら呼んでも許されるだろうか、本当に呼んでもいいのだろうか。それでも怖くて、フルえる声で、お父さん、そう、声にした望海エリックの、瞳には涙がいっぱいたまっていて、唇は少し緊張していた。うまく笑えない、うまく泣くことも出来ない、怯えているのか、歓喜しているのか、そんな顔で、お父さん、と、声にだす望海エリックの心臓の音まで聴こえそうだった。そして、黙ったまま、手をひろげてエリックのすべてを受入れる彩風キャリエール。愛情の第二波。もう骨まで愛情に呑みこまれてしまう。

音楽でかたく結ばれてきた。キャリエールは息子としてだけではなく一人の音楽家としてもエリックを認めていたのだろう。音楽を愛する同志としてのつながりも強く感じていた。キャリエールのエリックと云う一人の人間に対する敬意がそこには見えた。そして、キャリエールにとってエリックこそが「私の音楽」であり、そして生きがいだったのだろう。

自分の顔を知ってしまった幼いエリックはショックからその前後の記憶があやふやで、しっかり憶えていないことも多かったのだろう。もうずっと以前より母親とジェラルドと三人で一緒にいたこと。ジェラルドが仮面を作ってくれたこと。はじめてジェラルドから譜面をもらった日のこと。何もかもが霧の彼方の出来事のようで、ぼんやりとした記憶しかなかった。それが、親子として会話をしてゆくうちに、その霧はうっすらと晴れてゆき、エリックは、いろいろなことを思いだしていった。あのわずかな時間は、二人にとって十何年分もの時間に等しいものだった。

でも、声はいいだろう?エリックのその問いに答えるキャリエールの、「とっても、いい・・・!」この、とっても、が、めちゃくちゃ超絶ウルトラスーパーファビュラス最高そして最高にいい!みたいな感じで、もうエリックのこと全肯定しているようで、とても好きだ、大好きだ。この言い方は彩風キャリエールのための、彩風キャリエールだからこその言い方だと、そう思った。

いつか僕を貴方の手で安らかに眠らせて欲しい。おまえの望みはきっと叶えよう。息子が実の父親に言うセリフだろうか。そしてこの答えが、父親のものだと云うのか。狂っている。もう、この二人の関係は常人には決して理解出来ない、理解してはならないものなのだろう。歪でありながら、何よりも強く、深い、二人の絆。

父親に手をのばすエリック。そして、今度こそ逃げないで、ためらうことなく、しっかりと息子を抱きしめるキャリエール。その腕は優しく、でも、もう二度と離すことはないくらいに強く、エリックの魂ごと抱きしめるキャリエール。我々も、抱かれた。確実に抱かれた。愛情の第三波は半径10kmを呑みこんだね。

 

彩風さんが、自分は望海さんのエリックのキャリエールで在りたい、そう言っていたのがとても印象的で、まさに、彩風キャリエールは望海エリックだけの唯一無二のキャリエールだった。

彩風さんてほんとうに望海さんのお父さんなんじゃないかな。

 

望海さんの瞳の煌めきは、よく、瞳のなかに光をあつめなさい、と言われるけれど、それよりも、星が、望海さんの瞳のなかからあふれているようだった。望海さんの身体のなかで生まれた星が瞳からキラキラあふれてくる。ファンタジィすぎるでしょうか。だって、望海さんの存在そのものがファンタジィなのですから。私の脳内もファンタジィです。

 

舌の根も乾かぬうちにクリスティーヌの姿を見たとたん、キャリエールの腕をふりきってクリスティーヌの元へ駆けだし、警官たちと乱闘になるエリック。今、お父さんとお話ししたこと忘れちゃったの?!3歳児か君の脳みそは。

でも、こう考えもした。もう、自分の時が長くないと知ったエリックは誰かにこの命を奪われるのなら、お父さんに奪って欲しい。でも、キャリエールは優しいから、ああは言ったけれどそんなこと出来ないだろう。だから、そうせざるを得ない状況をつくるために、エリックは狂乱を演じた。クリスティーヌのへの執着は本物だっただろう。けれど、そんな思いがあったことも可能性の一つとして考えられるのではないだろうか。そしてそれをキャリエールも解っていた。僕を撃ってくれ、そう言ったエリックの目は錯乱などしていない、静かな覚悟に満ちていた。

