裏庭

宝塚。舞台いろいろ。

感想文 雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』第二幕。※ネタばれアリ。

 

マックスはヌードルスがデボラにフラれたことをどうやって知ったのだろうか。たぶん、デボラのために冠を注文したりうっきうきで薔薇の手配をしていたりリムジンをレンタルするヌードルスの姿を目にしていただろうから(ヌードルスは隠すつもりないしいろいろダダもれだから)翌日、遅い時間に事務所へやってきたヌードルスを揶揄いながら、デボラとはどうだった?とか訊いてしまい、事の顛末を知ってしまったのではなかろうかと云うのが予想です。掛け算的な思考をおりまぜようと思えばいくらでも出来るのですが自重します。マックス的にはふさぎ込むヌードルスを何とか元気づけようと思って、ハバナdeヴァカンス計画をたてたのではないのかな。

 

このあたりのエピソード、映画版だと、デボラと別れた傷心のヌードルスはしばらく仲間たちと連絡もとらず事務所へも戻らない無断欠勤状態だったところ、フラりと事務所へやって来たらマックスに、ヌードルスがいないあいだ自分たちの仕事がどれだけ大変だったかと無断欠勤を咎められ、更に女ごときの事で云々とデボラの事に触れられたヌードルスは、「マックス、お前だって女(キャロルのこと)を事務所に連れこんでるじゃないか、」と反論する。その反論にマックスは激怒。

「俺はこんな女なんかに惚れていない!いますぐ追いだしたって構わないんだ!!だが、お前はあの女に本気で惚れている、だからダメなんだ!!!」

マックスの本音でた。このときのロバート・デニーロヌードルス、“マックスが何でそんなに怒っているのかわからない”ぽかーん顔をしていて、この反応、望海ヌードルスでも容易に想像出来る。何かよくわからないけどマックスが怒っているので、いいよじゃあ出ていくよヴァカンスにでも行ってくると部屋を出てエレベーターで階下へ降りビルの外へ出ようとしたとき、速攻でエレベーターに乗ってヌードルスを追いかけて来たマックスに呼び止められ、「俺が悪かった、俺もいっしょにバカンス行く、」変わり身早ッ!なんなんマックス…どんだけ拗らせてるのよ…恐いヨ…。

 

ハバナ祭。色のない世界から絵具をチューブからだして無造作にぬりたくったような色のあふれる世界へと舞台が一転する。いつだって鈍色の空しかみえなかったニューヨークとおなじ空がつづいているなんて思えない、そこはぬけるような青い空がどこまでもひろがる楽園だった。朝美キャロルにちょっかいをだす諏訪くんに、俺の女に何すんだ的に攻撃するマックスはふつうの彼氏みたいな顔をしているけれど、それは楽園の魔法にかかっている瞬間だけにみせる顔、そう、キャロルは知っていた。でも、それでも嬉しい。とか、キャロルは思っていそうで、つばの広い帽子からのぞくキャロルの顔がほんとうに幸せで楽しそうで、このときの記憶はキャロルの心のずっとずっとおくに、大切な想いでとしてしまってあったのだろう。

 

エヴァにナンパされるヌードルス。最初は拒むけれど、あの、南国の太陽をいっぱいに浴びて咲いた花みたいなエヴァの笑顔に心が少し、ゆるんだのか、彼女の差しだすグラスを受けとる。

テキーラが入ってるのか?!」

え、何、お酒入ってないと思ってたの?じゃあ、マンゴージュース呑むつもりだったの?このウェイウェーイなマイアミで??ヌードルスちゃん、ほんとにギャングなのかな…。

すっかり酔いつぶれてエヴァに介抱されるヌードルスヌードルスお酒弱すぎない?「俺はまだ帰らんぞ、」ここは新橋か。

ホテルまで送っていくからとエヴァに支えられ(普通これ逆じゃない???)、思わず、デボラ、戻ってきてくれたのか、とエヴァにしがみつき口走ってしまう。ヌードルス、女房に逃げられたおっさんにしかみえないんだけど…、このあたり、じゃっかん(小池先生が)設定見失ってる気がするよ…。

エヴァもこんな酔っぱらったおっさんの相手をよくしてくれたなあ。ふつうだったら途中で放り投げて帰るよね。でも、まあ、何かから逃げるようにお酒を呑んで自暴自棄になっているヌードルスを見捨てられない気持ちはわかる…、捨て猫を拾ってしまった感じだろうか。「ねえ、もうかえろうよぅ、」呆れたように、こまったなあ、でも放っておけない、そんなふうにヌードルスの顔をのぞき込む彩エヴァ。このときの彩さんの唇がとってもキュートで、こんな唇が触れるほど近くにあるのに、ヌードルスおじさん…紳士とか云うレベルじゃないだろう。ヌードルスエヴァ。この先ずっと一緒にいたら、もしかしたらヌードルスは彼女のことを少しは好きになったかもしれないな、と思った。

マックス登場。エヴァと“よろしくやっている”とヌードルスを揶揄うが、エヴァがデボラの名前をだした瞬間、顔から笑顔が失せて、目には苛立ちがみえる。いつまでもデボラを忘れられないヌードルスへの苛立ちか、ヌードルスをこんなふうにしてしまったデボラへの苛立ちか、ヌードルスのなかでデボラを超えられない己への苛立ちか…。

そんななか、禁酒法撤廃の知らせが届き、マックスたちの未来に陰りがみえはじめる…。

 

撮影が終了し、サムと暮らしている部屋へ帰るデボラ。デボラはニックに、サムとの暮らしぶりを話す。まるで皇帝のような暮らしだ、とニックは驚嘆する。サムと豪勢な生活を共にしているデボラは、まさに皇后になったようだ。だが、デボラが欲しかったのはそんなことなのか。プールのある豪邸?何人もいるメイド?それは全部、サムが彼女にあたえたモノ。彼女が自分で手に入れたモノなんて何ひとつないのだと云うことを、デボラは気付いているのか。デボラは必死になって掴んだ夢に眼がくらんでいる。でも、デボラがどれだけ必死にここまで昇りつめてきたかを知っているからその愚かさを責める気にはなれない。