エリックは残酷だ。実の親に、実の息子を撃てと、言う。なんのくもりもない無垢な瞳で。それがどれほどのことか、エリックには解らない。そして、エリックは無自覚のまま、キャリエールのなかに決して失えることのない疵をつけた。キャリエールは一生、その疵の痛みを抱えて生きてゆく。エリックは誰よりも強く、キャリエールのなかで生きつづけることになるのだ。愛してる人に自分を殺させる、てもう一生消えない疵跡をのこすようなものだよね。それを無自覚でやってしまうエリックほんと恐い。子供の邪気たっぷりの無邪気さよ。

撃ってくれ、父さん。エリックがキャリエールを皆の前で父と呼ぶ演出は今回が初めて。私の父子伝説ここに極まれり。私はこの一言を待っていたのかもしれない。

隠すことなく、あたりまえのふつうの父子として在りたかった。皆に、僕のお父さんです、そう言いたかった。今回の『ファントム』は父子の関係性がより強く描かかれていた。その物語の各所にちりばめられた父子の関係性を匂わせる諸々の演出の果てに、この、皆にエリックがジェラルドの息子であることを明かす。と云う演出は、とても、気持ちが楽になるような、重いどろりとしたものが透明な風になってゆくような、そんな心持がした。

じゃっかん、キャリエールさんの日々の態度があからさますぎて、「知ってた、」て雰囲気になるのではと懸念されたけれど、みんなちゃんと驚いてた。

真那ルドゥさん超かわいそう。何で俺に相談してくれなかったんだ、そう憤りながらも警察である自分に迷惑はかけられないとキェリエールは思ったのであろうことは想像がつく。でも、でも・・・、生け捕りにしろとか言っちゃったじゃないか!俺は何て酷いことをー!とか超悩みそう。真那ルドゥ警部真面目で優しいから・・・。 

 

銃を構えて、エリックに銃口を向けたまま煩悶するキャリエール。その背中。男役は背中で語る。でも、こんなつらくて哀しい背中、観たことない。彩風さんはその背中で、何もかもを語っていた。そして、キャリエールが撃ったのは、自分の心臓だったのか。

撃たれた瞬間、エリックの身体を捕えていた鎖は解かれ、エリックの肉体は解放された。それは彼の魂を縛りつけていたすべてのものからの解放でもあった。キャリエールの放った銃弾で心臓を貫かれた瞬間、エリックは彼をしばりつけ、苦しめていたすべてから解放されたのだ。その瞬間、オーケストラが奏でる音楽は、まるで祝祭のファンファーレのよう。音楽のなかに光がみえた。エリックに、おつかれさま、そう言って、導いてくれる第七の天使のラッパが吹き鳴らす音楽はきっとこんな音楽なのだろう。

その刹那の望海エリックの聖らかな顔。幸福そのものの微笑み。やっと楽になれた、そう言って眠りにつこうとまどろむような顔は、彩風キャリエールを見て、微笑する。ありがとう、と。

石になって、そして粉々に砕かれてしまったような彩風キャリエールの背中。エリックの為に生きてきた人生のすべてがその背中に在った。黙してなお饒舌な背中。これが男役の背中か。背中を見ているのに、胸のなかがまる見えな彩風キャリエールに魂が引っ張られてしまい、この背中から目が離せなくなる。 

エリックに駆けよるクリスティーヌ。もう彼女は何も恐れてはいない。そして、もう何も知らなかった頃の少女ではない。クリスティーヌの顔は、まさに、聖なる母そのものだった。仮面に触れようとするクリスティーヌに、いやだ、やめて、と顔を歪めて懇願するエリック。クリスティーヌはそっと、仮面を外す。クリスティーヌはまっすぐに、エリックの顔を見つめる。そして、愛おしそうに、その顔に、口吻けた。母ではなく、初めて恋したクリスティーヌのキスを受けて、エリックは、微笑みながら、クリスティーヌ、そう彼女の名前を呼んだ。この一瞬のために、エリックは生まれた。この一瞬をむかえるために出逢ったすべての人々と、歩んできた人生すべてのために、エリックは生まれたのだ。神に召されるとき、エリックはきっとそのことに気づいただろう。