ニックはどこまで気づいていたのかな。でも、もし気づいていたとしてもニックは何も言わないだろう。幼馴染という立ち位置的にはデボラへなんやかやと忠告するキャラになりそうなところを完璧にスルーしているのは、意図してか、特に(小池先生による)設定が無いだけか。なので、私は勝手にニックの設定をもりもり考えている次第です。

「映画は成功するさ!だって僕が書いた曲が大ヒットするから!」ニックとデボラ、手をとりあって子供みたいにはしゃぐの、綾さんと真彩ちゃん~同期~!てカンジで可愛い!デボラはニックと一緒にいるときがいちばん楽しそうで幸せそう。この二人のあいだに恋愛感情がまったく無いの、完全なる男女間に成立する友情と云うかんじでとてもよい。この先、ずっと一緒にいたとしてもこのまま一生、二人の関係は変わることはなかっただろう。

 

家に帰ったら何かすごい人おった。

デボラが帰ってくることを知っていて、見せつけるためにデボラのガウンを着て、彼女が吸わない莨を吸って、さもこの部屋の主のように振舞う、星南ベティ。

「西部のワイルド・ビューティ!バァーン!!」

この、バァーン、が、もう星南さんにしか言えないバァーンだろうなって感じで耳にのこってクセになるバァーン。言ってみたいセリフナンバーワンだけど、あのバァーン☆は星南さんだけのもの…。

『西部のワイルド・ビューティ』どんな映画なんだろう。お色気たっぷりのキュートな美女がウェスタンの荒くれどもを手なづけて、すっかり良い子ちゃんになった野郎どもは街の皆を守る正義のナイスガイたちに生まれ変わる的な。『マンハッタン・エンジェル』とだいたい同じだな。

星南さんの胸のドーランがちょっと濃すぎておもしろ谷間になってしまっているのだけれど、むしろいいのか。あのキャラはあれでいいのか。

煌羽サムに紫煙を吹きかけ、それをサムがちっともイヤそうじゃなくイヤがる、そんな二人の姿を見ているデボラに、しらじらしく声をかけるサム。この、紫煙を手ではらいのけるときの煌羽さんのエッチさよ…。

「ハリウッドは俺の帝国だ、おまえたちはそこへやってきた捕らわれの姫なんだよ、」

そう、そのことに気付かなかったデボラ。サムの名のもとにデビューして、彼に何もかも与えられて、そして彼に愛された、それを全部自分の実力で手に入れたと思っていたのだとしたら、デボラは愚か以外の何ものでもない。でも、デボラもどこかでほんとうは気づいていたのかもしれない。だけれど、自分の力ですべて手に入れたと思いたかった。サムは実力のある役者としての自分をビジネスパートナーとして必要としていて、そして女としても愛していると、自分にはそれだけの価値があると、そこまでの存在になれたのだと、思いたかった。でも、サムは自分の才能を認めてくれていたわけではなかった。その現実はデボラの自信を打砕くには充分だっただろう。愛を失ったと歌う真彩デボラの姿に、薔薇の海で溺れながら愛の終焉を歌うヌードルスの姿がかさなった。夢をみて、夢にやぶれた二人の魂は、おなじだった。

星南ベティもいつかサムに捨てられるだろう。でも、ベティはそんなこと最初から解っていたと思う。利用され利用する関係をすべて理解したうえでサムに近づいたベティのしたたかさがデボラにはなく、デボラは純粋すぎた。デボラはサムのことを愛そうと、愛していると思っていたかもしれない、でも、デボラの心はいつも別の何処かにあって、サムの腕のなかにいてもサムを見てはいなかった。そのことに、サムは気づいていたのかもしれない。

「俺を利用しようとする女は愛おしい、俺の庇護を得ようと媚びてくる女も可愛い、でも、お前は、何の駆け引きもなく俺に愛されていると思い、そして純粋に俺を愛していると思っている、なのに、俺の腕のなかでお前はいつも別の誰かのことを夢みていた、俺を見つめながら俺のことを少しも見ていない女より、俺を利用しようと俺にしがみついてくる女の方がマシだ、俺をバカにするな、」

煌羽サムの言いたかった全文は以上です。(二次創作)

 

サヨナラ禁酒法

禁酒法のお葬式と云う悪趣味なパーティでスピークイージーの栄光の終焉を惜しむ人々。禁酒法のおかげで甘い蜜を吸っていた人々にとって、禁酒法の撤廃はまさに自分たちのお葬式を招きかねないと云う自虐的なシャレ。

 

刹那の享楽に耽る人々の影で、彩風マックスと彩凪ジミーの密談。金を融資して欲しいとジミーにもちかけるマックス。

「…今度うちの事務所に来てくれ、皆がいない真夜中に…見られないほうがいい…、」

は?????誰もいなくなった真夜中の事務所に??来てほしい???何言いだすの翔くん…いえ、凪さま…ちょっと体温3度くらいイッキにあがったわ…。

「君は、こんなところへおいておくのはもったいない男だ、」

トドメの殺し文句。マックスは、自分には才能があると思っていた。生まれた境遇のせいでその才能が活かせないだけで、自分はあの摩天楼の頂点に立つにふさわしい男だと信じていた。そして、それを誰かに認めてほしかった。その、何よりも欲しかった言葉を、ジミーはマックスにあたえたのだ。マックスはジミーこそ自分の理解者だと思ったのだろう。それがジミーの手管だと見抜くことも出来ずに。

マックスに背を向け下手へ去ってゆくときの、彩凪ジミーの不敵な微笑。「チョロいな、これでマックスは俺の言い成りだ、」そんな微笑。まさに、「計画通り」新世界の王になるつもりなの…凪さま…そんな顔もできちゃうなんて…凪さまには果てがない…。

 

共有財産を資金にして不動産を買って事業を始めようと提案するヌードルスに、摩天楼を買おうとして資金が焦げ付き逆に借金が出来てしまったことを告げるマックス。何勝手なことしてくれとんじゃ、と怒りたいところだけれど、スピークイージーで稼ぐことが出来なくなって不安になっている仲間に、俺が摩天楼のビル買っといたからもう安心だぜ!て言いたかったのかな、マックス。自分の才覚を信じて、その力を皆にも示したかったのかな。誰よりも不安で、焦っていたのはマックスだったのかもしれない。そう思うと…、いや、やっぱ、何してくれとんじゃワレ、て言いたいよな。アポカリプスのみんなは優しいね。

 

連邦準備銀行の襲撃はお金のためと云う以上に、アメリカの権力の象徴ともいえる連邦準備銀行の襲撃に成功すれば、それは憎いアメリカへの復讐を果たし、アメリカに勝利したことを意味する。マックスは、俺は少年の日に誓ったいつか力を持てた時このアメリカに復讐すると…、そう歌う。復讐を誓った少年の日。それはまさに、ヌードルスを救えなかったあの瞬間なのではないだろうか。

ヌードルスもあの日から自分の運命を呪いながら生きてきた。そしてマックスとおなじくいつかこのアメリカに勝利すると誓った。いつか、この昏闇から脱けだして陽のあたる場所へ出ると。マックスの成しとげようとする復讐では、陽のあたる場所へでるどころか出口のない更にもっと深い奈落の底へと堕ちるだけだとヌードルスはマックスを諭す。アメリカを憎み、自分たちを虐げてきたアメリカに復讐し勝利する。二人の願いはおなじなのに、二人の歩こうとする道は違う。

どうしようもなく憎い国、憎んでも憎み切れない、それがアメリカ。アメリカ憎いソングはラヴ・ソングのようにも聴こえる。憎くて憎くてどうしようもないけれど、ほんとうは愛されたかった、この、とてつもなく大きな国に。この国に認められこの国の人間として生きたかった。でも、この国は自分たちを拒んだ。愛されなかった子供たちは、そのやりきれない哀しみを憎しみに変えるしかなかったのだ。

マックスがキャロルを殴るたびにムカッ、とするけど、彩風さんは上級クズ男の役が何故かけっこう似合うな…と思ってしまいいささか後ろめたい気持ちになる。

「女にフラれていつまでもひきずってるおまえとは違う。」

ヌードルスの地雷を踏んでしまい、ヌードルスちゃん激おこ。二人のあいだにはいってとめる真那コックアイがいつもの真那さんだった。真那コックアイさんの苦労がしのばれます。

ヌードルスに、狂ってる、と指摘され、

「そうだ俺のオヤジは病院で狂い死にしたんだアメリカを呪いながらな!俺にも遺伝しているに違いない!」

これがマックスの闇なのか。父親の吐く呪いを幼い頃からずっと聴かされ、そして狂いながら死んでいった父親の姿に、自分の未来の姿を視てしまったのか。自分にも狂気の血が流れている、その血をときどき自分のなかに感じて、マックスは恐れていたのか。

父親が呪っていたアメリカに勝つことで、マックスは父親の呪縛から解かれると、そう思っていたのかもしれない。

「おまえは鋭すぎるんだ、」

このヌードルスの言葉、マックスのことをとてもよく解っていると思った。鋭すぎる魂の切っ先は、繊細で、そしてとても脆い。感じなくてもいいこと、視えなくてもいいもの、すべてを感じ、視てしまう、そんなマックスの鋭さを、ヌードルスはずっと危惧していたのかもしれない。

こんなに解っているのに、お互いのこと、理解していたはずなのに。どうして二人は道を違えてしまったのだろう。

 

連邦準備銀行を襲撃する。真那コックアイはそれがどれほどのことか理解していて、でもこうなったらもうやぶれかぶれだ俺の人生はしょせんこうさ、的なポジティブな諦念を感じ、縣パッツィは、何だかよくわかんないけど何かすっげえことするんだなオラわくわくすっぞ!悟空的無敵さを感じる…。

 

何とかしてマックスを止めようとマックスに喰ってかかるヌードルスと、もうどうにもならないところを超えて腹を括ってしまったマックス。お互いの眼から視線を逸らさずに強く睨みあいながら、まるで視線と視線で殴りあっているような激しさ。奈落からヌードルスを見下ろす彩風マックスと何とか地上へ引き上げようとマックスを見上げる望海ヌードルスの、ここの身長差がいい。個人的に、望海さんと彩風さんの身長差に滾ります。

二人のあいだで仲裁役として翻弄される真那コックアイと何か二人が喧嘩してるよどうしよう縣パッツィ。アポカリプスの四騎士ってちょっと図体が大きくなった悪ガキなんだよね。

真彩ちゃんもお気に入りの、足でカウントをとるような…このときの望海ヌードルスの振付、私もお気に入りです。

 

キャロルの願いの身勝手さに腹立たしくなる。キャロルはマックスのことだけを考えている。マックスを失うのが恐い、それはキャロルの弱さであり、キャロルがマックスのことを護りたいのは自分を護ることでもあるからだ。でも、そんなふうにしかつながれない、そんなふうにしか愛せなくても、まぎれもなくキャロルはマックスを愛していて、心から想っている。その剥きだしの痛々しさに、私がヌードルスであっても、心が揺れるだろう。

キャロルが自分で密告すればいいのでは?自分が密告したことがバレたら確実にマックスは自分を捨てる。マックスに嫌われたくない。ずるいなあ、と思うけれど、そんなキャロルのずるさが愛おしいとも思う。

そんな捨てられるのが恐くて震えている仔犬みたいなキャロルに犬エピソードまで聴かされたら、ヌードルスだって真剣に悩んでしまうよ。ヌードルスだってマックスを失いたくないと思っているのだから。でも、友であるマックスを裏切ることもしたくない。キャロルもヌードルスも、何がマックスの為なのかを真剣に悩んで、そして、だした結論だったのだ。