クリスティーヌは心のなかで、何かを失い、そして何かが生まれた。これはクリスティーヌの成長の物語でもある。生まれたばかりの天使が、哀しみを知って、愛されること、愛すること、痛みを知り、そうして生きることが何かを理解した。エリックがつけた小さな甘い疵跡は、クリスティーヌのなかで永遠に、脈をうちつづけるだろう。それはクリスティーヌが真に生まれた心臓の鼓動でもある。

そして、シャンドン伯爵もまた、美しく光あふれる道しかか歩んできたことのない彼が生まれてはじめてこの世界の醜さに触れ、ほんとうに美しいものを知り、そして挫折を知った。あきらかに、彼は負けたと、そう感じた。何に。エリックに?クリスティーヌに?何にだかわからない、でも、彼が今目の前でみたものは彼が今まで出会ってきた何よりも強く、哀しく美しいものだった。シャンドン伯爵の人生に初めてさした影がこれからの彼の人生にどう影響してゆくのか解らない。けれど確実に、彼も、変わるだろう。どう変わるかは彼次第。

 

今までどこにいたんだ従者たち。もしかして、こうなることは承知していたのだろうか。エリックからそう、言われていたの。彼等はすべてを受入れていたのか。それか昼寝でもしてたか。キャリエールを見る沙月従者の顔は、その心を自分のものであるかのように受けて、苦痛に満ちていた。彼女はこれからどうなるのだろう、従者たちは。それはあまりにも切なくて、つい物語の中で幸せにしてあげたくなってしまうけどさすがに鬼のように長くなるのでまたの機会に。

 

ゆっくりと横たわるエリックに近づくキャリエール。キャリエールの旅は終ったのだ。これはキャリエールの人生の旅の物語でもある。彼の身体と魂をつなぎとめていた枷は失くなり、彼は自由になった。そして、生きる意味も失くなった。彼が生きていかなければならない理由はもう、失い。エリックの傍らに膝をつき、その亡骸を見つめながら、微笑みをたたえるキャリエール。そして共に、セリ下がってゆく。この演出も今回が初めて。

何が起こったのか最初わからなかった。これはどう云うことだろう。動揺して、頭のなかが真っ白になった。望海エリックと共に地獄に堕ちてゆくように奈落へとセリ下がる彩風キャリエール。え、無理心中?なんかキャリエールもこのまま死んじゃいそうじゃない?いや、ちょっとそんな無理心中とかやめて下さいしんどすぎてキャリエリ派閥息も絶え絶えです。どう解釈したらよいのか中村先生に詰め寄りたい。

彩風さんの愛情の波動が地球をも呑みこむ勢いで、楽が近づくいてゆくにつれその範囲はひろがり、もう彩風キャリエールは宇宙も抱ける。この彩風キャリエールパパの眼差しと微笑に、毎日劇場が海に沈むくらい泣いた。

 

背景の画像に映る、水面に一片一片、散りゆく白い花の花弁はエリックの散ってしまった魂のよう。

虚ろに歩く、クリスティーヌ。その瞳にあの春のようなかがやきは失く、虚無だけがみえた。

クリスティーヌがエリックに抱く感情は恋ではなく母の愛情に似たものだと思っていた。エリックがクリスティーヌの恋の対象に成り得るとは思えなかったからだ。真彩クリスティーヌもエリックに恋をしてはいなかっただろう。愛していた、でも、それは恋じゃない。でも、エリックのことを想いながら、もう一度あなたにめぐり会いたいの、そう歌うクリスティーヌの歌声には、生まれたばかりの恋の熱情が、宿っていた。はじめて、『ファントム』、これは恋の物語でもあったのだと、そう思った。

エリックが弾いていたピアノの鍵盤にエリックの指の記憶をなぞるように指をおくクリスティーヌ。その音にエリックの声を想いながら、クリスティーヌはエリックの面影をそっと閉じた瞼のうらに描いた。美しい声で自分を見つめながら歌うエリックは誰よりも美しく、愛おしく、恋しい人だった。蝋燭の灯が失えるまで、クリスティーヌはエリックの歌声につつまれて、幸福のなかに在た。

 

 

終。

 

半分以上ただの二次創作になってしまいました。+αとフィナーレの感想文は次回。