 

誰にも相談できない、解決しない悩みに、ヌードルスは神を求める。いままで神なんて信じた事もなく、その存在を感じた事もなかった。むしろ神などいないと思っていた。でも、ヌードルスにはもう、何もなかった。何もかもを失ったとき、神は現れる。最期の砦にしがみつくようにヌードルスは祈る。自分が罰を受ける事など恐れはしないけれど友を騙し陥れることが恐い。ヌードルスにとってはそのほうが銀行を襲撃するよりもずっとずっと罪深く、恐ろしいことだったのだろう。天上からひとすじさす光のような照明のなかで歌う望海ヌードルスの姿は一枚のイコンのようだ。姿なき神にすがり、激昂する望海ヌードルスは内臓を吐きだすように歌う。その歌は、歌と云うよりも魂をなげうって慟哭する祈りのようだった。

 

ちょっとダビデの星を連呼しすぎだなと思うし気がついたらセットもダビデの星だらけで、ちょっとカジュアルに使いすぎででは…。

 

棺の中に隠したダイナマイトが気になって仕方ない縣パッツィ。チラッチラと棺を見ながらそわっそわしてるのもう挙動不審以外の何者でもない。ついに我慢できずに、

「これがダイナマイトだー!」「馬鹿野郎、そんなもんしまっとけ!」

ここのやりとり、ただの真那さんと縣くん。めっさ雑にダイナマイトを扱う縣パッツィ。何か縣パッツィを見ていると、密告なんかしなくても計画は失敗したんじゃないかな、て思えてくるよ…。

 

「新しい女に今夜は行けないと電話してくる、」

新しい女と云うパワーワード。無理すんな、ヌードルス。何かを察したようなキャロルの顔。部屋を出ていくヌードルスに視線をやりながらキャロルを抱くマックス。それぞれの思惑が交差するように、盆が廻り、舞台はアポカリプスの四騎士たちの事務所へと変わる。

 

電話の前で煩悶するヌードルス。受話器を手にとり、ダイヤルを廻す。相手は、“新しい女”ではない。警察に密告し受話器を置いたヌードルスの前にマックスが現れる。動揺するヌードルスは机の上の書類をバッサーと落とすのだけれど、全部豪快に落とすときもあれば一枚しか落ちないときもあったり、思ったより遠くにとんでいってしまったりするときもあって、毎回、何気に気になる書類の行方。それを慌てて拾うヌードルスの手を掴み、「…手が汗でびっしょりだ、」ヌードルスの緊張と焦燥を指摘するマックス。

「恐いならこなくてもいい、」その手の汗の意味を、銀行を襲撃する事への緊張と恐怖だと思っているマックスはヌードルスに足手まといだと言放つ。

「恐くなんかない、俺はムショ帰りだ、」ヤンキーの虚勢みたいな言い訳をするヌードルス。その動揺の、真の意味を悟られないように。隙をついてヌードルスを殴り、気絶させるマックス。このときのマックス、ちゃんとヌードルスの身体を抱えて、そっとソファに寝かせてあげてるの、まあ、マックス的にはそのまま投げ捨てておくのが正解なんだけど、舞台上で役者(望海さん)を投げるわけにもいかないからなのだろうけれど、その彩風さん(notマックス)の手がとても丁寧で、もしかして、マックスってばヌードルスを危険なことに巻き込みたくなくて、ワザと…?と、ついマックスの優しさを信じてしまいたくなるのでした…。

それにしてもヌードルス、ちょっと弱っちくない…?あながち、足手まとい、ってのも解る気がするな…。

 

 

ゲスい警察真知くんがほんとうにゲスい。桜路フランキーと組んでアポカリプスの連中を始末する計画を企てる。この街に正義はないのか。自分たちマフィアも悪であることに間違いはないが、もっと深い闇をこの街に視た桜路フランキーの絶望を吐きだすような、「悪党が…ッ、」電話を持って立っている眞ノ宮トニーがとっても魔夜峰央の美少年顔。

 

ダイナマイトを銀行の扉に仕掛けるのはパッツィの役目。何故、そんな重要な役目を縣パッツィに???もう失敗が目に見えているのでは…。

現場に現れるフランキーの一味。何故この計画が漏れたのか。マックスの脳裏にはヌードルスの裏切りが過ったかもしれない。だとしたら、たとえヌードルスが裏切ったのだとしても今のこの状況がヌードルスの望んだものではないことも同時に理解しただろう。ダイナマイトの爆発に巻き込まれるマックスたちとフランキー一味。諏訪ダニーとんだとばっちり。

ものすごい速さで警官たちがKEE POUTの黄色いテープを貼りめぐらせサイレンが鳴る現場に記者たちや野次馬が群がる。そのスピード展開の演出が現場の混乱を臨場感あるものにしている。キャロルがマックスの名を狂ったように叫ぶ。そして、ヌードルスも…、これが神が自分にあたえた試練なのか、仲間を裏切った自分への罰なのか…、嘆きながら後悔と自責の念と、絶望へと堕ちてゆく。ヌードルスのやることがすべて裏目にでてしまい、神は何故ヌードルスにこんなにも業を背負わせるのか…いくら望海さんの苦悩する姿はたいへんおいしくてもあまりにもこれはつらすぎる…。

 

世間にこの顛末はどう伝えられたのだろう。密告により銀行襲撃を知った警察はマフィアたちを阻止すべく現場へ向かい銀行襲撃は防ぐことが出来たが爆発が起きてしまい、犯人であるマフィアたちはその場で全員死亡してしまった。そんなところだろう。キャロルはマックスの死が自分のせいであると感じ自責の念から、そして哀しみと苦しみから逃げるように記憶を失い、まだ何も知らない子供のころの世界へ閉じ籠ってしまった。

 

なんだかんだとファットモーのことを頼りにしているヌードルス。実際、橘ファットモーさんめちゃくちゃ頼りになってる。

現場にヌードルスがいなかったことに気付いたフランキーの一味はヌードルスの居場所を聞きだそうとファットーモーを拷問する。ヌードルスはファットモーを助けたあと、ひとまずチャン・ダオの阿片窟へ隠れる。映画版にでてくるこの阿片窟の、表の顔である劇場の猥雑さは阿片窟よりも妖しく淫蕩な雰囲気であった。

 

ラヂオから連邦準備銀行が襲撃されたニュースが流れてくる。そのニュースに耳を傾け手をとめるジミーの事務所へ火傷を負ったマックスが現れる。ジミーは瞬時に、連邦準備銀行襲撃とマックスの火傷を関連付けることが出来ただろう。そこでフ、とある疑惑が生まれた。

もしかして、マックスの連邦準備銀行襲撃の背中を押したのはジミーなのではないか。真夜中の誰もいない事務所で、マックスは実行するともしないともまだ何モノでもなかったぼんやりとした連邦準備銀行襲撃の計画をジミーに話す。ジミーは、君なら絶対に成功すると、マックスの自尊心をくすぐりながら計画の実行を促す。ジミーとしては、マックスたちが成功すれば金を得たマックスたちの力をバックにすることが出来る、失敗しても自分は損をするわけでもなく何の影響もない…、まさに、自分の手を汚さずに、あわよくば甘い蜜を吸うことが出来るのだ。

あまりにもジミーの手際が良すぎて、ジミーはこの事態を予想していたのではないだろうか…、こうやって偽装したこともはじめてではないのかもしれない。彩凪ジミーの魔性がとどまるところをしらない…。

怪我をした彩風マックスの姿はちょっと私のナニかに刺さりました。ちょっと丸尾末広みある…。

 

阿片窟で、天国を思いうかべるんだと言われたのに悪夢をみるヌードルス。阿片で苦痛を忘れ快感を得るはずが子供の頃の嫌な思いでから最新の嫌なことすべてをフルコースで思いだすヌードルス。この阿片不良品なんじゃないの…。

ヌードルスを悪夢へと誘う天使の笙乃さん。その愛らしく純潔な姿とはうらはらにその存在はとても狂気に満ちていてグロテスクだ。背中のうすい皮膚を突破った奇形の骨が翼のようなカタチをしている、異形のニセモノの天使。大きく見開かれた瞳は玻璃珠のよう。機械仕掛けの天使はにっこりと微笑んで鋼鉄のマシンガンをヌードルスに手渡す。もう、このときの笙乃天使が全部好みすぎて…乱歩の世界から抜けだしてきた剥製みたい。

綾ニックが望海ヌードルスの腕をピアノの鍵盤に見立てて弾くのがエロテッィクだなと思いました。望海ヌードルス、君を弾いたらいったい君はどんな音を奏でるのだろうね…?

エヴァの冷酷さが記憶にのこるくらい印象にある。ひかりふる路の「最高存在の祭典」での彩リュシルもそうだった。幼子のような愛らしさが一変するその落差を彩さんは魅せるのが上手いなと思う。

とかく演出家は望海さんを苦悩させたがるふしがある。翻弄され喘ぐ望海さんがそんなに好きなのか。まあ好きですよねそれは全人類共通認識です。

望海ヌードルス総受シーン、映画版ではこのシーンに該当する場面で、ヌードルスは謎めいた満面の笑みをその顔にうかべている。その笑顔の意味は、映画では明確にはされていない、謎のままだ。

 

追手がやってきたと知らされ逃げるヌードルス。寝ても悪夢、覚めても悪夢。駅のロッカー363を開けるが、そこには何もなかった。逃亡の為の金が無くなったことと共に、友の誰かが裏切っていたと云う事実がヌードルスを殴りつける。これが、罰なのか、友を裏切り死に至らしめた自分への、神があたえた罰なのか…。信じていた友の裏切りを、自分への罰として受けとめるヌードルス。恨むのは友ではなく、裏切り者の自分。金も、友も、すべてを失ったヌードルスは、ただ罪だけをその身に抱えて嘆く。その望海ヌードルスの自分を鞭打つような嘆きは世界が終わる断末魔のように聴こえた。

 

新人賞を受賞したデボラへインタビューするマスコミ。久城さんも舞咲さんもこれでもかってくらい超イジワルなカンジがかえって好感持てる。沙月さんの、「ハリウッドにのこるんですかぁー?」(ブロードウェイの田舎に帰れば?)みたいな裏の声が聴こえそう。

取り乱すことなく、記者たちの意地の悪い質問に気丈に答えるデボラ。記者たちは新人賞のことなどに興味はなく、ゴシップに関心があるのだ。役者としての自分は彼等に必要とされていない…、サムの事以上にその事実に打ちのめされるデボラ。そんなデボラに、「強くなったね、」と声をかけるニック。送って行こうかと言うニックに、「一人で帰るわ、いつまでもあなたに甘えていたくないから、」とこたえるデボラ。「わかった、じゃ、」それだけ言ってニックは去ってゆく。この、余計なことは何も言わない、普段通りのいつものニック。その存在がデボラにとってどんなに居心地が良かったか。でも、もうその居心地の良い場所に甘えていることは出来ない。それはデボラの覚悟だったのだろう。これ以降、ニックは姿を現さない。もしかしてニックはデボラの守護天使だったのではないだろうか…。いつでもデボラを見護っていた天使はデボラが自分の足で歩いて行くと決めたそのときに、役目を終えたのだ。だってあまりにも綾ニックが天使すぎて…。

 

もうすでにデボラは夢に破れ夢に挫折し、いまにも頽れてしまいそうになっていた。女優を引退する考えはもう既に彼女の頭の片隅にあったのだろう。弱い、デボラはあまりにも弱すぎた。純粋で、美しく高潔すぎて、穢れることに耐えられない程に。負けないで欲しかった。独りで生きる、愛のない日々が待っている…、そんなふうに絶望をして欲しくなかった。このときのデボラは、苛立ちさえ感じるほどに歯がゆくて、そのすべてを諦めてしまった背中が、どうしようもなく哀しかった。大暴れして愛の幕引きを慟哭の如く謳った望海ヌードルスと寂しさと哀しさに打ちのめされて灯が失えるように謳う真彩デボラの対比が、これから彼等が歩んでゆく人生そのもののよう。

 

再び、現代のファットモーダイナー。

野球の勝敗を賭けようともちかけるファットモーに、賭け事はやらない、と断るヌードルス。どこまでも健全な小市民を貫くヌードルス。それは昔、彼が成りたかった、このアメリカで普通に生きる普通の人の姿そのものであり、彼は今、はからずもその“普通の人生”を満喫しているのかもしれない。

ラヂオからベイリー長官のスキャンダルのニュースと、かつての仲間だったジミーの演説が流れる。銀橋に現れた壮年の彩凪ジミー。歳はとっているものの、その眼光の不敵さと、魔性はまだまだ現役。

そこで、ヌードルスはベイリー長官から誕生日パーティの招待状が届いたことをファットモーに告げる。そしてファットモーはキャロルがいるサナトリウムもベイリー財団が経営していたことを思いだす。だんだんと、カードがそろってきた。いくらなんでもヌードルスだって気づく。ヌードルスは人の気持ちには鈍いけれど、頭は“切れ者”なのだ。

 

サナトリウムを訪れるとき、ちゃんと上着の第一ボタンをしっかりとめる望海ヌードルスの細やかな芝居。相手に対するヌードルスの敬意を感じる。

キャロルのはじめての面会人に喜ぶ早花院長の紹介と共に、記憶を失ったキャロルが現れる。かつての艶やかさは少しもなく、車椅子に沈んだ身体は痩せ細り、虚ろな瞳は光を失っていた。手にした赤い薔薇が妙に浮いている。色のないメイクに目の下に作られた疲労感ただようクマが、かつてのあのキャロルとは思えない、朝美さん化けたな。目の下のクマのお化粧も、大劇場と東京公演では変化していて(東京公演ではより自然になった)役作りに余念がない。言い方があれかもしれないけれど、朝美さんの、自分の美貌に胡坐をかかない、徹底した役作りに毎公演、役者魂を感じる。

辛かったことをぜんぶ忘れてしまったキャロル。幸福だった子供の頃の記憶しかないキャロルの人生はどんな人生だったのだろう。マックスと出逢う前も、つらいことがたくさんあったのだろうか。そしてマックスと出逢い、今度こそ幸せを掴めると思ったのだろうか。ヌードルスの問いかけに反応してハバナ祭の歌を口ずさむキャロル。つらいことをすべて忘れてしまったキャロルの記憶のずっとずっとおく深く、きれいな箱にサテンのリボンをかけて大切にしまっておいたハバナの想いで。望海ヌードルスの優しい、愛しむような歌声はそのリボンをそっとほどいた。キャロルのなかによみがえってくるハバナの熱い夜と幸せだった時間。しかし、幸福な想いでは瞬く間に悪夢へと変わる。煙と炎で何も見えない何も解らない、そしてすべてが失えた、あの瞬間がキャロルを襲う。

膝をつき、キャロルの顔をのぞき込んで歌う望海ヌードルスの歌声は、世界でいちばん優しい歌声だった。キャロルをみつめる望海ヌードルスの眼差しには、わだかまりなどひとつもなく、澄みきった慈しみに満ち々ていた。

サナトリウムへ慰問にやってきたデボラと再会したヌードルスの嬉しそうな、ほんとうに何事もなかったかのように只々、嬉しいと云う笑顔。あそこであの笑顔ができる望海風斗さん!!!打ちのめされた。むかしと少しも変わらないヌードルスの笑顔はどれだけデボラの心を抉ったことだろう。会いたくなくて、そして会いたくてたまらなかった人は、もうすっかりと変わってしまった自分を、あの日とまったく変わらぬ笑顔で見つめている。それはどれだけ、残酷なことか。

「幸せ?」

「少しは、…君は、」

「…少しは、」

ゆっくりと、自分の人生を見つめるように答える二人。“幸せ”が何かも解らないけれど、きっとたぶん、おそらく、いま生きてここに在ることは“幸せ”なのだろう。

 

薔薇の花びらを土に埋めたとしても…、薔薇の花びらが散るように歌う望海さんの歌声は、花びらが雨の降りそそぐやわらかい土にこぼれるように、劇場という空間に歌声の花びらを降らす。赤い薔薇は望海さんの歌声そのもののように赤く、狂おしく、そして哀しくヌードルスの手からデボラの手へ、そして観る者すべての胸へと捧げられた。

二人は今も、おたがいを愛している。それはもうずっと、解っていたことだけれど、薔薇の花びらを土に埋めたとしても花が咲くことはないように、愛のひとひらを心にうめたとしてもふたたび息づくことはない。二人の時間はもう二度と戻らないことも、解っていた。

そんなセンチメンタルな空気から、推理もののような雰囲気へと一変する。

ヌードルスの静かな問いは、このばらばらになったパズルのピースをひとつひとつ埋めてゆく。ベイリー長官とデボラの関係を指摘するヌードルス。自分が誰と愛し合っていても関係ないと冷たく言い放つデボラ。そこには、絶対に知られたくない秘密を守ろうとするデボラの必死な思いがあった。知られてはいけない真実。すべての人を傷つける真実。ヌードルスも、自分も、そしてベイリー長官も。だがおそらく、ヌードルスはこのとき既にベイリー長官の正体に気付いていたのだろう。それは幻のような真実。でも、すべての符号が合い、たどりつく真実は、其処しかない。

患者の杏野さんが病弱な深窓の令嬢みたいでハウス名作劇場のヒロインみがある。杏野さんのキャラ設定が背景に見える役のヴィジュアルにはいつも注目している。

マックスはどういう思いでキャロルを自分が支援するサナトリウムに引き取ったのだろう。ヌードルスのようにキャロルのことも探したのだろうか。そうして見つけだしたキャロルは記憶を失っていた。つらい記憶を思いださなくてすむのならその方がいいと、キャロルには姿をみせないまま、償いつづけることを決めたのか。キャロルの愛がどれだけ深いものだったかをマックスは思い知ったことだろう。後悔してもしきれないほどに。劇中ではマックスがキャロルに言及することはない。けれど、そこにはヌードルスとデボラの物語とおなじくらい、尽きせぬ物語があったのだろう。

 

ハッピィバースディ!ベイリー長官ソングはベイリー長官の疑惑を皆が揶揄する歌。彼の支持者として招待された誰もが彼の潔白など信じていない。ここの久城煌羽同期のいちゃいちゃは大事なところです。見逃さないように。

 

ベイリー長官の部屋ではジミーがこの部屋の主より尊大な態度で足を組んで椅子に座っている。俺がローワーイーストサイド出身のお前をベイリー長官に仕立て上げた…、なんかそうやって言われるとちょっとマイフィアレディみたいだよね。彩凪ジミーが彩風マックスを立派なベイリー長官に調教する過程をもっとくわしく知りたいです。知りたいです。

ベイリー長官ことマックスはラスベガスに投資したつもりだったが、その組合の年金を融資した相手は実はイタリアンマフィアだった…。この会話だけだと、ベイリー長官、摩天楼を買おうとして失敗したあの頃とまったく成長していない、とんだドジっ子としか思えないんですけど…、それじゃあジミーが怒るのも無理ないとちょっと思ってしまう。

「もう一度死んでくれ、俺があたえた命、返してもらおう、」

彩凪ジミーさん問題発言と云う名の名言多すぎない???これ聴いたとき客席の六割はサムズアップして乳海に沈んでいったわよ…。出逢ってから今までの25年間、秘密を共有して生きてきたマックスに一欠けらの心もあたえたことなどなかった彩凪ジミー。ジミーの言葉はすべて偽りだと気づいても、彩凪ジミーに逆らえない彩風マックス。どれだけ徹底的に調教されたのやら…もう完全に言いなりじゃないの…、出逢いからの関係性が見事に逆転したジミーとマックス。そしてそれはすべてジミーの計算通り、策略によるものだった。この二人の関係性は、『スリル・ミー』を彷彿とさせる。そして、スピンオフ大好き芸人としては彩凪ジェリーによる彩風コンラッドへの復讐にも思えた。『ハリウッド・ゴシップ』の話です。混ぜるな危険!

マックスに自死を強要するジミー。そこには憐憫など塵ほども、無かった。

 

透真執事に案内され、ヌードルスはベイリー長官と会う。実はベイリー長官はマックスでした!サプライズにまったく驚かないヌードルス。まあ、あれだけヒントがあれば気づくよね。マックスも、ヌードルスのことだから途中で自分の正体が解るのではないかと予想はしていただろう。かくて二人は、再会した。

自分の裏切りのせいで死んだと思っていたマックスが生きていた。マックスは死んではいなかったと云う25年間の自責の苦しみからの解放と、生きていたことを知らないで苦しみ自分を責めていた日々の重さ。それはヌードルスにとってどちらも比べようがないものだろう。

ヌードルスの居場所を調べ上げ、実はひっそり見護っていたマックスの相変わらずのストーカー体質。ひっそりと暮らしているヌードルスに声をかけようと思ったけれど、マックスはそれをしなかった。その理由をヌードルスは、マックスの愛人となったデボラを自分に会わせたくなかったからだと思っているようだけれど、そのヌードルスの解釈とは違う意味で、マックスはヌードルスとデボラを再会させたくなかったのだと云うのが私の私的見解です。ヌードルスがデボラと再会したらきっとかつてのようにヌードルスはデボラに夢中になるだろう。そして、デボラと現在関係のある自分を憎み軽蔑するかもしれない。マックスはデボラに翻弄されるヌードルスを見たくはなかった。そして、ヌードルスに軽蔑されたくなかった。それならいっそ、このまま黙っていよう…。映画版を踏まえた上での、それが私の解釈です。

マックスは再会したデボラにヌードルスの面影を求め、そしてデボラもまた、マックスにヌードルスの面影を追っていた…、それがマックスとデボラの関係のはじまりで、そしていつしか共に暮らしてゆくうちにその関係は愛に似た情に変わっていったのではないか。

 

宝塚版にはない映画版のエピソードとして、ベイリー長官となったマックスは有力者の娘と結婚し、子供にヌードルスの本名である“デイヴィット”と云う名前を付けたと云うとんでもない設定があるのだけれど、何故、この設定を省略した。自分の子供に望海ヌードルスの名前をつける彩風マックスとか観たかったすぎて臍を噛むよ。 

安易な男女の三角関係にはしたくない。 

マックスの手にはあの日、酔っ払いから盗んだ銀の時計があった。その時計を見たとき、心臓が捩じ切れそうだった。マックスはヌードルスと出逢うきっかけになったその時計を売ってお金にかえることもせず、どんなときも大事に持っていた。はじめてヌードルスと出逢った日からずっと時を刻みつづけている時計。マックスは友情の証としてその時計をヌードルスへ渡す。既に死を決めていたマックスは、自分との時間をずっと忘れないでいてほしい、そんな思いをヌードルスに願ったのかもしれない。そして、この銃で自分を撃ってくれとヌードルスに懇願する。

「俺はおまえに殺されたいんだ、」

これ以上の愛の告白がある?

おまえのその記憶に、その双眸に、その手に、俺の死を永遠に刻みつけたい。おまえが俺を忘れたくても忘れられないように。

いささか私的感情過多なモノローグはいってしまいましたけど、そう言ってるのもおなじですよ。

彩風マックスの、望海ヌードルスを睨めつけるあの、底のみえない沼をガラス珠にとじこめたような眼。だけれども、ヌードルスはその沼に引き摺り込まれることはなかった。

「その銃を受取らないのが俺の友情の証だ」

マックスが欲しかったのはそんな言葉じゃない。ああ、ほんとうに、ヌードルスは残酷だな、と思う。誰よりも優しい、でもその優しさが残酷なのだと云うことを、ヌードルスは知らない。それが彼の最大の罪といえば罪なのかも。

俺を見捨てるのかと地に臥したマックスを見下ろす望海ヌードルスの目は、優しくて冷たくて、哀れむような、手をさしのべようとしているような、観音さまみたいな目だなと思う。

「ふたりの貧しい少年がいた、ひとりは陽のあたる道にたどりつき、ひとりはたどりつけなかった、」

ヌードルスとマックス、おたがい相手こそが陽のあたる道にたどりついた者であると思っていたのかもしれない。でも、そんなことはどうでもいい。

「二人とも、このアメリカで必死に生きた、」

そう、それがすべて。それがこの、ONCE UPON A TIME IN AMERICAと云う物語なのだ。

その答えにたどりついたヌードルスは昏い迷宮の出口から抜けだしたように清々としていた。

”もう人生を幸や不幸ではかることはしない。人生には幸も不幸もない。ただ、人生はそこに在るだけだ。”と云う、漫画『自虐の詩』の一節を思いだした。

その言葉ひとつひとつを静かに語る望海さんの声は観る毎に深く、重くなっていった。それは望海さんの芝居の変化の所為か、それとも観る自分の心の変化の所為か。舞台を生で観る快感はこう云うところにあるのだと感じた。

彩風マックスを見つめる、年老いた男の気怠い瞼と、そのおくに光る、凪いだ海のような瞳。ひとつの舞台のなかで、こんなに瞳の表情を変える事が出来るのかと、望海さんの変化、もはや進化に感嘆する。

「何もしてやれないが…、あきらめるなよ、」

マックスにとってはトドメの言葉だよね。もうマックスはとっくに諦めているのに、あきらめるなよ、と、ヌードルスは言う。自分の人生を生き、そして人生の意味を知ったヌードルスはマックスの腕の中からすりぬけるように去っていった。

…ああ、やっぱり俺はおまえに追いつく事は出来ないのだ、昔も、今も。

絶望のなか、マックスは銃の引き金を引いた。

 

映画版では、マックスの生死は明確にはされていない。観る者にゆだねるかたちで描かれている。

ヌードルスにはあの銃声が聴こえなかったと云う設定・演出もアリだなと思った。何も知らないまま、それぞれの未来がつづいてゆくと信じて歩いて行く望海ヌードルス。客席にも銃声は聴こえなくてもいい。マックスの生死を闇のなかにおきざりにして、そのまま観客に結末の行方を委ねるのもアリだった。いつまでも心の虚に風が吹いているような気持ちで物語をみつめつづけるのはいやじゃない。

でも望海ヌードルスのかわいそうさは倍率ドン。

 

真彩デボラがマーックス!と叫ぶと、どうしても一瞬、マックス・ジェイコブス@縣千の顔がうかんできてしまうの…私は『二十世紀号に乗って』を心から愛しているのであった…。

 

銃声を聞いた瞬間の、永遠につづく地獄の責苦をその身に受けたような望海ヌードルスヌードルスは本気でマックスが諦めないと思っていたのだろうか。思っていたのだと思う。そんなわけないだろどう考えても死ぬ気100%じゃんと思うけど、ヌードルスは信じていた。

 

「あきらめるなよ」マックスにかけたその言葉さえも呪いとなってヌードルスはこれからの人生を生きていかなければならない。いったいどれだけ望海ヌードルスに業を抱えさせれば気がすむのだというくらいの業をその身に背負い、ゆっくりと、荊の道を踏みしめるように歩いてゆく望海ヌードルス

かつて一度、救いを求めた神に縋り、マックスの、そして失われたすべての魂へ鎮魂の祈りを歌う望海ヌードルス。人生を振返るとそこには煌めきに満ちた青春があった。友がいて、愛する人がいて、夢を抱き憧れに胸ときめかせ、痛みも哀しみも喜びも、すべてが其処にあった。そして、それらはもう二度と戻らない。でも、それが人生だ。それが生きると云うことなのだ。自分の、そして友の、この国に生きるすべての人々の人生、それこそが、『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』。

 

望海ヌードルスの歌に、ヌードルスが生まれて、そして死んでゆくまでの物語が観えた。この舞台で語られなかった物語も、すべてが望海さんの歌のなかには在った。

 

銀橋を歩き、下手の花道へと去ってゆく、望海ヌードルスの微笑。あの望海さんの微笑を観たそのとき、嗚呼、私は凄いものをいま、観ているのだ、そう、思った。

 

幕が降りたあと、心の虚に風が吹きぬけてゆくような、そしてだんだんと身体が水底に沈んでゆくような、そんな感覚だった。無情に、時は過ぎてゆく。何があろうとも誰のもとにも平等に。握った事のないマシンガンの冷たさを手が憶えているような、ヌードルスと共に彼の人生を歩んだような2時間半だった。

 

 

幕。

 

 

おまけのフィナーレ物語。

銀橋に現れた朝美さんが、ばっさりと髪を切り、本当の姿に戻ったキャロルの姿に観えてしまい、キャロルは男の娘だったのか…。

俺は翼を失くした天使…、この翼は、マックスのこと。そう思うと芝居本編からフィナーレまで、すべてがつながっているように思えてしまい、自然とその結論へと至った次第です。マックスと云う翼を失い本当の自分の姿にもどったキャロルは、きっと自分の足で、大地を踏みしめ歩いていける。キャロルはもう、大丈夫。そう、願いを込めて。

 

望海真彩のデュエットダンスもお芝居で描かれることのなかったヌードルスとデボラのIF物語とのことですし、ロケットの縣くんもパチ子と云うパッツィの妹だそうなので(縣くん談)、そう云う妄想もアリかな、と思っていただければ!

 

フィナーレの詳細はまた別の機会に書きたいと思います。